「ぐあっ」
「がはっ」
「おごっ」
「げふっ」

 瞬く間に4人の黒尽くめが打ち倒され、囲みの一角が崩れる。
 ユリカとジュンが見ると、光の加減で緑に光って見える黒髪の青年が立っていた。年のころはユリカたちと同じか、ともすれば下にも見える。
 その両手には焼きが入った黒い刀身の日本刀を二振り携えている。普通の刀より短く、脇差よりも長い。見る人が見れば、それが小太刀だとすぐにわかるだろう。
 黒と見まごう濃緑色のシャツにブラックジーンズ。取り囲んでいる連中に負けず劣らぬ黒ずくめの格好。

「……君は?」

 ジュンが呆然とした体で尋ねると、青年は振り返りもせずに答えた。

「ネルガルSS(セキュリティサービス)の者だ。すまない、僕がついていながらこんなことに」

 台詞では謝っているのだが、その実あまり謝っているように聞こえない。
 熱量を感じない口調だが、状況が状況だ。

「ネルガルはSSを僕たちに付けていたのか?」
「己の立場と状況と、ついでに家族構成をきちんと考えることだ。極東軍のお偉方のご令嬢とご令息、戦争の緊張がとけていない時勢……」

 背中を向けたまま、ネルガルSSを名乗った青年は、言葉尻を残したまま掻き消えるように走り出した。
 どかっという鈍い音と、かちゃんという軽い音が2つずつ。
 ジュンが見てみると、さらに二人の黒尽くめから、刀の峰で黒光りする拳銃を叩き落していた。結果だけは見えているが、何をしたのかはさっぱりわからない。

「ネルガルのプロジェクトは確かに社外秘で進行しているが、情報なんてものは簡単に漏れるものだ。ミスマル・ユリカとアオイ・ジュンがなぜネルガルと接触したのかなど、ライバル企業などはとっくにつかんでいる」

 黒い疾風が奔る。
 黒刃が空を切るたびに、取り囲んでいた黒尽くめがなすすべもなく倒されていく。
 銃を持つ連中に、刀だけで挑みかかる時点でナンセンスなのだが、この圧倒的な力は何なのだろうか。

「手を引いてもらおうか。これだけ人目を引いてしまっては、本来の目的にかなっていないだろう」

 右の切っ先を静かに向け抑揚の少ない言葉で、最初にジュンがぶつかった黒尽くめを恫喝する。
 不利を見て取った黒尽くめは、うめいている仲間を蹴り起こしながら、そそくさと逃げ去っていった。

「あ、ありがとう」

 あまりの出来事に呆然としながら、それでも礼を述べる辺り、ジュンもただのいい人ではない。
 まぁ、隣にもっと只者じゃない娘がいるからというのもあるだろうが。

「気にするな。これが僕の仕事だからな」

 小太刀を腰の鞘に収めながら、SSの青年は淡々という。

「家まで護衛する。この状況で、のんきに買い物という気分でもないだろう」

 確かにその通り、とうなずこうとして、ふとジュンは隣のユリカを覗き込んだ。

「……」

 うつむいて表情がよく見えない。
 だが、両肩がほんの少しだけ震えている。
 怖かったのか? そう思ったジュンが声をかけようとしたところで、ユリカががばっと顔を上げた。

「あっ、あああ、あのっ」
「ん?」

 かなり切羽詰った様子のユリカを見て、青年が眉をひそめる。

「一つ、お願いがあるんですけど」
「……なんだ?」

 両手を握りこみ腕をぴんと体の横に伸ばして、ユリカは必死の形相を浮かべている。
 子供じみた仕草だが、不思議とそれがちぐはぐに見えない。

「……お名前……」
「は?」
「お名前、教えてくださいっ!」

 SSの青年は一瞬、何を聞かれたのか理解できずにいた。
 彼は今まで、自分の名前を求められたことなどなかったのだ。
 高性能を示すことに、『名前』は必要ない。
 だから、彼は、戸惑った。

「僕の……名前?」
「そうです! だって、お礼するのにネルガルのSSさん、じゃおかしいでしょ?」
「……プロスペクターには会っているんだろう? あいつも名前は」
「彼はプロスペクターさんですから。でも、あなたはまだネルガルのSSさん、としかわからないです」

 よくわからない理論である。
 だが、どうもこの大きい瞳でじっと見つめられると、言葉を濁してごまかすわけにも行かない。そんな気にさせられる。
 SSの青年は、観念するように小さく言葉を継ぐ。

「僕は……僕の名前は、キョウヤ・タカマチ。日本式に言うならタカマチ・キョウヤだ」
「タカマチ……キョウヤ君ね」

 SSの青年……キョウヤは、実に言いづらそうに名乗った。まるで、その名を名乗るのが生まれて初めてのように。
 だが、そんなキョウヤの葛藤を知ってか知らずか。
 ユリカは満足そうににぱっと笑って大きくうなずいた。

「ありがとう、キョウヤ君!」

 キョウヤは戸惑いながら、混乱しながらも、なんとか首を縦に振ることはできた。
 ユリカとジュンがネルガルの戦艦に乗り込む、数日前の出来事であった。

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