L2−サツキミドリ2号。
月の外側を周回しているこの衛星は直径50キロメートルの隕石を改造して作り上げた外宇宙軍事拠点である。
人口は約300人と、その規模に反して少ない。
衛星の中心に核融合炉を持ち、50センチレーザー砲を幾重にも配備し、電磁シールドを装備していた。
それでも、木星蜥蜴を前にすれば玩具の城、同然だった。
陣を組んだ艦隊のグラビティブラストを喰らえば、文字通り宇宙の屑と化すだろう。
本来ならサツキミドリ3号、4号と作られ、火星防衛の中継地点となるはずだった。
が、そんな地球側の思惑などあっさり覆され、火星はサツキミドリ2号が出来た時点で落とされてしまった。
その後、ここは木星蜥蜴の動向を調べる見張り矢倉となっている。
もちろん、狙われるのは百も承知だった。その為、いつでも脱出できるように、ここには軍人しかいない。
正確には、民間企業ネルガルから出向という形を取っている民間軍人たちと、それを指揮するために連合軍から派遣された正規軍人の混合部隊と云うべき集団。
現在、多少の危険はあるかもしれないが、地球からサツキミドリまでは『地球領域』という名がついていた。
ナデシコも少しは肩の荷が降ろせる航程だった。
「と、云うか。やることがなくなるとぉ、途端に暇になるのよねぇ。ブリッジって」
ミナトがファッション雑誌をめくりながら、出前の青年に笑いかける。
「それなら、何故、食堂に出前を頼むんです?暇なら、自分の足でくればいいでしょうに」
答える青年の口調は呆れていたが、眼は笑っていた。
「ミナトさん。注文もらったホウメイシェフ特製チーズバーガーです」
「ありがとぉ。アキトくん。ダイエットしてるっていったらぁ、ホウメイさんがカロリーきちんと考えてハンバーガー作ってくれてねぇ。これが、また美味しいのなんの」
出前の青年――アキトは少し諌めるような表情を作る。
「だからといって、そればかりだと身体壊しますよ」
「は〜〜〜〜い」
ミナトが素直に返事をした。素直なのは返事だけだが。
メグミが通信席から身を乗り出す。
「あの、アキトさん。アタシが頼んだものは?」
「サンドイッチだったね。持ってきた」
アキトはラーメン配達に使うようなナデシコ印の岡持からサンドイッチを盛った小皿を取り出した。
「はい。メグミちゃん」
「ありがとう。アキトさん。アキトさんの作ってくれるサンドイッチて美味しくて、病み付きになっちゃいます」
眼を輝かせてメグミはアキトからサンドイッチを受け取る。
「アタシ、アキトさんが作った別のお料理も食べさせてもらいたいな〜〜」
アキトは小さく苦笑する。
「それはまだ、無理。ホウメイさんから許可が下りてない」
「そんなに厳しいんですか?」
「と、いうより俺の味覚にまだズレがあって――」
「「ズレ??」」
二人ともアキトの言葉の意味が分からず首を傾げる。
アキトは「話しすぎた」と顔を顰めるが、二人の好奇心に染まった瞳が黙ることを許さない。
「…………昔、ちょっとしたことがあって……。今、どうしても薄味になってしまう。感覚を取り戻すまで、もう少しかかりそうだ」
「ちょっとしたことって?」
「……………………」
アキトは無言を返す。『前』のことは口が裂けても話すつもりはなかった。
アキトの深い混想の黒瞳に二人はそれ以上、尋ねることが出来なかった。
重い沈黙に、メグミは慌てて話題を変える。
「あ…………それじゃあ、アタシ、味見しましょうか?」
メグミの申し出にアキトは首を振った。
「ホウメイシェフがいるから、大丈夫だ」
「でも、ほらっ、いろんな人に意見を聞いたほうが…………」
「百人に感想を聞くよりも、コック一人の舌のほうが確かさ。それが一流のコックともなればな」
「…………でも……」
まだ言いよどんでいるメグミにアキトは笑みを見せる。
実を言えば、確かに色々な人から感想を聞いたほうが良いのだ。
料理など、各個人で好みの変わるものにでは特に。
だが、アキトはホウメイ以外の人物に味見をしてもらうつもりは無かった。それが厨房の仲間であってもだ。
アキトの脳裏にチキンライスを頼んだ少女が思い浮かぶ。
自分の最初の料理は白銀の少女に食べて貰おうと決めていた。
彼女がクルーと自分の間に立って仲介してくれていなければ、今の自分の立場は無かっただろう。
初めの出撃のとき然り、軍の反乱のとき然り、連合軍の戦いのとき然り、直接は訊いていないが自分を食堂に放り込んだのも、あの少女だろうとアキトは確信していた。
今のアキトが、また『ナデシコ』の日々を送れるとは、乗り込んだ当初は予想もしていなかった。
クルーに忌み嫌われ、避けられる日々。アキトはそれを覚悟して『ナデシコ』に戻ってきたのだから。
と、そんなことよりも――たしかに出前も大事だが――そのためだけに、ブリッジに来たわけではない。
アキトはミナトに視線を合てる。
「ミナトさん。少し話があるんだが?」
「あらぁ、なぁに?恋の相談?」
「あ…………あの、アタシ、席外しましょうか?」
興味津津に眼を輝かせるミナトと、席を立とうとするメグミをアキトは手で制する。
「いや、そうじゃない。…………ここらで一度、相転移エンジンをフルで回したほうがいいと思ってな」
「「はぁ?」」
「サツキミドリを越えると修理する場所などない。だから、サツキミドリまでエンジンをフルパワーで回して、その損耗度を見ておいたほうがいい………………もし、どこか故障しても、サツキミドリで直せる」
なんとも………………我ながら苦しい説明である。
エンジンをフルパワーで回したって壊れないことぐらいすでにネルガルが実験しているはずだ。
だいたい、そんな安全性に問題あるものを戦艦に載せるはずがない。
だが、アキトには予定航行よりサツキミドリに早く辿り着く言い訳など、これくらいしか思いつかなかった。
それも、ユリカに直接言えば、必ずプロスやゴートが口をはさんでくる。
ルリに言えば、正論でこちらがやり込められる。
だから、操舵士のミナトに直接言うしかなかった。
だが、アキトは一つ失念していた。それは、
「でもぉ、普通、戦艦にエンジン載せるときには、十分にテストするはずよぉ?」
ミナトは頭の回転が速かった。アキトの思いつく矛盾など一瞬で看破される。
「それも……………………そうだな」
アキトは心の中だけで諦めの吐息を吐いた。
駄目なら駄目で仕方がない…………か。
リョーコちゃんたちが心配だが………彼女らも一流エステバリスライダーだ。
自分たちで、何とかできるだろう。
こちらからは…………正直、打つ手がない。
星原が映るメインモニターを眺めるアキトにミナトが笑いかけた。
「それに、これ以上スピードを出そうと思っても出せないしねぇ」
「はっ?」
ポカンと口を開けるアキトの顔が面白かったのかミナトが笑い声を上げる。
「ルリルリがねぇ。相転移バランサーの効率がいい、新しいプログラム組んだんだってぇ。
それで、サツキミドリまで全速走行してぇ、その完成度を確かめたいからって、プロスさんを通して正式な命令書を持って来たわ。
だから、アキトくんが心配しなくても全力疾走中ぅ」
「ルリちゃんが?」
「そっ」
「予定より、どのくらい早く着くんだ?」
「今、ルリルリがいないから正確な所はわかんないけどぉ、6時間ぐらい早くなるって話よ」
「……………………」
………………偶然か?
まさか………………知っている?
そんなはずはない。断じてない。それなら、あの場所に俺一人が倒れていた理由が思いつかない。
では、やはり偶然か?
だが……………………。
ここは俺の知っている『ナデシコ』だが、『星野瑠璃』の行動だけが予測つかない。
………………やはり、ここはパラレルワールド。平行世界ってやつか?
『前』にイネスに説明を受けたことがある。6時間ぶっ通しやられて、気を失いかけたが。
今の『星野瑠璃』だけが、『前』の『星野ルリ』と違いすぎる。
平行世界だからなのか…………それとも…………他に理由があるのか。
「…………キトさん…………アキトさん。アキトさん」
メグミの声で深い思考の奥から引きずり戻された。
「あ…………なんだい。メグミちゃん?」
「どうしたんですか?急に考え込んじゃって?」
「あ〜〜。…………素人がエンジンの心配してもしょうがないなと、今、反省していたとこだ。ルリちゃんがいれば、悪くなったとこなんて一発でわかるだろうしな」
メグミがアキトの虚言に笑顔を見せる。
「そうですよね。あんな小さいのに、ナデシコのことならお任せって顔してますもんね〜〜。…………ところで、そのルリちゃん何処いっちゃったの?」
三人の眼が真ん中の空席に注がれた。
そこには『臨時』の名札を付けている、ソフトビニール製の『ウミガンガー人形』
メグミがシートに置かれている人形を手に取る。
「何なんですかね。この人形?」
「さぁ?ただ、ルリルリ、あと二種類、似たような人形を持ってたわよぉ」
「……ゲ………………………………ゲキ・ガンガーだ」
目眩を起こしたかのように、額に手をやりアキトはうめいた。
「ゲキガンガー?」
「それって、ダイゴウジさんがよく騒いでいるあれですか?」
「ルリルリ、ファンなのかなぁ?」
「……………………それは………………ないと思うぞ。…………………たぶん」
ここは平行世界だ。絶対に!!
驚愕の視線でウミガン人形を凝視しながら、アキトは文句なく確信をする。
「…………で、その肝心のルリちゃんは…………どこに?」
ゲキガンガーを見たことのないミナトはアキトが何に面食らっているのかイマイチよく解らず、不思議そうな表情を浮かべながら返答した。
「トレーニングルームよ」
「トレーニングルーム?」
聞き間違いをしたのかと思い、訊き返したアキトにミナトが頷く。
「そう。なんでもぉ、一日4時間はトレーニングルームに篭って、身体を動かしてるんだってぇ。じゃないとぉ、すぐ身体がナマルとかいってたわ」
「あっ。アタシも聞いたことあります。暇な時間を見つけては、身体を動かしてるって」
『前』の『星野ルリ』は暇な時間を見つけてはテレビゲームをしていた。
その腕前はかなりのもので、『前』に対戦したアキトはいつもボコボコに敗けていた。
その『ルリ』ちゃんが、暇を見つけては…………運動している?
あまりにも『前』と違う『瑠璃』にアキトは思わず乾いた笑い声を上げた。
「ハ……ハハハハハハ………これは本格的に、俺の知っている『ルリ』ちゃんじゃ………ないな」
「俺の知っている?」
「ルリちゃん?」
聞きとがめた二人が疑惑の眼差しをアキトに突き刺した。
これはもう、どう考えても捨て置けない。間違いなく、何かを隠している台詞である。
二人の鋭利な視線にアキトの顔が引きつった。
「ねえ、アキトさん」
「ちょっとぉ、教えてもらいたいなぁ?」
立ち昇るオドロしい雰囲気にアキトは後退った。
のちに、地球と木連を恐怖に叩き込む男を二人の女性はジリジリと追い詰める。
「さぁ、アキトくん」
「しっかり、吐いて貰いましょうか」
爛々と眼を光らせている二人の顔にニヤリと嗤いが加わた。
………………………………助けてくれ。
内心、アキトは本気で助けを求めてしまった。
もっとも、アキトに応えるような奇特な神や仏がいるわけない。
「あ〜〜〜〜〜〜〜!!アキト〜〜〜〜!!食堂にいないと思ったらこんなとこにいたんだ〜〜!!プンプン!!ユリカ。捜したんだぞ〜〜〜!!ルリちゃんも見当たんないし、艦中探し回ったんだからね!!」
悪魔は応えてくれたようだ。
「ユリカ!!…………あ〜〜〜。そうだな。サボっている訳にはいかないな。食堂に戻るか」
そのまま、逃げるように立ち去るアキト。いや、実際、逃げ出した。
「あっ、アキト!!待ってよ〜〜〜〜!!」
ユリカが追いかけてゆく。
昨日からユリカはアキトと鬼ごっこばかりやっていた。ダイエットには丁度いいのかもしれない。
立ち去った二人を見送りながら、ミナトは口を開いた。
「…………なんかぁ、あやしい」
メグミも頷いた。
「…………あやしいですよね」
二人は顔を見合わせる。
「「絶対にあやしい!!」」
機動戦艦ナデシコ
フェアリーダンス
第一章『ジェノサイド・フェアリー』
第四話『水色宇宙に………………水色宇宙って、なに?』
「あと一分で、コロニー見えます」
目の前に広がるのは星芒の海原。
肉眼では星々しか見えないが、レーダーにはしっかりとサツキミドリが映っていた。
ルリの報告を受けて、ユリカが号令を発する。
「ディストーションフィールド解除。停泊準備」
凛とした声音から聞くと、18時間、アキトを追いかけ回していた疲れは無いようだ。
メグミは通信を入れる。
「こちら機動戦艦ナデシコ。サツキミドリ2号聞こえますか?」
メグミの通信に、軽薄そうな若者の声が打って返した。
「こちらサツキミドリ2号。感度良好。いや〜〜可愛い声だねぇ」
可愛い声?当たり前。これでも元声優だし。
「これより停泊します。準備のほうは?」
若者が軽薄な口調で即答する。
「オ〜ケ〜。オ〜ケ〜。準備は万全。いつでもいいよ。3番ゲートに停泊してくれ」
メインモニターに赤や、青、緑、黄色、白などの極彩光で彩られた衛星が見えてくる。
「3番ゲート確認。航路図送ります」
ルリから投げ送られたウィンドウ画面をミナトが受け取った。
「は〜〜い。後は操舵士のお仕事ねぇ。大丈夫。頭の上に置いたコップの水すらこぼさないように停泊させるわ」
「重力設定および加速Gキャンセラー正常作動中」
にこやかに微笑みながら、ミナトはミリ単位の操艦をしていく。
「ルリルリ、それは言っちゃいけないお約束よぉ」
遠目には岩石にクリスマス用のランプを飾ったようなサツキミドリも、間近では人工のゲートや、砲台などを実装しているのが確認できる。
3番ゲートは真四角に洞窟をくり貫いたような作りになっており、淵を赤いランプで囲っていた。
表面は無骨な岩肌だが、内部は鉄鋼の人工物で骨組みされており、中も橙色の光明で照らされ、停泊スペースを緑色のランプで指し示している。
ゆっくりと近づきつつあるナデシコを呑み込み、なお余裕のある巨大なゲートを、初めて宇宙に出たクルーは見上げ、唯々感心しているだけであった。
ミナトの操艦するナデシコは危なげなく、ドックに進入していく。
「3番ゲートまで、1000メートル、800、600、400、200、停止位置に到着。停泊します」
ルリの声と共に、ナデシコがゆっくりと停泊スペースに着陸した。
「ナデシコ。サツキミドリ2号、3番ゲートに到着。火器安全装置セット。システム待機モード。ブレーキシステムオールグリーン。エンジン出力、0、0、0。全て異常なし」
「「「「「ふう〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」」」」」
ブリッジのクルーから大きな吐息が漏れた。
何処かへ停泊するというのはこれが始めてである。何事もなく無事に着陸したことに、皆は素直に安堵の溜息を吐いた。
「ようこそ。サツキミドリ2号へ」
管制の若い男から歓迎の声が通信が入った。
「あっ、ナデシコ艦長のミスマル・ユリカです。予定では…………えっと、2日滞在させてもらいます」
「はいはい。ヨロシク。いや〜〜〜、それにしても艦長からして美人ぞろいですね。羨ましいぐらいだよ」
「は、はあ…………そうですか」
ユリカの戸惑った声にロン毛の青年の管制官が声を立てて笑う。
「それじゃ、また後で」
型どおりの挨拶で通信が切られた。
プロスは眼鏡を押し上げ、クルーを見回す。
「と、云うわけで、ナデシコはサツキミドリに2日間滞在します。その間に、0Gフレーム、各種弾薬、物資などの補給を行います。まあ、危険はないと思いますが、何かあった場合は速やかにナデシコに戻ってください」
メグミが手を上げた。
「自由行動をしてもいいということですか?」
「仕事が無いかたは、それもいいでしょう。自由行動といっても、ここは軍事拠点なのであまり面白いものは並んでないと思いますが。まあ、見識を広げるには良い場所でしょう」
「社会見学ってことぉ」
首を傾げたミナトにプロスは教師のような笑みを浮かべる。
「要塞見学ってところでしょうか。内部を見られる機会などほとんど無いので一度、見ても損は無いと思いますよ。はい」
「じゃあ、あたしはアキトとデートッ!!」
飛び上がった艦長にプロスは釘を刺す。
「ああ。そうそう。艦長と副艦長は停泊の書類記入がありますので、残ってください」
「ええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ ぇぇぇ!!」
「艦長が署名しなければいけないところが多々ありますので、ジュンさんに押し付けることはできませんよ」
プロスはユリカの行動を先読みして、杭を刺した。
「そ゛んな゛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
ユリカがクズクズと崩れ落ちる。
ミナトがう〜〜〜んと伸びをした。
「さてぇ、ワタシたちはどうしようかな?」
「要塞を見学しても、あまり面白そうじゃないですよね」
「まあねぇ〜〜。ミリタリーが好きな子なら、楽しいんでしょうけどねぇ」
ミナトが横目で白銀の少女を見る。
「ルリルリはどうするのぉ?」
「…………さあ」
ルリの気の抜けた返事と同時に、メインモニターにコミュニケ画面が立ち上がった。
「………………プロス」
そこには漆黒のバイザーに黎黒のマントを羽織った青年が映し出される。
楽しそうに食堂で働いている姿からは想像もつかないほどの圧迫感を放ちながら、アキトはブリッジを睥睨した。
「俺は0Gフレームを受け取りにいく」
「それは……あと、数時間後に搬入されますが」
冷汗をかくプロスにアキトが薄い嗤いを浮かべた。
「…………念のためさ」
「まあ、そう云われれば………かまいませんが」
「俺もいくぜ〜〜〜〜〜〜っ!!これ以上アキトばっかに格好いい役やらせっかよ。真のヒーローが誰だが教えてやるぜ!!」
ブリッジに山田の大音声が響き渡る。
「いいかアキト!!お――」
「通信カット」
澄んだ声が透り、ブリッジに静寂が戻った。
「ナイス。ルリルリ」
ミナトが親指を立てる。そのジェスチャーは皆の心を代弁していた。
ルリが無感情の眼をアキトに向ける。
「テンカワさんのコミュニケにサツキミドリの見取り図と0Gフレームの取引場所を転送しておきます」
「ああ」
「待って、アキト!!ユリカも行く〜〜〜!!すぐに書類記入終わらせるから少し待ってて!!ねっ、アキト!!デートしよう。ねえ、アキトってば!!」
「そうそう。艦長。停泊書類を記入し終わったら、サツキミドリの総司令とお会いする予定が入ってまして。ああ、物資搬入の書類にもサインしていただかないと」
「それに、ユリカ。ネルガルへの報告書も仕上げないと。締め切り過ぎてるよ」
懲りない艦長にプロスとジュンは、トドメの槍を突き刺した。
「そ……そんにゃ〜〜〜〜〜〜」
クズクズとユリカが涙の海に蕩けていった。
『たれユリカ』など眼に入っていないような冷徹な口調でアキトがプロスに告げる。
「俺は行かせてもらうぞ」
「はい。お気をつけて」
「ア〜〜〜〜〜〜〜キ〜〜〜〜〜〜〜ト〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
*
アキトはコロニーの中央高速エレベーターに乗り込んだ。
コロニーの構造はどこも似ていた。『前』に、月にあった秘密ドックとほとんど同じ手順ですむ。
コミュニケを操作し、目的地を確認すると、慣れた手つきで階数を入力した。
電子音一つで、到着予定階数が電子板に出力される。
後は、自動的に運んでくれるはずだ。
今回は『前』より6時間程の猶予があった。
しかし、それは『前』と同じ通り、事が進めば…………という条件がつく。
いつ、何が起こるかわからない。地上での出来事も含め、アキトは深く肝に銘じていた。
今回も、『前』より早く敵が襲って来る可能性は十二分にある。
もし、木星蜥蜴がナデシコのサツキミドリ寄港を捉えていたら…………。ヤツラは躊躇無く襲撃してくるであろう。
手早く0Gフレームを獲得しておかなければならない。
一分足りとも、時間を無駄にする気はなかった。
エレベータの扉が閉まりきる寸前、外から手が挟まれ、扉が開いた。
そこには息を切らした山田とメグミ。
「バカヤロウッ!!俺も一緒に行くって言っただろうがっ!!」
狭いエレベータで怒鳴られ、アキトは顔を僅かに顰める。
「………………そうだったな」
頭を掻きながら山田が口を捻じ曲げて、アキトを見下ろす。
「な〜〜んか。その姿の時には、やりにくいんだよな」
「乗るなら、早くしろ」
その言葉にメグミと山田がエレベーター乗り込み、扉が閉ると、高速下降による浮遊感が襲う。
「おいっ、ずいぶん下に行くんだな」
「…………ああ」
素っ気にない返事に、メグミはアキトを凝然と眺める。
サツキミドリに入港する前、メグミはブリッジでアキトと話したが、どうしてもあの時と同一人物に思えなかった。
まるで…………別人のような。
「あの…………アキトさんですよね?」
メグミは何をバカなと自分自身で思いながらアキトに訊ねるが、アキトは無言のまま虚空を眺めているだけだった。
沈黙しているアキトに不安を覚えたのか、山田が躊躇いがちに声をかける。
「おい……なんとか言ったらどうなんだ?」
『チン』と云う電子音と共にエレベーターが停止し、扉が開いた。
「行くぞ」
短くそれだけ告げると、アキトが歩き出す。
山田とメグミは互いに顔を見合わせた後、慌ててアキトを追いかけた。
エレベーターから降りた先は、途轍もなく広い空間がひらけていた。
上は見渡す限り、縦横無尽に通路が渡り、満天を被っている。
通路を照らすナトリウム照明で、橙色光が木漏れ日のように帯状に空間に差し込んでいた。
迷い込んだら、一生出られないだろうと予感させるほどの網目状の陸橋が、鈍い橙銀色に反射している。
今歩いている幅4メートルの通路から下も同じような通路が、遥か下の階層まで張り巡らされていた。
時たま、豆粒のような車両が道を通過していくのが見える。
メグミと山田はポカンと口を開けたまま、首を上に固定したまま固まっていた。
こんな光景は今まで見たこともなかった。
プロスが言ったとおり、一度見ておいて損はない。その一言に嘘はなかった。
アキトはそんな二人を置いて、周りの景色も眼に入らないかのように歩いていく。
「ア……アキト!!待てよっ!!」
山田の馬鹿でかい声がアキトを呼び止めた。
いつもなら反響して耳を塞ぎたくなるほど盛大に聞こえる大声が、今は宙に溶けて消える。
「おまえっ!!こいつを見てなんとも思わねぇのかよっ!!」
「すごいな」
淡々と返したアキトの相づちからは、驚きの欠片も感じられない。
「感動できるものには、素直に感動するのが男ってもんだぜっ!!知ったかぶりや、口先だけってのは漢のやることじゃねぇよ」
「ガイ。忘れるな。…………俺達は急いでいるだ」
小走りで追いかけてきたメグミがアキトに訊ねる。
「格納庫ってここから遠いんですか?」
「だいたい、10キロって所だ」
「10キロッ!!」
メグミが素っ頓狂な声を上げた。
「アキト。2時間も歩くつもりなのか?」
山田の質問にアキトは広い空洞を見渡す。
「この空洞の外周。居住地区は入り組んでいて道に迷いやすい。
だから、この空洞を車か何かを借りて突っ切ろうと思ったんだが、………………運搬車両が、どこにあるかわからない。
うまくいけば、途中で拾ってもらえるかもしれないが…………。
うまくいかなければ、歩くはめになる」
「アキト。そりゃ、無計画って言うんだぜ」
「ガイ。お前にだけは言われたくはないな」
フッとアキトが唇の端で薄く笑った。
「ナデシコも…………似たようなものか」
*
「う〜〜〜〜〜〜。アキト〜〜〜〜。アキトのバカ〜〜〜〜。アキトの薄情者〜〜〜〜〜」
ユリカが涙に暮れながら、書類に必要事項を記入していた。
ナデシコの重量や、全長、搭載スペックをなどを何の資料も見ずに書き込んでいく。
連合大学主席の名は伊達ではない。本一冊分にも及ぶナデシコの情報は全て頭の中に入っていた。
隣で書類書きを手伝っているジュンにしてもそうだった。普通なら、あれこれと手持ちのハンディパソコンで調べるようなことを空で書き込んでいく。
「それにしても、テンカワのやつ。何であんなに慌てて、エステバリスを受け取りにいったんだろ?」
書く手を止めずにジュンはユリカに訊いた。
「ん〜〜〜〜〜〜。自分の乗る機体を早く見たかったんじゃないのかな〜〜〜。ほらっ、アキトも男の子だし」
こちらも記入する手を止めずに返答する。
そうだろうか?確かに彼はパイロットだ。それも凄腕の。それは間違いない。
だが、数時間後には搬入されるエステバリスをわざわざ受け取りに行く?
ナデシコで待ってても、大差ないじゃないか?
それとも、取りにいく必要があった?………………なぜ?
ジュンは横目でユリカを眺める。
半分泣きそうな、項垂れた子犬のような表情でも、電子筆を持つ手は神速と紛うほどのスピードで書類の空白を埋めていた。
「ねえ…………ユリカ。もしも……もしもだよ。0G型エステバリスが必要だとしたら…………どんな理由があると思う?」
その書類を記入し終わり、次の書類に移りながら、ユリカが「ん〜〜〜〜」と考える。
「ここが襲撃される可能性が大いにありうるとき」
クイズに答えるような気楽な口調で答えたユリカの解答に、思わずジュンは手を止めた。
確かに………そうだ。
サツキミドリは地球勢力域の一番端に位置している。
だが、直径50キロ足らずの隕石衛星だ。木星蜥蜴の進行の前には道端の小石程度である。
現に、蜥蜴から無視され放置されている。
しかし、今、ナデシコと云う爆薬をその内に抱え込んだ。
木星蜥蜴がどういう思考回路を持っているかわからないが、自分なら放って置かない。真っ先に叩き潰す。
故に、このサツキミドリは今、襲撃を受ける可能性が一番高い場所だった。
そして、それに対抗する為には0Gフレームが早急に必要とされる。
…………………………まさかね。
ジュンは自分の考えを打ち消すように頭を振った。
馬鹿げてる。だいたい、どうやって木星蜥蜴間で連絡を取り合ってると言うんだ。
「順調ですか?」
プロスの声にジュンは視線を巡らした。
「ええ。僕のこの1枚と、ユリカのその2枚で終わりです」
満足そうにプロスが頷く。
「お早いですね。何か飲み物でも持ってきましょうか?」
「紅茶などあれば――」
「うう〜〜〜〜〜。アキト〜〜〜〜〜〜〜。アキトが欲しい〜〜〜〜〜」
二人はユリカの戯言をさらりと無視した。
「物資の搬入は?」
「ウリバタケさんたちが頑張ってくれていますので、そろそろ終わります。と、云うか、さっさと仕事を終わらせて遊びに行きたいのが本音のようですね」
「ははは。補充パイロットの方は?」
「予定よりも6時間も早く到着するなど思っていなかったようなので、困ったことに連絡がつかないんですよ」
「早く着きすぎるのも、考え物ですね」
「たしかに」
談笑している二人のもとへ、ミナトが歩いてくる。
「ねぇ、ルリルリ、見かけなかった?」
「ルリルリって……ルリくんのことですか?」
疑問を顔に浮かべるジュンにミナトが笑いかけた。
「ええ、そうよ。可愛い愛称でしょう」
「で、ルリさんがどうかなさいましたか?」
眼鏡を押し上げるプロスにミナトが小さく肩をすくめる。
「一緒に買い物いこうと思ったんだけど、居ないのよぉ」
「僕は見てないけど」
「私も見ておりませんが」
ミナトが机の上に涙の池を作っているユリカに目線を向けた。
「艦長は?」
「なんか〜〜〜。アキトみたいなバイザー付けて、マントを羽織ってナデシコから出て行くとこなら見たよ」
「「「バイザーとマント!?」」」
三人の頓狂な声が重なる。
ユリカがのろのろと顔を上げた。
「そう。ただ、アキトのと違って、色は真っ白だったけど。シルバーブロンドのツインテールなんてルリちゃんしかいないから、間違いないよ」
その格好にプロスは思い当たった。
初めてルリさんがネルガルを訪れた時につけていたアレでしょう。
けど…………そんな物を身につけてどこに行ったのでしょうか?
プロスの思考を遮るようにユリカが鳴いた。
「アキト〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」