それでも、この事態を収拾するのに30秒ほどですむ辺り、やはりこの親子は只者ではない。ついでにいえばそれについていってるジュンも只者ではないのだろう。
「現在、太平洋方向のチューリップが活動を開始。バッタの一団が増殖しながら接近中とのことだ。予測進路はここ、サセボだ」
目覚まし時計の直撃を食らったにもかかわらずぴんぴんとしているコウイチロウが、本来の立場にふさわしい威厳を伴ってユリカとジュンに状況を説明する。
「ユリカ、そしてジュン君。お前たちはこれから1隻の戦艦を預かることになる。たとえそれが軍属でなかったとしても、自分自身とクルーの命全てを危険にさらすことには変わりがない」
今までの大規模な戦争で、どれだけの命が失われてきたのだろう。
その重みを事実として知る者が、こうして語る言葉は、重かった。
「本来ならお前たちのようなひよっ子が艦長職など考えられんが、ネルガルがこういうスタッフを望んだのだ。決定したことにいまさら異議を唱えるようなことはしない。だが、これだけは言っておく」
そういって、コウイチロウは一つため息をついてまっすぐにユリカとジュンを見据えた。
「決定を下さねばならないタイミングぎりぎりまで、あらゆる情報を集めろ。クルーの中にはお前たちよりも経験豊富な者が何人もいるはずだ。そういう連中の意見に耳を傾けろ。それもできるだけたくさんだ。ただ、その意見を鵜呑みにしてはいけない。最終的な判断を下すのが艦長の役目だ。決定を迷ってはいけない。決定したことを遂行することに迷ってはいけない。だが、決定するまではあらゆる情報、可能性を吟味すること。私から言えるのは、これぐらいだ」
ジュンもユリカも無言でただうなずくだけだった。
自身にかかる重責。
いまだに現実味を伴わない部分はあるものの、それが現実のものになったとき、演習や試験のような結果が出せるのか。
そんな、漠とした不安をジュンは内心かかえていた。
だが、ユリカは、
「了解しました! お父様、私が艦長をしている限り、誰も死なせたりしません! そんなことになったら、悲しくなっちゃいますから」
「あ、あのユリカ……?」
「だってジュン君、お葬式なんて艦の中でやりたくないよ、私。どうせやるなら楽しいことをやらなきゃ」
「そういう問題なのかなぁ……」
「大事な問題だよ?」
あくまでマイペースだった。コウイチロウにしてみれば頼もしさ半分あきれ半分だが、親ばか修正で頼もしさのほうが勝っている。
「ではユリカ。迎えが来ているからその車で至急サセボドックに向かってくれ」
「じゃあ、荷物を持っていかないと」
「あ、最低限の手荷物だけでとりあえず行きなさい。荷造りしてあるものは最初の寄港地であるダイモビックに送る手配がついているからな」
「はーい。じゃ、スーツケースだけでおっけーです」
ユリカが部屋からがさごそと大きな旅行用スーツケースを抱えて来た。
コウイチロウとジュンと共に玄関を出ると、入り口にパトカーが1台止まっている。
「うわ、パトカー。お父様、お迎えってこれですか?」
「ああそうだ。よろしく頼むよ、ボルフォッグ君」
迎えがまさかパトカーだとは思っていなかったのだろう。ユリカが面食らって問い返すと、コウイチロウはパトカーに向かって声をかけた。
『了解しました、ミスマル少将。ミスマル・ユリカ艦長、アオイ・ジュン副艦長ですね? 私はガッツィー・ジオイド・ガード諜報部所属、ボルフォッグと申します。お送りいたしますので乗ってください』
と、いわれたはいいが、運転している人間が顔を出す気配はない。
いぶかしみながらジュンがドアを開けると、そこには誰もいなかった。
「……非常事態だと聞いているが、これは何の冗談だ?」
声はすれども姿は見えず、といえば普通は手の込んだいたずらだと思う。
ジュンもそういう意味では普通の考えを抱いただけなのだが、そこに主席と次席の差があった。
「えぇっと、ボルフォッグさん?」
『何でしょうか、ミスマル艦長?』
「あ、光った光った。ということは、自動操作ですか? 遠隔制御ですか?」
ボルフォッグの合成音声にシンクロして、前面のフォグランプと車内のコンソールが点滅するのを見て、ユリカはにっこりとこう尋ねた。
ここまで言われてジュンもはっと気づく。
このパトカーは誰かが乗って隠れているのではない。誰も乗る必要がないのだと。
『これは失礼しました。遠隔操作ではなく、クルーズモードの私はパトカーの形態をとっております』
「……車載コンピュータにAIが搭載されているのか。そういえば、GGGでは超AI搭載の災害救助用ロボットを製作しているとニュースでやっていたっけ。ボルフォッグ、君もそうなのか?」
『その通りですアオイ副艦長。自律思考を持ったGGGのロボットは
「わかった。ではボルフォッグ、僕たちを」
『ご案内します、機動戦艦ナデシコまで。さぁ、乗り込んでください』
後部座席にユリカのスーツケースを運び込み、運転席にジュンが、助手席にユリカが乗り込む。
「じゃ、全速力でよろしく、ボルフォッグさん!」
『了解です。ウルテクエンジン始動。ミラーコーティング展開します』
次の瞬間、一陣の風だけを残してボルフォッグの姿は文字通りに掻き消えた。
「……戦果など期待せんぞ。無事に帰ってきてくれ、ユリカ」
完全な光学迷彩でその姿はまったく見えないのだが、ドック目掛けて走っていったのはわかっている。
コウイチロウは連邦軍の猛将ではなくただの親の顔で、見えぬ姿を見送っていた。