戦闘中の昂揚感が身体から抜け切っていなかった。



 アキトは手の平を見る。

 いつもの見慣れた右手だ。だが……今は、血がべっとりと付着しているように感じられる。




 修羅の道に足を踏み入れたものは………………どれほど取り繕っても修羅のままか。




 掌を見詰めたまま、アキトは力の無い自嘲の笑い声を上げた。




 やり直すだと…………運命をかえるだと…………ハハハハハハハ。結果がこれか。あれほど人を殺しといて…………まだ殺し足りないか。


 俺は……………………。




 アキトは虚ろに顔を上げる。




 自動リフトで空戦エステバリスごと格納庫から整備場に運ばれていた。

 別に珍しいことではない。整備場まで運び、リフトでドックにいれるよりも、人が歩かせたほうが早い。

 今はまだ殆んど空きがある格納庫をなんとなしに眺める。




 『前回』はこんな所で戦闘などおきなかった。戦闘は第3防衛ラインでの事だった。


 歴史が変わり始めている。それも、急速に。


 火星ぐらいまでなら手綱を取れると思っていた。が、それも今や危うい。




 バタフライ効果。――例えば、北京で蝶が羽ばたくと、小さな連鎖が重なりやがて、ニューヨークの大嵐に変化を及ぼす。

 いわゆる、カオス理論。

 初期のほんのわずかな違いが、最終的に系全体に影響を及ぼす。今回は時空と言う名の途轍もないほど大きい系に影響する。




 今回、ここで300名以上の人命を奪った。後々、どのような反作用として自分たちの前に立ち塞がるか、まるで予測できない。





 アキトはパイロットシートに身を沈めた。






 やはり、誰かを味方として引き込んでおくか?







 一番良いのはアカツキ。


 彼がいれば専用エステバリスの開発、木連との和平と大きな手助けになるだろう。

 ただ、一つ問題がある。

 彼を引き込むだけの証拠が無い。そう…………自分が未来からきたという証拠が――。

 このマントに装備してあるボソン跳躍装置も、未来からきたという証拠にはならない。…………かなりの興味を示すとは思うが。

 未来のことを話す…………といっても、変わり始めている歴史が『前』の歴史どおり進む保障は限りなく小さくなっている。

 味方になってくれるとは思うが、『遺跡』のことでは間違いなく対立するだろう。






 次点は艦長であるユリカ。


 ……………………………………論外。

 『未来』を話せば信じるかもしれない。いや、間違いなく盲目的に信じるであろう。

 だが、彼女を操り人形のように操って、なにが贖罪か。なにが償いか。

 この『ナデシコ』はユリカあっての『ナデシコ』だ。そのユリカを自分の意のままに操ればここは『ナデシコ』ではなくなる。

 俺は『ナデシコの仲間』を護ると誓ったのだ。その『ナデシコ』を変質させてしまっては本末転倒だ。






 そして、その次は『星野瑠璃』


 この『ナデシコ』の実質的な支配権を握っている。

 彼女がいれば、艦内からのボソンジャンプの誤魔化しや、要所要所での『ナデシコ』の行動を変更してもらえるかもしれない。


 ただ……………………。


 コクピットの天井を見上げたアキトは大きく息を吐いた。

 そう…………ただ、彼女はなんか変だった。

 行動や、言語を取ってみても、何かおかしい。

 『前回』、自分を兄として慕ってくれた『星野ルリ』はああだっただろうか?

 『前』の『星野ルリ』は顔こそ無表情だったが、眼は感情豊かだった。眼を見れば何を話したいのか判ったぐらいである。

 だが、今の『星野瑠璃』はその金の瞳さえも、感情を読ませない。何かを押し込めているような徹底した冷徹な琥珀の瞳。

 はっきりと、どうとは云えないが、この世界の『星野瑠璃』は『異質』な感じがする。


 完成されたパズルに一つだけ別のパズルのピースが混じっているような。






 小さい振動が響き、アキトの思策と打算が途切れた。


 正面に視界を戻すと、ドックで手を振っている整備員がいる。

 アキトはパイロットシートに身を沈めたまま、IFS操縦コンソールに右手を伸ばした。


 格納庫と違って、整備場はいろいろなものが転がっているし、エステバリスの高さぐらいにケーブルが渡っていたりする。『前』はよく引っ掛けて、ウリバタケに怒られたものだ。

 少し懐かしい感慨に捉われながらドックに入る。

 フィードバック効果で、肩と腰に重石が乗っかるような感覚が返った。固定作業が済んだのであろう。


 搭乗口を開けて、滑るようにエステバリスから降りた。

 多くの視線がアキトに集まる。




 …………当たり前だな。これで怖がられないと考えるほうがどうかしてる。




 空戦型エステバリスを見上げたアキトは、口の端で笑ってから、格納庫を出て行った。










*








 プロスぺクターは扉をノックした。




 本来は艦長の役目なのですが………まあ、仕方ないでしょう。




「…………だれだ」

「プロスペクターです。扉を開けてもらえませんか?」


 音も無く扉が開く。


 シャワーを浴びた後なのだろう。黒髪を水滴に濡らしたアキトが出てきた。

 黒いTシャツに黒いズボン。暗く沈んだ黒瞳。


 プロスは無言でアキトの瞳を覗き見た。


 光の無い眼は、暗殺を済ましてした殺し屋のような生気の無い虚無の闇瞳。




 アキトは濡れた黒髪を掻き揚げた。

「何のようだ?」

「オホン………………実は先程、艦長命令を違反した処罰が決まりましたので――」


 その通告を聞き、アキトはニンマリと口を歪ませる。


「そういや、そうだったな。禁固刑か、減俸か…………それとも退艦か?」

「退艦されると、我々が困ります。禁固刑も減俸もあなたには堪えそうも無いので…………協議した結果、パイロットの任についていない時は別の仕事についてもらうことになりました」

「それで?」

「まずはこれに着替えてください」






 プロスが手渡したのは『黄色』の制服。その色にアキトの顔が大げさなくらい引きつった。





「どうしました?」

「…………いや、なんでもない。着替えてこよう」






*






 10分後。




 制服を着たアキトを連れて、問題の場所にプロスが立った。


 先程からアキトの顔は苦味を潰した表情になっている。ここへ来る足取りも重かった。




「ここがテンカワさんが、これから働いてもらう場所です」



 アキトは顔を上げる。そこにあるのは紛れも無く『食堂』




 アキトは唸るように喋る。

「…………コックでも…………やらせるつもりか?」

「それは、料理長である『ホウメイ』さんの判断によります。彼女に認めてもらうにはかなり至難の技ですが」


 メガネを押し上げて言うプロスにアキトは視線を沿わせる。





 …………知ってる。知ってるさ。十分すぎるほど知ってるさ。彼女に一品任せてもらうにはどれほどの努力が必要かぐらい、身をもって体験してる。





 だが、アキトの口から出てきたのは別の言葉だった。

「…………いったい、誰が、こんなこと決めたんだ?」




「我々です」

 プロスは即答した。




 あの時、実際に提案したのは『星野瑠璃』であった。ホウメイに連絡を取り、男手は要らないか?と。

 それをアキトに云うのは拙い気がした。


 そして『星野瑠璃』も艦長命令無視ということで減俸の処罰を受けていた。

 それをアキトに云うのはさらに危険な気がした。






「では、紹介をしましょう」

 プロスはアキトに追求される前に、話題を変える。




 威風堂々と立っている女性と、後ろに隠れるように覗いている5人の女性を紹介する。

「こちらが料理長の『ホウメイ』さん。右から順に『サユリ』さん。『ハルミ』さん。『ミカコ』さん。『エリ』さん。『ジュンコ』さん。このナデシコ食堂を担う方々です」




 プロスは彼女たちの方を見る。

「そしてこちらが…………まあ、いまさら紹介するまでもありませんが、『テンカワ・アキト』さんです。お仕事はパイロットなのですが、ちょっとした事情により食堂を手伝うことになりました」


 ホウメイさんだけには事実を告げてありますが…………あえて、言うこともないでしょう。


 プロスの紹介にホウメイは頷いた。

「こうして対面して挨拶するのは初めてだね。あたしが料理長の『ホウメイ』。軍が反乱をおこしたときには助かった。礼を言うよ」




 アキトが暗い眼を向けてくる。

「自分の仕事をしたまでだ。礼を言われるものじゃない」




「そうかい。じゃあ、そういうことにしておこうかね。…………ほらっ、あんたたちも挨拶しな」


 ホウメイの後ろに隠れている5人の女性たち――のちに『ホウメイガールズ』と呼ばれる彼女たちはアキトに怯えた眼を見せた。

「え、え〜と。は、はじめして」

「こんにちは」

「はい」

「よろしくっ」

「どうも」


 歯切れの悪い彼女たちの挨拶に苦笑するホウメイ。もともと、明るい彼女たちだ。かなり怯えているのだろう。


 ただ、そこに居るだけなのに、アキトの人を圧する雰囲気を感じれば十分に理解できるが。






 それよりも。




 ホウメイにとっては今、目の前にいる青年のほうが気にかかった。



 彼の眼。死人のような、虚無のような瞳。生きながらに死んでいる骸の瞳。

 月の内戦、アフリカ大戦を生き延びたホウメイだ。

 この瞳も見慣れたものであった。殺すことに疲れ、生きることに疲れ、死ぬこともできない兵士の眼。

 ホウメイはそんな彼らに、少しでも生きる喜びを、生きようとする意志を与えようと、軍で料理を作ってきた。

 もう、あの戦争から十年も経っている。未だにこんな眼をした青年に出会うとは思わなかった。

 この眼は無生物の木星蜥蜴と戦ってきた兵士の眼じゃない。間違いなく、人と人との戦争を潜り抜けてきた殺戮者の眼だ。

 多くの人の死を見、そしてまた、多くの命をその手にかけてきた一流戦士の眼。

 20歳以下の男子の眼ではない。そして、なってはいけない眼だ。


 …………救ってやらなければ。と、思った。


 詮索していい過去ではないし、また、ホウメイがどうこう言える立場でないのも理解している。

 それでも、死者の世界から、生者の世界へ引っ張り上げることはできないまでにしても、足がかりぐらいは作ってやれると思う。




 そこから抜け出すか留まるかは本人しだいだ。






 そんな思いを胸中に押し込め、ホウメイは笑みを作る。

「さて、テンカワ。料理はどれくらいできるんだい?」



「…………一通りは」




 その返事に驚いたホウメイだが、アキトとルリの食堂での会話を思い出した。

「コック見習をやっていたといっていたね。…………火星で」


 後ろの五人娘が驚きの視線で彼を見つめるのが感じられる。


「じゃ、ちょいとテストしてみようかね。あんたがどれぐらいの腕を持っているか把握しないと、仕事を頼もうにも頼めないんでね」

 アキトが頷くのを見て、ホウメイは厨房に入っていった。









*









 鈍い衝撃音がナデシコに響く。





 ナデシコにダメージがあるわけではない。ディストーションフィールドにミサイルが着弾した余波がナデシコに振動として届いているに過ぎない。

 今、ナデシコには第四防衛ラインからのミサイルが嵐雨のように降っていた。




 その振動を身体に感じながら通信席に座っていたメグミは、通信機を眺めている。



 その通信機は切ってあった。



 自分は通信士である。緊急の事態に備えて通信機はいれておかなければならない。

 だが、メグミは通信機を入れたくなかった。通信状態にすると先の怨嗟の悲鳴と呪詛の罵倒が聞こえてきそうだったから。





 メグミは目の前にポツンと置かれているヘッドセットをただ、眺めていた。





「メグちゃん。あんまり思いつめると身体に悪いよ」

 メグミが顔を上げると、ルリの頭越しにミナトが笑いかけてくる。

「食事でもしてらっしゃい。しばらくだったら通信士の仕事ぐらいワタシが掛け持つからね」

「あ………………はい」


 メグミは頷いたが、椅子から立ち上がれない。自分の物ではないように、身体が云うことをきかなかった。







 鈍い振動でナデシコの艦橋が響動する。







 アキトが…………アキトが…………アキトが…………アキトが…………。


 ユリカの思考は、壊れたレコードのようにエンドレスしていた。解答はすぐ目の前にあるのに、心が答えを出すのを頑なに拒否している。

 このまま、堂々巡りをしていれば現実が消えてくれるかのように。


 だが、現実は消えない。そして、ユリカは現実から逃避できる人間ではなかった。




 …………たまに、『妄想』には浸るが。




 フクベ提督が意気消沈しているユリカに言葉をかける。

「艦長。君も気に病むことはあるまい。艦長は彼を止めたのだ。それを無視して出たのならば、あれは一介の兵士の暴走だ。ほとんどの場合は死ぬが、彼は生き残った。それだけのことだ」

 フクベ提督の意見に元軍人のゴートも頷いた。

「その通りだ。能力があれば何をして良いというわけでない。テンカワのアレは本来なら銃殺刑ものだ。今度の処分は甘すぎる。いや、あれは処分などとは到底言えない」



 二人の見解にもユリカは俯いたまま反応を示さない。



「艦長も着替えて、食事でも行って来たらどうですか?」

 他人に気遣うなど無縁のような少女が艦長に声をかけた。


 これには、振袖姿で物思いにふけっていたユリカも、驚いて顔を上げた。




 全員が艦長を見ているルリの金の瞳に注目した。

「もちろん、長い時間席を外されては困ります。第三防衛ラインに到着するまでの、あと15分強なら大丈夫なはずです。絶対とはいえませんが」


 今度はユリカの顔に視線が集まる。


「う……うん。ごめんなさい。ちょっと席を外します」




 メグミとユリカが艦橋から出て行くと、また静けさが戻った。









 鈍い振動が艦橋を揺らす。









 ブリッジにいるのはフクベ提督、ルリ、ゴート。そして、ミナト。

 ほとんど、全員があまり喋らない者ばかりだ。

 静まり返ったブリッジにまた、衝撃音の轟きが響く。



 それぞれが何を考えているのだろうか?口を利くものは一人もいなかった。



 だが…………。ミナトは思う。十中八九、皆が考えているのは先の戦闘とテンカワ・アキトのことだろう。

 ミナトもそうだった。一人のパイロットの暴走といってしまえばそれまでだが、あれは間違いなく自分たちが戦艦に乗っていることの証明だった。

 どんな建前やお題目を唱えても、これは戦争のための、戦うための『戦艦』だと云うことを。

 自分は始めから、こういうことに巻き込まれるだろう事を『覚悟』して乗った。

 その戦争に巻き込まれたからといって、今さら慌てふためくことでもない。



 ミナトはチラリと隣に目線を流す。


 そこには白磁の人形のような無表情でモニターを眺めている少女。

 そして、あの時『自分も殺戮者だ』と言い切った少女。

 どうやってか知らないが、あの惨事を予測していたのだろう。

 それでいて、殺戮に荷担したと自責している少女。

 だからといって、絶対に賞賛などできない。平然と人を殺すと言い放つ行為を、認めることすら許してはいけない。


 でも……………………。




 考え込んでいるミナトの視線に気付いたように、ルリが金の瞳を向けてくる。

「なにか?」

「…………ルリちゃんは大丈夫なの?」

「ミナトさんのほうは?」


「そうねぇ」ミナトはちょっと笑みを浮かべ。

「ルリルリが怖いと泣き始めたら、ワタシも取り乱そうかなぁ?」



 二人の間に少しだけ沈黙が訪れた。



 ミナトは口を閉ざしたルリの顔を覗き見る。

 顔は無表情だが、眼に驚きが宿っていた。


 この少女にしては、非常に…………途轍もなく非常に珍しいことだ。


「どうしたの?ワタシ、何か変なこといった?」

「いえ……あの…………ルリルリ…………って」

「あらぁ、嫌だった?」


 ルリは目線を逸らす。

「いえ…………別に」

「似合っている愛称だと思うんだけどなぁ」



「…………はあ」







*





「おや?艦長さんじゃないか。こんな時に、こんなとこに居て良いのかい?」



 食堂の机に突っ伏し、項垂れていたユリカが顔を上げると、ホウメイが笑っている。

「あ…………ホウメイさん」

「なにか頼むかい?」

「え〜〜〜と、軽いものを」


 ユリカの注文を聞き、ホウメイが厨房に振り返った。

「テンカワ。サンドイッチ、一つ入るよ」




「はい」




 その声に、ユリカの頭に犬の耳がついたようにピクリと動き、顔を上げ厨房に視線を送る。


 そこには、エプロン姿の黒髪の青年が微かに微笑みながら包丁を握っていた。


「あ〜〜〜〜〜!!アキト、アキト、アキト、アキトだ〜〜〜〜〜〜〜!!」


 その大声に食堂にいた数人が耳を塞いだ。

 呼ばれた青年はユリカに眼をやり、息を吐く。

「…………ユリカか」




 子犬が、泳ぐようにバタバタと手足を振り回して、ユリカはカウンターに這い寄った。


 アキトの冷たい視線など、なんのその。子犬のように眼を輝かせ、頬を上気させている。




「なんで、アキト。こんな所にいるの?」




 アキトは半顔を片手で覆った。

「おまえらが決めたことだろうが。…………艦長命令違反の罰則で、食堂で働けって」


「あれっ?そうだっけ?」


 そういや、あの戦闘の後、皆が何か話し合っていたような気がする。

 ユリカはほとんど聞いていなかったが。


「サンドイッチだったな」

 そう言うと、アキトはなれた手つきで食パンを切り始める。




 その姿からユリカは眼を離せなかった。





 死神のようなパイロットのアキトではない。自分が幼い頃一緒だった、王子さまのアキトの姿がそこにあった。


 自分が待ち望んだ優しい『王子さま』のアキトが『ここ』にいる。




 カウンターにしがみついて、アキトを見詰めていたユリカの眼から涙が零れ落ちる。





 嬉しかった。…………嬉しくて泣いていた。





 食堂にいた数人が息を殺してユリカを見ていた。

 アキトは背を向けているので気づく様子はない。




「艦長。座ったらどうだい」




 後ろからホウメイの優しい声が聞こえてくる。


 涙を拭い振り返ると、ホウメイが柔らかな笑みを浮かべていた。



 ユリカが座った隣にホウメイも座る。


 ホウメイは片肘をつき、野菜を切るアキトの後姿を眺め、誰とも無く喋り始めた。

「…………たぶん。あれが、本当のテンカワなんだろうね。ぶっきらぼうを装っちゃいるが、料理が好きで、好きでたまらない。そんな気持ちがその姿からわかるよ」

 その柔らかな口調に、ユリカだけでなく、同じカウンターに座っていたメグミもアキトの背中を見詰めた。

「これでもあたしはコックさ。料理の好きなやつ、嫌いなやつ。その眼を見れば判断できる」

 ホウメイの話に二人は神妙に耳を傾けている。

「テンカワはその中でも、とびっきり料理が好きなやつさ。間違いない。あたしが保証するよ」





「でも…………なんでアキトさんは、あんなこと」

 メグミが言葉を濁しながら、それでもホウメイに質問した。




「あんなこと?」




「見てなかったんですか。連合軍との戦闘を――」

「途中で、艦内放送が切れちまったよ。なんでも敵弾のせいだとさ。なにがあったんだい?」


「アキトさん。連合軍を壊滅に追いやったんです。何人もの兵士たちが助けてくれって…………。それでも、アキトさん。止めないで、さらに多くの兵士の人たちを………………」

 メグミが泣きそうな声で話した。




「そんなことがあったのかい」



 ホウメイの相づちに、二人が頷いた。




「フウ。戦争ってのはそういうもんさ。と、いっても二人とも納得しないだろうね。………………そうだね。テンカワは護りたいものがあって戦った。それは何よりも護りたいものだった。例え、手を血に染めても、他人の命を奪っても」


 メグミがアキトの背にチラリと眼を転じてから、ホウメイを見る。

「守りたいものって?」

「テンカワは自分で云っていたじゃないか。『ナデシコの仲間』だって」

「でも、まだ出航して2日目ですよ」


 ホウメイはテンカワの後姿を眺める。

「そうだね。それはテンカワに訊いてみないと判らないよ。人はそれぞれだからね。ただ、テンカワは自分の命を盾にしてでも、この『ナデシコ』を護ろうとしている」


「でも、だからって――」


「そうさ。テンカワのやったことは許されることじゃない。
だが、どちらにも主義や主張はあるだろう。
あたしたちは火星に行かなきゃならないし、軍は単独の行動を許さない。どちらも引けない。

…………で、艦長は何をやったんだい?」






「えっ?」




 突然、尋ねられたユリカが眼を瞬いた。




「刃を剥き出し合う前に艦長は何をしたんだい?無理を通せば道理が引っ込む……なんてのは、ありえないよ。無理を通せば、互いの無理が衝突しあうだけさ。『力』という名の無理がね。」



 ホウメイは料理長という場違いな立場ながらもあえて艦長に訊いた。



「テンカワの行為は許されるものじゃない。じゃあ、艦長。テンカワにその行動をとらせる前にやれることがあったんじゃないのかい?」








「あたしが………………やること?」












 ユリカが不思議そうに首を傾げた。













 ホウメイは大きく息をつく。

「まっ、あたしが偉そうにお節介できる分野じゃなかったね。料理長の戯言だと思って聞き流してくれて構わないさ」


 ユリカとメグミが自己の思いにふけるように押し黙った。




 そこへアキトが皿の上に盛った数個のサンドイッチを持ってくる。

「あ〜〜、アキトの手料理!!」

 先の話も忘れたかのようにユリカが飛び上がり、喜びの歓声を上げる。


 苦笑したアキトは、首を振った。

「パン切って野菜切って、挟んだだけだ。とてもじゃないが、手料理とは呼べない」


「それでも、嬉しい!!」

 ユリカはサンドイッチを見つめた。







 ユリカの眼に浮かぶのは引裂かれていく連合軍艦隊。耳に残るには兵士の怨嗟の絶叫。


 アキトの冷笑。ルリの無慈悲な言葉。立ち尽くす自分。


 恐怖。悲鳴。破壊。惨殺。悪罵。呪詛。…………そして、悔恨。


 ユリカは大きく息を呑み込み、ゆっくりと吐き出す。





 アキトを真正面から見上げ、ユリカはサンドイッチを前にして満面の笑みを浮かべた。



「アキトはあたしの『王子さま』!!」



 ユリカのきっぱりと宣言した言葉にアキトが微かに苦笑を洩らした。








「あ、アキトさん。アタシもサンドイッチお願いしていいですか?」

 メグミの注文にアキトが無言で頷いた。


 もう一度、厨房の奥に戻ろうとするアキトをユリカが呼び止める。

「ねぇ。アキト!!ハンバーグ作れる?」

「…………ああ」

「じゃあ、夕食にお願い」


 その要望にアキトは首を振って拒否した。


「ええ〜〜〜〜〜〜〜!!どうして!?」

「ホウメイシェフの許可を貰ってない」


「ほえ?」



 首を傾げたユリカにアキトは諭す。

「ここの料理長はホウメイシェフだ。ホウメイシェフの許可が無ければ、俺は客には出せない」

「じゃあ………………」

「例え、艦長命令だろうが、提督命令だろうが、料理長の許可が無ければ俺は作らない」



 ユリカの表情から察知し、アキトはユリカの思惑を封じた。


「厨房の中に限っていえば、料理長の言は絶対だ」


「そんな〜〜〜〜〜〜〜」


 止めを刺されたユリカは、泣きそうな声で、悲嘆にくれる。

「せっかく、アキトのラブラブ手料理が食べられると思ったのに…………」



 哀しい溜息をついたユリカは大口を開けて、サンドイッチに齧り付こうとしたところで、ルリからのコミュニケ通信が入った。

「第三防衛ラインに入ります。艦長。それと、メグミさん。ただちに所定の持ち場に戻ってください」



「え〜〜〜〜〜〜。せっかくアキトの手料理食べようと思っていたのに」


 コミュニケの中のルリはチラリとサンドイッチに眼を落とし、無感情に告げた。

「兎に角、戻ってください」


 「ぶう」と文句を云うユリカの頭上越しに、アキトはルリに訊ねる。

「俺は…………どうする?」



「先程、眼を覚ました山田さんが、テンカワさんの戦闘を知って暴発状態です。止めても聞きはしないので、山田さんに出てもらおうと思っています」



 アキトはふと思い出した。

「ガイ。…………足、折ってなかったか?」

「ネッケツやらカッケツやらのパワーで直したそうです」

「………………………………直るのか?」

「でも、現実に直ってますから」

「…………そうか」




 ガイ、おまえは…………などと思ったアキトはつい、唇を笑いの形に歪めた。

 もっとも、この2197年において、骨折などどうとでもなる。それこそ、医療用ナノマシンでも打てば、ものの十数分で完治する。


 要件だけを告げたルリが通信を切ってしまい、コミュニケ画面が消えた。




「二人ともブリッジに早く戻れ」




「ええ〜〜〜〜〜〜。でも、アキトのサンドイッチ〜〜〜!!」


「持っていけばいいだろう」

 アキトはなんでもないことのように放った提言に、ユリカはポンと手を打つ。




「そっか!!その手があったんだ。アキト、頭いいね。と、云うわけでブリッジにレッツらゴー!!」




 サンドイッチの入った皿を小脇に抱えて早足で――スキップでブリッジに行くユリカ。





 メグミがアキトへ振り返った。

「いいんですか?」












「…………………………知るか」







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