『ただいま、非常警戒警報が発令されました。当サセボ空港をご利用のお客様は、係員の指示に従って速やかに避難してください。駐機場、空港ロビーから、シェルター機能を有した地下整備工場に誘導いたします。繰り返します……』
同時刻。
ようやくレーダー圏内に未確認飛行物体を感知した連邦軍が警報を発令したらしく、ざわざわと喧騒が広がるサセボ空港ロビーだが、パニックによる暴動は起こっていない。
良くも悪くも、ここまでの戦争が人々を慣らしてしまったのだ。
だが、中にはいつまでたっても慣れずに対応できないものもいる。
「だああっ! 避難してる場合じゃねえってのぉ! このエースパイロット、ダイゴウジ・ガイ様をゲキガンガーが待っているんだってばよ! オレを研究所へ行かせてくれええええええっ!!」
「はいはいはい、シェルターは向こうですからねぇ。あわてず騒がず避難してくださいねぇ」
「人の話を聞けっての! 避難するんじゃなくってオレは!!」
「はーい、周りの人の迷惑ですからねぇ。ぐだぐだ言ってないでとっとと避難してくださいねぇ」
営業スマイルをまったく崩さずに誘導する空港の女子職員に食って掛かる濃口醤油顔のこの男。
でかいザックを肩掛けに背負い、Tシャツにジーパン姿。どこから見ても食い詰めた貧乏学生という風情。彼こそ誰あろう、魂の名前はダイゴウジ・ガイこと、本名ヤマダ・ジロウであった。
ネルガルと正式に契約を交わした後、本社の研究所での訓練もそこそこに、実機に乗りたいとだだをこねて強引にサセボにやってきてしまったのだ。
本来の搭乗予定日にはまだ2日ほど早かった。
「ちっくしょー、備えあれば憂いなしっていうかこの燃え上がるスパロボ魂が辛抱たまらんというか、とにかくオレは早くゲキガンガーに乗りたいだけなんだってのによーっ!」
いくら、この世界では当たり前のように人型機動兵器が実用化され、極東の日本列島には世界でもトップクラスの特機を保有する研究機関が多数あるとはいえ、それはあくまでも特別なのだ。日用製品などとはワケが違う。
大多数の人間は、特機になど乗らない。
居合わせた人間は十中八九、ジロウの叫びが真実であるなどとは考えない。
錯乱したオタクのたわごとぐらいにしか思わないのだ。
「あのねぇ、あなたが一人でここで騒いでいると、ほかのお客様の避難に影響が出るのよ? だからおとなしく避難してちょうだい」
「だからよぉ! 避難するんじゃなくってサセボのネルガル所有のドックに行きたいんだってばよ!」
「あなたみたいなオタク学生がなんでネルガルのドックになんていくのよ?」
「オタクいうなーっ! オレはネルガルのパイロットなんだって!」
「あの会社にパイロットなんているわけないでしょ? 航空会社はやってないわよ、ネルガルは」
「だーれーがー飛行機に乗るなんていった!? オレはゲキガンガーのパイロットなんだってさっきから!」
「ゲキガンガーだかなんだか知らないけど、総合商社のネルガルにパイロットなんているわけないじゃない。みえみえの嘘なんかついている暇があったら、とっとと避難しなさい!」
避難誘導をしているはずの女子職員と丁々発止とやり合っているうちに、客はあらかた避難してしまったようだ。気がつけば、状況確認をする職員が数名、険しい顔で周りを見回しているだけだった。
「ほーら、あなたが最後よ。早く避難を」
「……悪い、そういうわけにはいかねえ!」
そういうとジロウは女子職員を振り切ってロビーの出口に向かって走ろうとした。
その瞬間。
「悪あがきするなーっ!」
「う? うおおおおおおおおおお!?」
綺麗な大外刈りだった。
「今日日のフライトアテンダントをなめてくれちゃ困るわね」
「あ痛ててて……なぁにしやがるあんた!?」
「うるさい! あなたで最後なんだから早く避難……」
女子職員にずずずいっとジロウが追い詰められたそのとき。
出口のほうからぷっぷーという間の抜けたクラクションが響いた。
『そこにいるのは、ネルガルのヤマダ・ジロウじゃないか?』
「それは本名だ! オレの魂の名前はダイゴウジ・ガイ!」
『それはどうでもいいのだが、君はヤマダ・ジロウじゃないのか?』
「ガイと呼んでくれ!」
声のするほうを見ると、一台のワインレッドのミニクーパーが停まっている。
『……ダイゴウジ・ガイことヤマダ・ジロウ。私は国連特別機関GGG所属、ポルコート。特命を受け、君を迎えに来た』
そのときになってジロウは初めて気づいた。
ミニクーパーの周りには人一人いない。
「まさか、あんた、その車なのか?」
『まさかもなにも、ここには私以外誰もいないが』
伊達でも何でもジロウはロボットオタクだ。ゲキガンガーは特に好きだが、それ以外のロボットもそれなり以上に造詣が深い。
そして、そんな好事家の間では、下手なスパイの調査結果などよりもよほど詳しい特機の情報がまことしやかに流されている。
そこには、モビルスーツやパーソナルトルーパーのようなもの以外に、完全自律思考型AIを搭載し、自己判断で行動できるロボットが実用投入されたという情報もあったのだ。
「すげえすげえ! AI搭載の車なんて初めて見た!! うおおお、すげー、かっちょいーっ!」
『こら、こらこら、おいおい、そんなにべたべたとボンネットを触るな』
叩きつけられた痛みも忘れたように、ジロウは世界記録に匹敵するスピードでミニクーパー……ポルコートにかぶりつくようにへばりついた。
『イオンセンサー起動。情報再検索。当該人物、ネルガル所属ヤマダ・ジロウと確認。では早速、目的地に向かうとしよう』
「うわーすげー、ぴっかぴかだぜ。あれ、2シーターで後部座席に機械がぎっしり? こいつ全部コンピュータなのか? なんだよ、秘密兵器が積んであるとか、変形するとか合体するとか、そーいうんじゃないのか?」
ポルコートの話をジロウはぜんぜん聞いていない。興味を引かれるとそれ以外のことがまったく耳に入らなくなるのはオタクの典型的な習性である。
呼吸を必要としないポルコートだったが、データベースにある『ため息』というのはこういうときに出るのだとたった今学習した。
『……システムチェンジ』
べしん、とジロウを弾き飛ばしてポルコートは
「うっ、うっ、すっ、すっげえっ! 変形した、変形したよ本当に!!」
『納得してくれたか? そうしたら私と一緒にドックに向かおう』
「ドック、ってことはもしかして?」
『そうだ。もうすぐサセボドックは戦場になる。だが、ネルガルの機動戦艦ナデシコはまだ発進準備が整っていない。発進までの時間を稼ぐ必要があるのだ』
ポルコートの言葉を聴き、ジロウは両手をぐっと握り締めた。
「いよいよ……」
『ん? 何か言ったか?』
「ついにこの俺様、ダイゴウジ・ガイのスパロボワールドへのデビューの瞬間がやってきたわけだ! よぉっし! そうと決まればえーっと、ポルコロッソだっけ?」
『……私のボディはワインレッドだが、別に飛べない豚というわけではない。私の名はポルコートだ』
「おっとすまねえ、ポルコート。じゃあすぐ行くぞやれ行くぞそれ行くぞぉぉっ!!」
ポルコートはなかばあきれていた。オーバーテクノロジーの産物と異世界の技術のハイブリッドとはいえ、
だが、当のジロウはポルコートが思うほどに物事を考えていないわけではなかった。
「……付け焼刃の訓練で、あいつにかなうなんてそんな甘いことを考えるつもりはないけどな、やるしかねえんだ。あいつらと、ガイと一緒に宇宙に行くためなら、一矢と一緒に闘うためなら、やるしかねえんだ」
決意を新たにしたジロウの目の前で、ポルコートは再び移動形態に変形していた。
そのドアを開き、ジロウが乗り込む。
『ミラーコーティング展開。いくぞ』
「おぉっけぇい! いざ行かん、ナデシコへ!!」
ポルコートとジロウはサセボ空港を後にした。ミラーコーティングの光の粒子と、
「……なんだったわけよあのヲタクは……って、うわ、私も避難しなくっちゃ」
ぷんぷんとご立腹のフライトアテンダントを残して。