そのとき、アカツキ・ナガレはネルガル重工の会長室で決済処理の真っ最中だった。
『会長』
ナガレのコミュニケに会長秘書であるエリナ・キンジョウ・ウォンからのコールが入る。
「おや、電話を使わずにコミュニケかい?」
世界を3分する
であるから、会長室の警備・防諜体制は強力すぎるぐらい強力だ。
一般の携帯電話の電波などは
電子メールを読むための卓上端末はナデシコに搭載した思兼と同等のコンピュータを複数並列で動作させたサーバから情報を得る。ネルガル自慢のこのサーバは、下手なクラッカーなどでは太刀打ちできない。自身の作業量の数万分の1のマシンパワーで
ナガレが『電話』と言ったオフィスフォンは隣接する秘書室で取り次いでから会長室に回される。そこでも当然、防諜は行われている。
ところが、何事にも例外はあり、完璧は存在しない。
仮にアキトがこのネルガル本社の会長室の場所を完全に把握していたら、いとも簡単に進入できる。ボソンジャンプという反則技があるからだ。
そんないくつかの例外の一つが、ナガレの腕にあるコミュニケだ。
思兼から直接データを得ることができる端末であり、万能通信機でもあるこの超小型端末も、ネルガルの商品だ。
エリナがオフィスフォンではなく、コミュニケで通信してきたということは、他の秘書にも知らせたくないほどの極秘情報、または防諜の手続きを待っていられないほどの最新情報ということだ。
『九州地区のサセボドックに敵性体接近との情報が、GGGから入りました』
「へえ、思ったより早かったね」
淡々と報告するエリナに、軽くナガレは応える。
「まぁ、向こうのスタッフに任せてるし、何とかなるでしょ」
『艦長と副艦長はまだ乗艦しておりません。このままではドックごと沈められてしまいますが?』
「うーん、それはまずいねえ」
ぜんぜんまずそうに聞こえない口調のナガレは、そのままこんなことをエリナに説明し始めた。
「でも大丈夫。GGGもシャドウミラーも動くだろうし、僕のほうも保険はかけてるからね」
『保険、ですか?』
「そ。僕みたいなだらしのない人間よりもよっぽどできた
『義弟……ああ、彼ですか』
「だから、ナデシコは問題なく出航できるさ」
そんなことを言いながら、ナガレはうず高く積み上げられた書類との格闘を再開した。
もしその場に噂の破嵐万丈がいたならば、きっとナガレのことをこうからかったに違いない。
『そんなに心配なら最初から自分が出向けばいいのにね』
そしてナガレもこう応えるだろう。
『部下の仕事を信じて待つのも会長の務めさ』
だが、誰もいない会長室では、そんな軽口も叩けない。
ナガレは自分の仕事をこなしながら、吉報を待っていた。