たった一機で、赤茶けた大地を疾走していたエステバリスが突然、停止した。
ピンクのエステバリス・カスタムが、その場で片膝をつく。
「どうしたんですか?アキトさん」
「…………着いた」
「「え!?」」
ユリカとメグミが、驚いて顔を上げた。
そこには、酸化して黒く焼け焦げ、空を掴むように花弁を上空へ向けたチューリップが、すり鉢状の巨大なクレーターの中心に突き刺さっていた。
「着いたって…………まさか…………」
ユリカが唖然と呟く。
ユートピア・コロニーにチューリップが墜ちた。
それは、聞いていた。
プロスも「あそこには何もない」と言っていた。
それも、聞いていた。
でも…………それでも、自分の生まれ故郷が無残な廃墟に変わっていることを、その眼で見るまでは、どこか実感なかった。
10年。
幼少の10年を、育った場所。
それが、完全に喪われてしまった。
アキトと一緒に遊んだ花畑も、一緒に自転車で走った草原も、一緒に悪戯して怒られた工事現場も…………全て………………。
ユリカは一人、首を振った。
違う。
全てじゃ…………ない。
全部、無くなったわけじゃない。
『明人』がいる。
幼い頃の思いでの中で…………いや、今、この瞬間も一番大切な『アキト』が生きている。
失ってしまったものは大きいけれど、一番大切な者は喪わなかった。
うん。だいじょうぶ。
思い出は、思い出として置いておける。
今も、そして未来も、アキトはあたしの傍に居てくれるのだから。
辺りを見回したメグミがぽつりと呟いた。
「何にも…………ありませんね」
ユリカも頷いた。
「そうだね。…………でも、ここにはユートピア・コロニーがあったんだよ。もう、そんなことを気にする人はほとんどいなくなちゃったけど…………でも、確かに、ここにあったんだよ」
「………………艦長」
メグミがユリカを見つめる。
穴の窪みにあり、奇跡的に形を止めているショベルカーを見て、ユリカは眼を細めた。
「ここに…………何万人もの人がいて、生活してたんだよね。この有り様からは信じられないけど………………本当に居たんだよね…………」
焼け焦げたヘルメットを拾い上げたアキトが呟く。
「過去は………………二度と、取り戻せない」
ユリカはアキトに微笑みかけた。
「うん。わかってる。大丈夫。アキトがいるから。アキトがいてくれるから」
満面の笑顔を浮かべるユリカ。
「だから、あたしは大丈夫!!」
アキトは返答せず、ヘルメットをその場に、そっと戻した。
「二人とも、少し離れてくれ」
アキトは地面の様子を観察しながら、二人から離れる。
「「え!?」」
「ここへ来た目的を済ませてくる」
「アキト。ユートピア・コロニーがどうなったか、見に来たんじゃないの?」
小首を傾げるユリカに、アキトは微苦笑した。
「まさか。そんな目的でナデシコを離れんさ」
唐突に、アキトは赤茶けた大地を蹴りつける。
足元の地面が、簡単に崩壊した。
知っていれば、慌てることもない。宙で一回転すると、足から着地した。
夜色のマントを揺すり、ゆっくりと立ち上がるアキト。
そこは、薄暗い洞穴だった。
暗闇の中、十数の気配が蠢いている。
天井に開いた穴から明光が差し込み、薄暗い空間に舞う塵埃ではっきりと光の帯が映えていた。
その光が、この洞窟を人工の物だと明察させる。
アキトのいる場所にだけ光の帯が当たり、漆黒の姿を浮かび上がらせていた。
僅かに顔を伏せ、微動だにしない黒衣の者。
それは、地上に降臨した混沌と破壊を司る『
「初めまして。不審者さん」
くぐもっているが、女性と判別できる声が闇から響く。
アキトは闇に視線を送った。
「おまえも人の事は言えない格好だと思うがな」
天から差し込む光の傍に、一人の人物が近寄ってくる。
その女性は、足首までをも覆い隠す灰褐色のマントを羽織り、頭と口許をフードで覆っていた。
サングラス型のバイザーが、フードの隙間から赤光を反射させている。
怪しさでは、アキトの黒マント姿と、五十歩百歩であろう。
アキトの黒マント、黒のバイザー姿を眺め、女が鼻で笑った。
「あなたほどじゃないわ。…………よく、補導されなかったわね」
「地上に警察がいなかったんでね」
「あら。それは、職務怠慢というべきかしら。悪いけど、代わりにワタシたちが捕まえさせてもらうわ」
「遠慮させてもらおう」
アキトの返答に、闇の中の気配がざわめく。
「うわわ〜〜〜〜〜!!」
「きゃ〜〜〜〜〜!!」
甲高い悲鳴が地下に響いたかと思うと、天井から砂と一緒に、ユリカとメグミが落っこちてきた。
「あら。可愛いお連れさんね」
女が視線を二人に向け、アキトが呆れた声を出す。
「なにやってんだ?ユリカ」
「だって急に、アキトが穴に落ちるから、助けようと思って、穴に近寄ったらメグちゃんの体重で――」
ユリカの言い訳を、メグミが遮った。
「ちょっと!!なんで、アタシの体重なんですか?艦長のせいでしょ!!」
「あたし!!重くないもん!!」
「アタシよりも重いでしょうが!!」
「そ…………そんなことないもん!!」
「嘘つきなさいっ!!」
「アキト〜〜〜!!メグちゃんが苛める〜〜〜!!」
「怪我はないようだな」
大きく嘆息したアキトに、女が皮肉の笑いを含んで揶揄する。
「あそこから、落ちたってのに元気ね」
その女性の声に驚愕したユリカが顔を上げ、愕然と呟く。
「な、なんで人がいるの?ま、まさか――――」
驚愕の面持ちのまま、硬直しているユリカに、女が赤光のサングラスを向けた。
「そう。その、まさか……………………かしら」
「アキト!!逢引なんて、駄目!!
アキトはユリカの『王子さま』なんだから!!
こんな、暗い場所で二人っきりなんて!!
絶対にダメ〜〜〜〜!!
ダメダメダメ〜〜〜〜ッ!!」
いやいやいやと首を振るユリカ。
地下シェルターを揺るがせる大音声にだろうか、それとも内容にだろうか、ぐらりと傾く女性。
何かを永久に諦めたように、アキトは首を振った。
「あれは、ほっといていい」
「そ…………そう。ま、なにはともあれ。コーヒーくらい出すわ」
「すまないな。『イネス・フレサンジュ』」
ピタリと女の足が止まる。
「あら。なんだ。ばれてたの?つまらないわね」
フードを脱ぐと、眼にも鮮やかな金の髪が現れた。
耳には
20代半ばの端整な美貌の女性だった。
深海を思わせる
イネスが視線をアキトの顔に当てた。
「素顔を見せたんだから、そっちもバイザーを外して自己紹介ぐらいしてほしいわね」
漆黒のバイザーを外し、アキトは顔を上げる。
「テンカワ・アキトだ」
「!!」
極度の驚愕にイネスの顔が引きつった。まるで幽霊を見ているような――――。
「あ…………あなた。本当にテンカワ・アキト!?」
声を震わすイネスに、アキトは訝しげに眼を細めた。
「あ、ああ。そうだが」
「双子?それとも、クローン?」
「どういう意味だ?」
「悪いけど…………ついて来て」
背を翻し歩き出すイネスの後を、アキトは素直についていく。
「あっ、アキトさん。アタシも」
「あたしも行く」
追いかけようとする二人を一瞥したイネスが、指をパチンと鳴らした。
「ヒッ!?」
「な、なに!?」
物陰から現れた数人の人影に、二人がビクつく。
「その二人のお相手、お願いするわ。失礼のないようにね」
見るからに兵士然とした壮年の男がイネスに敬礼をした。
アキトがイネスを見つめる。
「危険はないんだな」
「ないわ」
即答したイネスの顔を見て頷くアキト。
「アキト〜〜〜〜〜!!」
通路の闇に消える二人を、ユリカの呼び声だけが追いかけた。
イネスに案内された場所は、何もない一室だった。
モルタルの床に、金属の壁に囲まれた3畳程の狭い部屋である。
壁際にはステンレス製の小さな桶が一つ。
水音が狭い部屋に響いた。
壁から突き出ている壊れた細い水道管から、水滴が落ち、その桶に溜められる。
「髪の毛を一本貰うわよ」
無言を承知と解釈し、イネスはアキトの髪を一本抜いた。
イネスは手早く旧式のDNA鑑定機に入れる。
一瞬で出てきた表示を読み、溜息をついた。
「本当に…………『テンカワ・アキト』君のようね」
アキトが微かに眉を顰める。
「先からクローンだの双子だの…………何が言いたい?」
イネスは腕を組み、金属の壁に寄りかかった。
「このユートピア・コロニーに、チューリップが落ちたのは知ってるわね?」
「ああ」
イネスは天井を見上げ、頭を壁につける。
「その時、ユートピア・コロニーは全滅したわ。
…………1人を残してね。
その人が命を失わなかったのは、奇跡と言ってもいいわ。
その男の人の話だと、シェルターにいた所をバッタに襲われて、フォークリフトで体当たりをし、一匹やっつけたのはよかったんだけど…………。
そのバッタが爆発し、地面が崩れて、さらに下に落っこちた。
その男が落ちた場所がここ。地下シェルター。
ここがほぼ原型で残ってるのを見てわかるように、この地下シェルターはチューリップの衝突にも耐えたの。
ただ、男は命を失わなかった…………といっても、無事ではすまなかった。
至近距離でバッタの爆発に巻き込まれたのが、致命的だったわ。
そして、その男の名は――――」
イネスはアキトを見据える。
「
アキトが微かに眼を見開き、瞬転、疑うように黒曜の双眸を細めた。
アキトの疑問を察知し、イネスは先回りして答える。
「遺伝子鑑定もしたから、間違いないわよ」
「その男は?」
「………………死んだわ」
反応を見るように、ちらりとアキトを一瞥するイネス。
無言のアキトが、眼でイネスに話の続きを促した。
「今から、十一ヶ月前。ユートピア・コロニーが消滅してから二ヶ月後。
ここでは、満足な治療もできなかった。傷口から化膿していったわ。
最後の言葉が『ありがとう、イネスさん。…………父さん。母さん。…………ユリカ』だった」
水滴の水音が狭い部屋に大きく鳴り響く。
「………………そうか。こっちの世界の俺を見取ってくれたのか」
「こっちの世界?」
見透かすように深青の双眸を細めるイネスに、アキトがぼそりと尋ねる。
「その男の亡骸は?」
「焼いたわ。灰は木星トカゲの襲撃の合間をぬって、地上に撒いた」
「ありがとう」
アキトの礼に、イネスは苦味を潰したような嫌な顔をした。
「あなたを焼いたわけじゃないわ」
「そうだな…………いや、どうかな?」
「?」
疑問を浮かべたイネスの深く青い瞳を、アキトが見つめる。
「俺は……ってのは変だな。その『天河明人』は青い石のついたペンダントを持っていなかったか?」
「いいえ」
「………………そうか」
「ただ………………なんでもないわ」
イネスは言葉を濁し、沈黙した。
イネスとアキトは、それきり口を噤み、互いに視線を逸らした。
水滴の滴る水音が狭い部屋に木霊する。
何かを考えているのか、アキトは腕組みをしながら、天井の一角をじっと睨み据えていた。
黙考しているアキトを視界のすみに置きながら、イネスは無意識に自分の首もとのペンダントを指で触る。
そのネックレスには本来、石が付いているはずの部分に何の宝石もついていなかった。
その鎖だけのペンダントを指先で玩ぶ。
水滴の水音が狭い部屋に反響した。
その水滴の音と同じくらい、低く小さな声でアキトは呟く。
「死人にもなれない…………幽霊か」
アキトの呟きを聞きつけたイネスが顔を上げた。
「それ、あなたのこと?」
「俺は死にぞこなっているだけさ」
「そうは見えないけど」
イネスの返答に、一瞬、唇を斜めに引き上げたアキトが、再び無表情に戻る。
「この話はナデシコには…………ユリカには、絶対に言わないでくれ」
「ユリカ?そう言えば、さっき、そう呼んでいた女性がいたわね。そっか…………彼女が『ユリカ』か」
「そろそろ、戻ろう。あの二人が騒ぎ始める」
「…………そうね」
二人は来た通路を戻り始めた。
「あいつの知ってる『天河明人』は死んだ……………………か」
イネスはアキトの呟きを聞こえなかった振りをし、聞き流した。