「やぁアカツキ君。わざわざこんなところまでよく来てくれた」
オービットベース、総裁執務室。
アカツキとエリナを、部屋の主である幸太郎が迎え入れる。
余裕の笑みを浮かべる幸太郎に対し、アカツキはややひきつった笑みを隠しきれない。
ニヒリズムを気どるアカツキには珍しいことだが、持って生まれたカリスマの差とでもいうもので、どうしても敗北感が拭えないのだ。
ただ、面と向かって問いかけたとしても、アカツキは苦笑しながら
『僕は暑苦しいオジサンは苦手でね』
としか答えないだろうが。
「こんなところ、といってもこのオービットベースの建造に携わったのは我がネルガルですよ。所属は確かに国連ですが、内部構造は熟知しています」
「違いないな」
なんとか体裁を整え直し、アカツキが軽口を返す。
彼の言うとおり、この大規模軌道ステーション、オービットベースの建造はネルガルが一手に請け負った一大事業だった。
2回の戦争で業績を伸ばしたクリムゾンコーポレート、アナハイムエレクトロニクスを出し抜きこの事業を請け負ったネルガルは、戦時下の特需をすべてかなぐり捨てて『戦後』を勝ち取ったのだ。
1年戦争の時に両親と兄を亡くし、いきなりネルガルを背負うことになったアカツキは、当時散々叩かれていた。
戦争特需の恩恵は2大企業であるクリムゾンとアナハイムに集中し、ネルガルは青色吐息。もはやこの会社はダメかと言われていたのだが。
戦時をじっと息を潜めて乗りきり、今回の国連事業の成功で、一気にネルガルの株は上がった。
いわば、ここにいるアカツキは時の人とも言えるのだ。
「で、僕たちをここに呼んだのは、昨日頼まれた地球圏の情報統制についての釈明ですか?」
アカツキが鋭い目を幸太郎に向ける。
その視線を受け止め、幸太郎が重々しくうなずいた。
どうやら、一連の騒ぎを報道させないために使ったツテは、ネルガルだったようだ。
「その通り。何が起こったのかを説明できる人物を紹介しよう」
そう言って、幸太郎が手ずから隣の部屋のドアを開いた。
入ってくるのは、鈍色の髪をくゆらせた眼光鋭き軍人。
「地球連邦軍の特殊部隊を率いる、ヴィンデル君だ」
「連邦軍特殊部隊、シャドウミラー隊隊長、ヴィンデル・マウザーだ」
連邦軍、という単語を聞き、アカツキは露骨に顔をしかめた。
商売の相手になっていない以前に、戦時の混乱で家族を失ったアカツキにしてみれば、軍は必ずしも人の命を守ってくれるわけではない、という諦観がある。
加えて、売り込みに行ったときの軍人たちの露骨な賄賂の要求に辟易していたのもある。
高潔な軍人を探すのが難しいという現実に、アカツキは期待をすることをやめた。
苦手にしているとは言え、目の前の大河総帥のような人物を相手に商売を広げた方が精神的にも清々する。
そんなアカツキの表情を見て取ったが、幸太郎はあえてフォローするようなことはせずに説明をはじめる。
「彼の部隊がたまたま、シャトルを救助してくれたのだ。そして、彼らから様々な情報が手に入った」
「で、あなたはそれを隠蔽すべきだと判断した」
「その通りだよアカツキ君。詳しいことはヴィンデル君から直接説明してもらう」
そこまで言って、幸太郎はアカツキたちにソファーを勧めた。
幸太郎の向かいにアカツキとエリナが座り、ヴィンデルは幸太郎の隣に座って言を継いだ。
「大河総帥から、シャトルの襲撃者がボソンジャンプで侵入、そして脱出したことは聞き及んでいると思う」
ボソンジャンプ、という単語を聞きとがめ、アカツキとエリナの顔色が一変する。
火星極冠遺跡の解析作業は、今を遡ること100年前から、ネルガル創業以来の大プロジェクトとして、火星開拓の影で秘密裏に行われていた。
そして、遺跡には物質を距離に関係なく移送できる……存在情報をボース=フェルミオン粒子変換することで任意の座標へ移送する……機能が備わっていることがわかった。
これを仮にボソンジャンプと命名したのは、当時の科学者で火星開拓の父祖とも称される破嵐創造博士である。
この時の情報は、90年ほど前の月で起こった戦争『フォン・ブラウンの反乱』で月から脱出した反乱軍が火星に落ち延び、これを連邦宇宙軍が衛星軌道からの地表全面攻撃で殲滅したときに公的には失われていた。
だが10年前、今のネルガルの先代会長は時代に埋もれたこの情報を手に入れ、火星再開発を目玉にした宇宙開発プロジェクトを元手に再興を果たしたのだ。
ネルガルの最重要機密とも言えるこの単語。
よりによって『連邦軍』所属のこの男が何故知り得た?
「ボソンジャンプ? なんですかそれは?」
アカツキはとりあえずとぼけてみることにした。あまりに今の状況では手札が少なすぎる。
だが、ヴィンデルはそれを許さなかった。
「蛇の道は蛇。どんな情報も絶対の秘匿は困難だ。コングロマリットの会長ともなれば、そのぐらいの道理はわかるのではないか?」
眼光鋭く、ヴィンデルがアカツキを見据える。
刹那、アカツキが大きくため息をつく。
「特殊部隊とおっしゃっていましたね。なるほど、ネルガルの動向はお見通しですか」
「……か、会長」
「落ち着きたまえエリナ君。知られてしまった事実はいまさら変わらないんだよ」
狼狽が隠しきれないエリナに対して、アカツキは泰然としている。
落ち着いているのではなく、開き直っただけだが。
「一つお尋ねしたいですね。僕たちネルガルは連邦軍に対して細心の注意を払い、こちらの動向はなるだけ隠蔽してきた。にもかかわらず、社外秘の情報が漏れている。大河総帥は守秘の契約は今まで守ってくださっていた。ではヴィンデルさん、あなたはこの情報を、どこから?」
ここまでの啖呵を切っておいて内実、アカツキは必死に考えていた。
目の前の軍人、どう扱うべきか……。
信用するにはあまりに雰囲気が剣呑すぎる。
だが、簡単に排除できるような器とも思えない。
これを好機として連邦軍へのチャンネルを開くべきなのか。
深謀遠慮と果断即決を兼ね備えているからこそ、不本意ながらアカツキナガレはネルガルを支えてこられたのだ。
そのアカツキが決めかねている。
ネルガルの悲願とも言えるプロジェクトが佳境に達しているが故に、うかつなことができない。
逡巡するアカツキをしり目に、事態は再度急転する。
「情報提供者がいたのだ。不確定情報だったが、当事者の言質がとれたおかげで確定した」
「なっ……」
持って回ったヴィンデルの言いぐさだが、有り体に言えばアカツキはブラフにかかったということだ。
うつむきながら、アカツキは膝の上の右手を握り締める。
この程度の腹芸もこなせずに何が経営だ。
己のうかつさがこれほど呪わしく思えたこともない。
出直すか。
思わず反射的にアカツキが立ち上がる。
幸太郎もヴィンデルも表情を変えずに座ったままだ。
だから、背後からの気配に全く対応できなかった。
「ヴィンデルへの情報提供者は、俺だ、ネルガル会長殿」