第22話 スティル・ザ・ドーン・イズ・ノット
北米大陸の中枢都市。
クリムゾンコーポレートの本社ビルにて、アナハイムと世界を二分する巨大コングロマリットの長であるロバート・クリムゾンは執務席の端末でメールをチェックしていた。
業務報告のメールなどに決済の返信を送っていると、最小化していたスケジューラーがかすかな音と主にメッセージをポップアップした。
「ふむ、時間か」
ポップアップウインドウには一言だけ、
『A flower is gathered.』
と表示されていた。
「うまくやってくれよ、シーマ・ガラハウ。準備の投資もバカにならなかったのだからな」
秘書の姿一人存在しない執務室で、ロバートのつぶやきは誰に聞かれることなく溶けていった。
同時刻、ネルガル本社から強制徴発の連絡を受けたロバート・オオミヤは、ガードダイモビックを目指し東京湾を横断するネルガルチャーターの大型貨物船の甲板に立っていた。
「なんだっていきなりナデシコを徴発なんてことになるんだ?」
コミュニケを使って話をしている相手は、そのネルガルの長、アカツキ・ナガレだった。
『さぁ? そんなことしなくても商談はきちんと連邦軍ともしてるんだけどねぇ』
「そういう問題じゃないだろう。ナデシコは連邦議会とGGGのバックアップで運営しているんだ。ただの一企業の所有物ではない』
『だから、それが気に食わない連中の仕業でしょ』
飄々としたいつもの口調のアカツキの言葉に、ロブははっと息を呑む。
「アナハイムか、クリムゾンの仕業だとでも?」
『確証はないよ? でも、連邦議会の決定を待たずにプレッシャーをかけるんだから発端は当然軍の上層部。しかも、極東支部については重鎮の一角であるミスマル・コウイチロウ氏を切り崩している以上、別のラインからつついてくるしかない』
「それで命令が出てきてるのが司令長官の三輪少将なのか……」
『まぁ、あそこも1枚板じゃないし、こっちも黙って指を咥えてるつもりもないし、切り崩しはするさ。ただ、徴発部隊ってのがちょっと曲者でね』
「曲者?」
『元ジオン海兵隊のシーマ・ガラハウの部隊さ。彼らのスポンサーは、今はクリムゾンコーポレートとなっているね』
クリムゾンとネルガルの諜報合戦もかなり熾烈だ。このような情報までも仕入れていかなければ抜きつ抜かれつの世界で太刀打ちなどできない。
「よく知ってるなそんなこと」
『うちのマーケティングリサーチは優秀なんだよ』
いけしゃあしゃあとアカツキはこうのたまった。
『だからこそ、ロブや雷牙博士にお願いして、その機体も手に入れられたってワケ』
言われたロブが振り返った先には、甲板上に防護シートに包まった形で安置されている20m程度の巨大な物体があった。この光景を艦橋から見たならば、2本の角のある大きな人型が横たえられているシルエットを確認できるだろう。
「しかし、君に言われたスペックで調整はしたが、こんな機体を誰が使うというんだ? 全盛期のアムロ・レイでようやくどうにか乗りこなせるようなじゃじゃ馬だぞ? それにこの機体はIFS仕様のコクピットじゃない。エステバリスライダーでは動かすことだってままならないはずだ」
乗っても死ぬだけの機体を戦場に出すなんて認めるわけにはいかない、とロブがウインドウの向こうのアカツキをにらみつける。
だが、この程度の視線、無視できなくては大企業の会長職など務まらない。
『その機体を必要とする人間がいるから、ナデシコに乗せるんだよ、ロブ』
一片の動揺も含まない冷徹なアカツキの言葉に、ロブは返す答えを持たなかった。
『大丈夫、ロブが心配するようなことはないよ。僕がそういうリスクを嫌うの、君だって知ってるだろ?』
「アカツキ……」
『拾い物のパイロットがいてね、彼がその機体を必要としているのさ』
こういう言い方をするときのアカツキは、答えを目の当たりにするまで口で説明することは絶対にない。それを知っているロブはようやく小さな苦笑を浮かべた。
「わかった。アカツキが気に入るようなパイロットなら、僕も覚悟して行くことにするよ」
『いってくれるねぇ』
ため息交じりのアカツキに向かって、ロブが小さく手を振る。よろしく頼む、といってアカツキの通信ウインドウが閉じた。
「さて、間に合うのかわからないけど、いつでも出せる態勢だけは作っておくか」
ロブは防護シートをめくって真ん中の辺りにごそごそともぐりこんだ。
腹部の辺りからごそごそと物音が聞こえてくるが、波を蹴立てる船の音にかき消されてしまう。
アカツキの企みがガードダイモビックに到着するまでには、今しばらくの時間を必要としていた。
「リリーマルレーン、ザンジバル級のメガ粒子砲の射程距離ぎりぎりまでは接近しましたが、それ以降は沈黙を守っています」
レーダーの状況を報告するホシノ・ルリの声に、ブリッジに居残っていたアオイ・ジュンはうなずきつつも表情がすぐれない。
「ジオンの戦艦ってことだけど、識別コードは連邦軍のものか。妙だな」
「何が妙なんですか?」
ジュンのつぶやきに何気なくメグミ・レイナードが聞き返す。
「さっきの説明だと、極東方面軍がこの船を徴発しようとしているようなんだけど、旧ジオン軍は連邦宇宙軍に編入されているのがほとんどだ。
「……データ出ました。リリーマルレーンは現在地球連邦軍北米方面軍の所属となっています」
「ありがとう」
ルリから回ってきたリリーマルレーンのデータを確認して、ジュンは改めて腕を組みなおして小さくうなった。
「極東方面軍の三輪司令が宣言したにもかかわらず、当の極東所属の機体ではなく、徴発に来たのは北米方面軍……」
「たまたま手が空いてるのがそれだけだったんじゃないですか? 極東はいろんな勢力が入り混じって戦ってますから」
「それは考えにくいんだ。いいかいメグミくん、今の連邦軍は度重なる戦争と侵略で尋常ではなく疲弊している。その状況で地下勢力などが跳梁跋扈している極東方面に余剰戦力を繰り出せるほどの余裕は当の極東軍を始めとしてヨーロッパ、オセアニア、北米、南米、アフリカ、それに宇宙軍、そのどこにもない」
「だとしたら一体何のために?」
素直に疑問をぶつけてくるメグミに対して、ジュンは推論でしかない答えを返していいものか逡巡する。だが、
「単純に、北米方面軍がこの艦をほしがってるんだと思うよ?」
「ミスマル・ユリカ、プロスペクター、タカマチ・キョウヤ、ブリッジイン」
ルリのコールと共にブリッジに戻ってきたミスマル・ユリカがメグミの疑問にシンプルに答える。
「まー、このナデシコはネルガルの次代の主力商品でして、試作品ですが発売が待ちきれないというのもわからなくはないですが」
「いえ、わかりませんね」
調子のいいいつもの口調でプロスペクターがまくし立てるが、ジュンはけんもほろろだ。
「本当にこの艦がほしいのならば、国連ベースで折衝が行われるはずです。こんな強引な手段を使わなくても」
「ナデシコがほしいけど正規のルートで折衝できないから、戦時強制徴発なんだよ。んもー私ってば人気者! って感じよねー」
「ユリカぁ……」
いやんいやんと頭を振るユリカに毒気を抜かれたのか、ジュンがぽかんと口を開いている。
「いえ、欲しがられているのはナデシコですので」
「はうっ……プロスペクターさんのいぢわる……」
今度はさめざめと泣き出したユリカを見て、ジュンはようやく肩の力を抜く。そうすれば、凝り固まった思考からは出てこない発想も見えてくるものだ。
「なるほど、不正規にでもナデシコを手に入れたい連中が北米軍を動かしたとすれば……」
「そんなことできる人たちがいるんですか?」
ポンポンと飛び交う言葉についていけないメグミが素朴な疑問を口にする。それに答えたのは、隣のシートに座るハルカ・ミナトだった。
「極東軍とネルガルが癒着してるように、北米大陸ではクリムゾンコーポレートが、月面ではアナハイムエレクトロニクスがそれぞれ後ろにいるとは言われているわね。兵器産業の2大巨頭といえば、聞き覚えぐらいあるでしょ?」
「あー、それはさすがに聞いたことがありますね。地球規模の政策は国連が握っているけど、経済的に支配しているのはアナハイムとクリムゾンだって」
「経済界では常識の話なんだけどね、だから今回もきっとクリ……」
「ハルカさん」
さらに言い募ろうとするミナトに先んじるように、プロスペクターが言葉を挟む。さながら、給湯室のOLの噂話に割り込む係長といった感じだろうか。
「それ以上はさすがに。皆さんはすでにネルガルの社員ということになっておりますので」
やんわりとたしなめるような口調だったものの、ミナトはプロスペクターの瞳がちっとも笑っていないことを見て取り、じっと押し黙った。
「裏で何が起こっているかはこの際たいしたことではありません。問題は、この窮地をいかに脱するかですよ」
「うーん、それは難しいなぁ。いっそのことグラビティブラストでばーんっと!」
腕を組んでため息をつくプロスペクターに向かってどかーんと体ごとユリカが突っ込んでいく。だが、当のプロスペクターは小揺るぎもしない。
「ばーんと行けるんなら話は簡単なんですがねぇ。ガードダイモビックとの引継ぎもまだ完了しておりませんし、第一そんな事をしたら連邦軍を敵に回すことになります。地球圏を脱する前にそのような事態に陥ることは避けたいですな」
軍の言い分は確かに横暴である。だが、時勢が時勢なだけに軍備力増強をお題目に迫られたらこれを論破するのは難しい。不可能ではないだろうがあまりに時間がかかる。
「とりあえず、私はもう一度本社と掛け合いますので、明け渡しは時間ぎりぎりまで待ってください。それまでは通常運用ということで、艦長、副艦長、よろしくお願いいたします」
それだけ言い残してプロスペクターは自室へ戻ってしまった。彼の部屋にはブリッジの通信器具とは別の本社直通回線があるそうだ。
それを見送ったユリカがブリッジクルー全員に向かって宣言する。
「では、明日の朝までは特に動きはないようですのでー、今晩は通常の当直業務としまーす。今日はユリカが早番だから、ジュンくんはお疲れ様〜」
「わかった。とはいえ、目の前に戦艦が来てるんだから、何かあったら起こしてくれてかまわないよ」
挨拶を交わしてブリッジをあとにしようとしたジュンの前に、それまで無言を守っていたキョウヤが立つ。
「……何かな?」
「艦長と副艦長、あと……GGGのロボット、確かボルフォッグ、だったか?」
『……お呼びですか、キョウヤ殿?』
コミュニケを操作してハンガーデッキにいるボルフォッグを何の説明もなくキョウヤが呼び出す。
「朝までは人間の接近を警戒してくれ」
「どういうことだタカマチ?」
『機動兵器ではなく、人間ですか?』
「あれが本当にリリーマルレーンなら、モビルスーツも怖いが人間も同じぐらい怖い。こちらに白兵戦闘の兵力がないに等しいことぐらい、向こうもとっくに知っているだろう。ナデシコのクルーはほとんどが民間人、戦闘行動については素人の集団だからな」
素人の集団と言われて眉をひそめたジュンだが、キョウヤの言葉に腑に落ちない点が見つかり、顔を上げた。
「タカマチ、お前はあの艦、リリーマルレーンを知っているのか?」
「直接知っているわけではない。だが、僕の知っているザンジバル級でリリーマルレーンと呼ばれる艦は旧ジオン海兵隊のシーマ・ガラハウの艦だ。モビルスーツ戦なら今の戦力でも何とかなるだろうが、乱戦に持ち込まれてナデシコに乗り込まれたら防ぎようがない。だからこその警戒だ」
自分とそうそう年の変わらないキョウヤが、なぜジオンのことについてこれだけ詳しいことを知っているのか。それも気になるところだが、まずは目下の問題をクリアしなければならない。
ネルガルから直接派遣されたガードなのだから、過去に多少のことがあっても問題はないだろう。と、ジュンは自身を納得させる。
「わかった。タカマチの意見を受け入れよう。ボルフォッグ、聞いてのとおりだ。ポルコートと分担してナデシコの周り、ガードダイモビック周辺の警戒を頼む」
『了解しました、アオイ副艦長』
音声で返答を返したボルフォッグは、思兼とリンクしてナデシコのセンサーの情報も取り込みつつ、全方位の警戒を始めた。
1時間後、極東の標準時で日付が変わった頃。
『アオイ副長』
「……ボルフォッグか、どうした?」
『センサーで人間と思われる熱源の接近を感知しました。数は1』
ボルフォッグからの報告を聞き、ジュンは首をかしげた。
「1人だけ? 複数ではないのか?」
『はい、ガードダイモビック入口脇の物陰に車を止め、そのまま1人で係留ドックに向かっています』
ナデシコを占拠しに夜襲されることは考えられたが、まさかそれを1人でやるとは考えていなかった。
今の世の中、それが単独で行えるようなエージェントもいないわけではないが。
「何にせよ確かめないとならないな」
「ならば僕が出よう。ボルフォッグを貸してくれ」
「ボルフォッグを?」
「夜ならホログラフィックカモフラージュはまず見破れない。近づいて一気に制圧する」
傍らに控えていたキョウヤがそう進言する。しばし黙考して、ジュンは一つうなずいて見せた。
「わかった。出来れば尋問できるように捕まえられればベストだな」
「努力はする」
そういい残してキョウヤはブリッジをあとにした。
どうなるかはわからないが、判断が必要になると考えたジュンは、コミュニケでユリカとプロスペクターを呼び出す。
ナデシコとガードダイモビックの長い1日はまだ終わりそうにない。