ナデシコ作戦室

 滅多に使われない作戦室に提督、艦長、副艦長、アキト、リョーコ、ヒカル、イズミ、山田、ルリ、イネス、ゴート、プロスといった主要クルー12名が揃っていた。



「ムウ。周囲をチューリップ五機か」

 難しい顔のゴートに、ジュンも頷く。

「きびしいですね」


 通常のナデシコならば、苦戦するかもしれないが間違いなく勝てるであろう。


 だが、今のナデシコは片側のエンジンが吹き飛び、フィールド出力は半減。グラビティブラストも撃てないときている。

 ノーマル用レールカノンとエステバリス・カスタムだけでは、主砲の威力には到底かなわない。

 「きびしい」と言ったジュンの感想よりも状況は遙かに悪かった。



 そんなことは、百も承知しているプロスが眼鏡を押し上げて、皆に言い聞かせる。

「しかし、あそこを取り戻すのが社員の義務でして、皆さまも社員待遇であることは、お忘れなく」


「オレたちに、あそこを攻めろってのか?死んでこいっていうのかよ」

「俺様の力を持ってしても、無理だぜ」

 リョーコと山田がすかさず反論した。


 イズミがボソリと呟く。

「…………あのレールカノンでは?」


 イネスが首を振った。

「無理よ。例え、チューリップ1機破壊できたとしても、他から戦艦が続々と現れたらどうするの?援護のグラビティブラストも使えないのよ。
 あのチューリップに気づかれないように通過するか、もしくは全てを一気に無力化する方法を考えないと」



 腕を組んでいたユリカが顔を上げた。

「アキト?何か良いアイデアある?」



 考え込むふりをしていたアキトは、何気なさを装って提案する。

「戦艦を乗っ取る……ってことは出来ないか?」



「「「「「乗っ取る?」」」」」

 ルリを抜かした全員の頓狂な声が重なった。



「ハッキングだ。ルリちゃんなら、できるだろう」

 アキトはルリを一瞥した。が、ルリの無表情は仮面のように動かない。



 ルリではなく、イネスが否定する。

「ダメね。能力的には…………問題ないと思うわ。
 でも、ハッキングするとしたら、重力波通信範囲まで敵戦艦に近づかなければならない。グラビティブラストも撃てない今の状態では、死に逝くようなものだわ」


「…………そうか」

 アキトは、あっさりと引き下がった。


アキト!!惜しかったね。
 でも、残念賞でユリカがキスをあげるから!!


 アキトに唇を突き出して躍りかかろうとしたユリカの襟首を、イネスが捕まえる。


「艦長!!真面目に考えなさい。ワタシたちの命がかかっているのよ」

 イネスの叱咤に、ユリカが頬を膨らませた。


「はぁ〜〜〜い」




ユリカとイネスの戯れ合いを後目にアキトは独り、思考の海に沈み込む。


 『星野瑠璃』が何者か調べるために鎌かけてみたのだが…………これ以上、疑いをかけると、逆に俺が怪しまれる。

 『前』の世界の『星野ルリ』は、この時期に『ハッキング』などできなかった。


 だが、この『星野瑠璃』は『疑似オペレーティングプログラム』を作り、この時期には無理なはずの『ワンマンオペレーション』を起動してみせた。



 明らかに『前』の『星野ルリ』の能力(スペック)を越えている。



 敵か味方かも判別できない少女。

 敵に廻った時のために、この世界の『星野瑠璃』の能力を把握しておきたかったのだが………。



 この世界に『テンカワ・アキト』は二人いた。


 ならば、『星野瑠璃』も二人いるのではないか?

 この世界に『天河明人』が存在していたように、今ここに居る『星野瑠璃』の他に、別の『星野ルリ』が存在しているのだろうか?




 アキトはルリを盗み見た。

 『前』の『ルリちゃん』のフィルターを外してみると、よく解る。


 この少女は武術をやっている者、特有の身こなしをする。


 例えば、眼の配り方。日常の足捌きと体捌き。姿勢と重心のずらし方。気配の消し方。突発時のバランス感覚。

 今まで気づかなかった自分を罵りたくなるほどだ。


 実際に手を合わせないと地球の武術か木連の武術かはわからない。

 だが、動きと気配の配り方は間違いなく武術を、またはそれに相当する格闘技を修得した者のそれだ。



 『前』の『星野ルリ』が格闘技を身につけていたということは聞いていない。

 自分は、知らない。




 結論は………………出ない。





 沈黙が征した作戦室にボソリと低い声が落ちる。

「…………あれを使おう」


「「「「「「アレ?」」」」」」

 フクベ提督の提言に、皆が聞き返した。







*





 エステバリス・パイロットたちは、食堂で一つのテーブルを囲んでいた。


 作戦会議の詰めである。



 今日は、いつも会議をしている格納庫から、邪魔だと整備班に追い出されたのだ。



 今、食堂は避難民たちのゲキ・ガンガー、一色でかなり五月蝿かった。

 作戦会議をするような雰囲気ではない。が、そんなことを気に掛ける柔なナデシコパイロットたちではなかった。



「クロッカスだっけ〜〜?あんな壊れた船、使えるのかな〜〜?」

 オレンジジュースを啜るヒカルに、リョーコは頭の上で手を組んで答える。

「まあ、無ぇよりもマシだろ。一応、戦艦だったんだからよ」


「だが、ナデシコのグラビティブラストが使えない今、クロッカスだけでは戦力不足だ」

 アキトの厳言に、一斉に溜め息が洩れた。


 ヒカルが口にくわえたストローをプラプラと振る。

「チューリップに吸着地雷を取り付けるってのはどうかな〜〜?」


「あんな馬鹿でかい物に、そんなもんが効くか?」

 懐疑的なリョーコの視線に、ヒカルが肩をすくめる。

「ぐるりと一周、取り付ければ、倒れないかな〜〜?」


「…………表層を削るだけで……終わりそうね」

 ボソリとイズミが指摘する。

 さすがのイズミも今はシリアス・モードにチェンジしていた。

 戦闘になれば、突発的なことや偶然が日常茶飯事に起きるとはいえ、作戦を立てておかないと、それこそ死の特攻になる。


「俺様のゲキガン・スパークってのは、どうだ?」

 意気込む山田を、イズミが氷点下の視線で貫いた。

「それで…………そのまま、自爆する?」


「ナイフで切り裂いて、そこにディストーション・アタックをすれば――」

 アキトは、『前』の火星攻防戦の戦艦特攻を思い出しながら発言する。


「お〜〜それだ!!」

ウルッセイ!!いちいち耳元で、大声で喚くんじゃねぇ

 叫ぶ山田にリョーコが怒鳴り返した。

「んだとっ!!」

「ああん!!」


「有意義な時間…………損な時間じゃない……そんな時じゃない…………クククク」



 沈黙が降臨したテーブルに、独り、イズミの低い笑い声がくつくつと木霊する。




 気を取り直したリョーコが意見を返す。

「だがよ、アキト。相手が機械なら切り裂きゃ火を噴くけど、あれは無理なんじゃないか?」

「イミディエットナイフでは…………表層を切るだけだわ」


「刀みてぇなのはねぇかな?」

「ウリピーが、刀は強度的に難しいって言ってたよ〜〜」


「ちっ。やっぱ、そうか」

 舌打ちするリョーコに、イズミがボソリと呟く。

「やはり…………レールカノン主体ね」


 リョーコが椅子に背をあずけた。

「三点バーストでどこまでやれるか……か」


「リョーコちゃんたち3人と、こっちはガイとの二人だな」


「二人だときつくない〜〜?」

 ズルズルとオレンジジュースを飲むヒカルに、アキトは苦笑した。

「カスタムのパワーに賭けるしかないな」


アレは俺様のポリシーに反する…………が、そうも言ってらんねぇか

 全員の凶悪な目線に、慌てて前言を撤回する山田。



 アキトは嘆息した。

「地上だと、エステではとりうる手段が少ないな」




「アキト!!アキト!!アキト!!探したんだよ!!
 ずるいよ。ユリカ一人をのけ者にするなんて!!」



「アキトさん。こんな所にいたんですか?教えてくれても良いじゃないですか」


 突然、割り込んできたユリカとメグミに、リョーコが五月蠅(うるさ)そうに手を振った。

「アホ!!作戦会議だよ。あんなボロ戦艦一隻じゃ戦力にならねぇからな」



な〜〜んだ。そんなこと!!大丈夫です!!


 自信満々のユリカに、リョーコは椅子から身を起こす。

「へ〜〜。策はあるのかよ?」






 ユリカは腰に手を当て、胸を張って言い放った。





だって、
アキトはユリカの王子様だもの!!

 だから、大丈夫!!!







 一斉に溜息が漏れた。



 呆れたと言うより、期待した自分たちがバカだった……という溜息だ。


「おめぇは、他に言うことねぇのかよ!!

「え〜〜?他に言うことなんてあるんですか?」

「そうですよ。アキトさんは艦長のものではありません」

おめぇも論点ズレてる!!


「お〜〜〜っと、ここで〜〜、女三人の三つ巴が始まりました〜〜」


 実況中継を始めたヒカルの横で、イズミは頭を振った。

 こうなってしまっては、作戦会議はお開きだろう。

「ヒカル……何かあったら呼び出して」

「どうしたの〜〜?」

「ちょっと…………人と会ってくるわ」


 避難民に促されてゲキ・ガンガーの主題歌を熱唱している山田の歌声に押し出されるように、イズミは食堂から出ていった。






 食堂のバカ騒ぎを横目で眺めながら、アキトは黙考していた。


 今の時点でさえ歴史が大きく変わっている。これから先、未来が『前』と同じになるとは限らない。

 予期してないような危険にも遭遇するだろう。

 『力』が…………戦力が欲しい。

 カスタムでは、まだ加速度も反射速度も鈍すぎる。

 今のままでは、仲間を危険に晒してしまう。



 ここにブラック・サレナがあれば…………。


 『あの』ブラックサレナほどでなくても良い。

 せめて、サレナA2型程度の機体が欲しかった。



 アキトは奥歯を噛みしめる。


 同格の機体を手に入れるには、やはり――――。




*


 今、ブリッジはルリとミナトとプロスの三人だけだった。


 副艦長のジュンと戦闘指導員のゴートは先の戦闘で傷ついたナデシコの修理状態の確認に行き、ユリカとメグミは言わずと知れたアキトの追っかけである。



 ミナトは隣に座っているルリに視線を落とした。

「ルリルリ。唇ぅ。大丈夫?」


「唇?」

 ルリの疑問の視線に、ミナトは眉を潜める。

「ほらぁ。噛み切ったぁ」

「血は止まりました」


「なんで、唇を噛み切ったのぉ?」




「いえ…………別に」

 ルリはそっけなく眼を逸らした。




 ミナトはため息をつく。

 こういう態度をとった時のルリは、決して真相を話してくれないだろう。

 ミナトに…………いや、ナデシコクルーに意識して壁を作っているように思える。

 自分たちがルリに嫌われているとは思えない。それでも…………。


 ミナトは軽く頭を振った。

「まぁ、それは置いとくとしてぇ。一つ。ルリルリに言っておきたいことがあったんだぁ」


 ルリがミナトを見上げる。

 ルリの仮面のような無表情の顔を久しぶりにじっくり眺めたことに、ミナトは気づいた。

 火星に着いてからは、ルリの多忙ぶりは凄まじいものだった。


 二人でゆっくりと話をすることすら久しぶりである。



 オペレーター、エステバリス・パイロット、艦長代理、そして操舵士。

 一人五役をほぼ完璧にこなした少女。

 そんな少女に、これ以上の負担をかけるべきだろうか?



 だが、これは操舵を握るミナトにしか言えないことであり、『船乗り』として言っておかなければならないことでもある。



 ルリの秀麗な無表情を眺め、ミナトは意志を固めてから、口を開いた。

「ねぇ。ルリルリ。火星地表の戦闘でぇ、敵戦艦に体当たりしたことをぉ覚えているわね」


「はい」


「ぅん。見事な技量だったわぁ。同じ『船乗り』としてぇ尊敬する」



「はあ。…………どうも」

 金の眼を瞬かせてから、ルリは気の抜けた返事を返した。



「あの操舵法はぁ、誰に教わったのぉ?」


 ルリは少し考えてから、言葉を選んで話す。

「私の知る限り、最速の操舵士です」

「その方はぁ、戦闘機乗りぃ?それともぉ、戦艦乗りぃ?」

「戦艦乗りです」

「あらぁ。そうなのぉ」

 ルリの返答にミナトはちょっと、当てが外れたような表情になった。


「はい。中型や小型戦艦を扱わせたら右に出る者はいませんでした」


 その単語にピンときたミナトは尋ねる。

「その戦艦てぇ、何人ぐらいで動かせるの?」


「通常で5人くらいです。ワンマンオペレーションシステムを使えば独りでも動かせました」


「ぅん。それでぇ納得いったわ」

 うんうんと頷いたミナトは椅子に座りなおしてから、ルリに顔を近づけた。

「ルリルリィ。体当たりのような操舵法はぁ、ワタシたちの間では『曲芸乗り』と言われているわ」


「…………はあ」


「いぃ。曲乗りは、見た目は派手だし、格好良いけどぉ、ワタシたち『船乗り』としては忌むべき行為なのよ」


 ミナトは肘かけに肘をつき、組んだ手の上に顎を置く。

「操舵士の腕には200人の命がかかっているわ。
 だからねぇ。操舵士にとって一番大切なことは、派手な操舵法でもぉ最速のテクニックでもない。

 一番、大切なことは『安全運転』なの。

 もちろん。戦闘中は、そんなことぉ言ってられないわ。それでもぉ、200名の命がワタシの腕にかかっていることに、違いはないの」



 ミナトが何を言いたいのか察したルリの金の瞳に理解が広がる。



 それを見たミナトは、一つ頷いた。

「そう。ルリルリが使ったぁ、体当たり操艦法。あれは一つ間違えば自爆するわ。

 今回のように絶体絶命のぉ、どうしようもない場合は仕様がない。
 死んじゃ元も子もないしねぇ。生き残れる可能性があるならぁ、やってみるべきだしぃ。ワタシだって試すわ。

 でもねぇ、楽に敵を倒せるからって、安易に200名の命を天秤に賭けては絶対にダメ。

 自分一人の勝手で200名の命を左右する技法は、どんなに格好良い技でもぉ『船乗り』たちは非常時以外絶対に使わないわ。
 操舵を教わった人にぃ、言われなかったぁ?」



 ルリはふるふると首を横に振る。

「いいえ。カイトさんは、そんなこと一言も言ったことありませんが…………」



 ルリの年相当の仕草に、ミナトは微笑した。

「そぅ。じゃぁ。同じ操舵を握る者――『船乗り』の先輩としてぇ、忠告しておくわ。

 あの体当たりはぁ、絶体絶命のピンチ以外、絶対に使っちゃダメ。いぃ?」



「はい」

 ルリは素直に頷いた。




 ミナトは微笑んでから、う〜〜んと背筋をのばす。

「ぅん。ワタシの話はおしまいぃ。言おうか言うまいか迷ったんだけどねぇ。
 話しといてぇ良かったわぁ」


 モニターに映る雪原を眺めたルリは何かを思い出すように呟く。

「そうですか。カイトさんは結構、お手軽に使っていましたが…………」






 何かを考えていたルリはモニターに呼びかけた。

「コルリ」

「ん?」


「ナデシコの予定進路に敵影は?」

「いんや。見あたらないけど」


「では、ここを任せても良いですか?」

「いいけど〜〜…………どして?」




「サボリです」



「「へっ?」」


 あまりにも意外なルリの宣言にミナトとコルリは素っ頓狂な声を上げる。




「ここで、ぼ〜っと雪を見ていても時間の無駄ですから、久しぶりに身体を動かしてきます」



 納得したようにコルリが頷いた。

「トレーニングルームは空いてるよ〜〜」

「そうですか。火星に来てからは修練の時間が取れませんでしたから」


 品行方正に見えるルリに、こういうユリカのような一面があることを知っているミナトは片目を瞑る。

「まあ、艦長自身がサボってるしぃ良いんじゃないのぉ。それに、ここは比較的安全だしねぇ」


「何かあったら、すぐに呼び出してください」


 モニターを見上げたルリにコルリは

「ほ〜〜〜い」
 と、気楽な返事を返した。









 ルリを見送ったミナトは振り返り、コルリに目配せをする。


 その視線に気づいたコルリは首を傾げた。

「な〜〜にか用?」


 ミナトは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「実はぁ、コルリちゃんにも一つ。お話があったのよねぇ」

「おんや?お説教かな〜〜。アタシ、何か怒られるようなことした?」

「どちらかと言えばぁ内緒話かな」


「じゃ〜〜、こっちの方が良いね」

 ミナトの前にコミュニケ画面が開き、コルリは内緒話モードに入る。



 コミュニケ画面の中でコルリは腕を組んだ。

「で〜〜、内緒話ってのは?」



 ミナトはプロスに聞かれないように、声を潜めて問い質す。

「そうねぇ。まずはぁ……これから聞こうかなぁ。
 ねぇ。コルリちゃん。木星蜥蜴の戦艦が現れたよねぇ」


「うん。それが?」


「コルリちゃん。それを『木連戦艦』って呼んでたわねぇ。

 普通なら木星蜥蜴の戦艦だからぁ、木星戦艦と呼ぶべき所をねぇ」




 ちょっと眼を丸くした後、キシシシと笑い声を上げるコルリ。

「さ〜〜すがはミナトネーさん。そこから聞きますか」


「あなた。木星蜥蜴の正体を知ってるんじゃないのぉ?」

「知ってるよ」

!!!

「アタシとしては隠す必要なんかないと思ってるんだけどね〜〜。

 ただ、ルリネェとアキトニィは秘密にしといてほしそ〜だから、黙っとくよ〜〜」


 ミナトは麗美な眉を顰める 。

「と、いうことはぁ。あの二人もぉ、正体を知っている訳ねぇ」



 後ろ手に手を組んだコルリは、静かな微笑を浮かべた。

「こ〜〜こは、アキトニィと同じ返事を返しておくよ。

 時がくれば解る。全てね




 そのコルリの達観した者のような微笑みに、ハッとしたミナトは疑惑の眼差しを『彼女』に差し向ける。




 その視線に、コルリが小首を傾げた。



 ミナトは唇を舌で嘗めて湿らせてから、話しかける。


「ワタシはねぇ。これでもぉ、『人』は見てきているつもりよ。

 前にぃ社長秘書をしていた関係でねぇ。
 人の性格、感情、行動、笑い方、話し方。それらを見極められなければぁ、筆頭秘書官は務まらないしねぇ。

 『人』の心理に関してはぁ、これでも結構、エキスパートだったのよぉ。

 そのワタシから言わせてもらうとねぇ。


 コルリちゃん。あなたは………………自然なの。


 そぅ。異常なくらい自然なの。


 確かにぃ、普段のあなたはぁ、人形みたいなところがあるわ。
 言葉は悪いけどねぇ。

 正確に言えば、『操り人形』みたいな雰囲気があるの。

 でもねぇ。たまぁに、あなたの言葉に『心』が篭るのよ。
 緊急時とか、戦闘時。あとは……ルリルリとぉ喋っている時なんかにねぇ。

 そして、…………今も」




 ちょっと小首を傾げて、じっとミナトの話を聞いてたコルリは、にぃたりと笑んだ。


「さすが、ミナトネーさん。ルリネェが言った通り、一番に気づいたね〜〜。

 あと、気づけるとしたらホウメイさんとプロスさんぐらい。
 ホウメイさんは、アタシと会う機会は少ないからバレないだろうし、プロスさんはアタシに訊くより、自分の手で調べあげ、相手の急所として押さえておくタイプだからね〜〜」




 人間くさい笑みを浮かべるコルリに、眼を眇めたミナトは厳しい声を飛ばす。


「あなたは………………誰?」




 コルリは小悪魔のような表情で、くすりと小さく笑った。

「星野」



!?


「あとは、秘密だよ〜〜」




 問い詰めようとしたミナトを制止して、コルリがいつもの明るい声を張り上げる。

あ〜〜〜〜。プロス会計士!!聞き耳立てるなんて、男らしくないぞ〜〜


「はて、何のことでしょう?」

 空惚けた声を上げ、眼鏡を押し上げるプロスを、コルリは鼻で笑った。

「ふふ〜〜〜ん。このコルリちゃんにそんな態度とって良いのかな〜〜〜?」

「どういう意味です?」


「じゃ〜〜〜〜ん」

 コルリが表示したのは、たった一枚の会計書類。



 だが、プロスの顔色がサッと青褪めた。

「な…………なぜそれを!!



 金の眼を細め、ニンマリと嗤うコルリ。

「レクリエーション代で廻すとは考えたね〜〜。
 だぁ〜〜い丈夫!!

 ちゃ〜〜んと、その説明と作りかけの証明画像を添えて、ネルガル会長秘書に送っておいたから」



 蒼白の石像と化すプロス。



「あっ。そうそう。伝言。
 『私が気づかないとでも思ったのですか?プロスさん』byルリネェ。」


 コルリはキシシシシと笑い声を上げた。


「これで、プロスさんの『制裁』は終わり。残るのはウリバタケさんのみ!!」


「『制裁』ってぇ?」


P・H・R(パーフェクト・ホシノ・ルリ)のだよ〜〜」



 るーるーるー黄昏(たそがれ)ているプロスを満足そうに眺めたコルリが、眼を細めてふわりとミナトに微笑む。




 それは、どきっとするほど、『人』の表情だった。



 それが、すっと消え――――

 あとにはニコニコ笑っているが、先ほどの『微笑み』とは違い、作り物めいた笑みに変わっていた。





*






 ウリバタケに呼び出され、格納庫へ向かっていたアキトは一瞬、廊下で足を止めた。



 前方から『星野瑠璃』が歩いてくる。

 少女の方は、歩調を早めもせず、遅めもせず真っ直ぐ歩む。



 一瞬、足を止めたアキトも歩を進めた。



 二人とも口を利かない。互いの近づく靴音だけが狭い廊下に響く。





 二人が無言ですれ違う直前、


 アキトとルリの視線が合い互い――――


 一瞬で擦れ違った。






 数メートル歩いたアキトは、足を止めて振り返った。




 真っ直ぐ顔を上げて、ルリは廊下を歩み去る。

 彼女は、ただの一度も、振り返りはしなかった。



 曲がり角に消えたルリを見送ったアキトは眼を伏せ――――刹那、身を翻し格納庫へ向かった。





*



「そろそろ、来るころぢゃと思っていたよ」

 部屋の主の言葉に、ノックをしてから部屋に入ったイズミは自嘲の笑みを浮かべた。


 イズミはペタンと卓袱(ちゃぶ)台の前に座る。

 部屋の主――『フクベ・ジン』は渋茶色の湯飲みに紅茶を入れ、イズミの前に置いた。


 無言で受け取ったイズミはズズ〜〜〜〜ゥと大きな音を立てて、一息に紅茶を飲み干す。



「…………これは――――」



 一瞬、宙に視線を彷徨わせてから、イズミはボソボソと喋る。


「『午○の紅茶』のブラックティーに、ブランデーを垂らしたものね」



 フクベ提督は傍にあったペットボトルを引き寄せ、ラベルを読んだ。



「うむ。当たりぢゃ」



 しばし、白い静黙が訪れる。


 ここに日本庭園があったなら、ししおどし(添水)の音が甲高く鳴り響いているであろう。そんな沈黙だった。





「もう一杯、いるかね」


「…………いただくわ」





 湯気の立ち昇る紅茶をイズミは、ズズゥ〜〜〜〜ッと音を立てて、一息で飲み干した。



 コトンと卓袱台の上に空になった渋茶色の湯飲みを置く。





「…………熱い」


「うむ」






 しばしの沈黙の後、気だるい表情のイズミが口を開いた。


「…………聞きたいことがあるわ。元火星第一守護艦隊提督フクベ中将」


 フクベの白い眉が僅かに上がってから、提督帽の鍔で目線を隠す。

「うむ」



「…………あなたたちが第一次火星会戦で、軍を引き上げた時……いえ、引き上げた後も火星で戦い続けた兵士がいたはずよ」

「火星エアフォース隊」

 即答したフクベ提督に、イズミが暗い眼を向ける。

「…………ええ。そう。…………彼らの最後を、提督……貴方の口から聞きたいの」




「わしを憎むかね」




 断罪を待つ老人に、イズミは静かに自嘲の笑みを浮かべた。


「人を憎むのは…………エネルギーの要ることなのよ。そう、怒ることもね。
 ワタシには…………そんな気力……残ってないわ。
 時たま、思い出して哀しんで………………いえ、ワタシはもう哀しむことすら………………疲れてしまった。

 あとは、ただ……忘却の海に沈めて…………忘れ去るだけよ」




「…………」




「提督から聞くのは…………ワタシなりの区切りみたいなもの。

 …………彼らの最後を聞く。

 それが、彼らのために、ワタシができる、たった一つの手向けだと…………思うから」




 生き続けるのに疲れている瞳。


 愁いと哀しみの表情。


 これが、イズミの素顔なのだろう。



 今、自分が生きていることすら哀しむ……儚い美貌。





 フクベはイズミの瞳の中に、自分と同じ疲弊を見つけていた。


 生きることに疲れきっているのに、自ら死ねない――死んだ者のためにも、生き続けなければならない――贖罪。




 フクベ提督は重い口を開く。


「部隊は……二連隊に分かれて、作戦行動しておった。

 隊長の……『ミカズチ・カザマ』大尉だったかの…………。

 彼が遊撃隊として、襲撃の連絡を受けた街やコロニーで木星蜥蜴の討伐の任務に当たっておった。
 そして、もう一連隊の方が脱出経路の確保のために、ユートピア・コロニーのシャトル基地の護衛をしておった」


「じゃあ…………隊長らの最後は?」


「見てない…………いや。全滅の報告は受けていない」



 イズミの眼に光が宿る。

「彼らの…………最後の消息地は?」



「ネルガル・オリンポス研究所ぢゃ」



「…………オリンポス…………研究所…………」



「そうぢゃ」



 イズミは大きく肩を落とした。

「あそこには…………誰かがいた形跡は……無かったわ。そして、メッセージも残っていなかった」



「…………」





 イズミは泣きもしないし、涙も流さなかった。



 ただ、静かに眼を伏せ、黙祷を捧げる。




 静寂。



 死者を追悼する静寂。




 見捨てた第二の故郷を愁嘆する静寂。





 そして――――


 生き残された生者たちへの静寂。











 俯いたまま、イズミが湯呑みを差し出す。



「…………紅茶…………もう一杯…………もらえる?」



「…………うむ」






 ズズズズズズゥゥゥゥゥゥゥゥッッ!!


 盛大な音を立てて、紅茶を一気に飲み干すイズミ。







「垂らしてあるブランデーでも…………酔うかしら」



「無理ぢゃろうな…………量が量ぢゃ。呑むかね」


 フクベ提督は秘蔵のブランデーの酒瓶を掲げる。



「遠慮しとくわ…………警戒体勢中だしね。仲間の死を悼んで酔っぱらって…………それで、自分が死んだら…………笑い話にもならないわ」




「………………うむ」





「…………芸人としては……もっと、笑える死に方でないと…………例えば――」

「問題はそこじゃないと思うがの」



 フクベ提督の瞬時のツッコミに、白い沈黙がぴよぴよと飛び交った。












 ふと、イズミが横にあった物を手に取る。


「…………ウクレレね」



「ああ、ちょっとした嗜み程度ぢゃがな」


「夜な夜な聞こえてくるウクレレはこれだったのね。つい、ワタシも共演してしまったわ。
 …………リョーコやヒカルに八月蚊(やかま)しいと怒鳴られながらね」


 ボロロロンとウクレレを鳴らすイズミに、フクベ提督は納得したように頷いた。

「ほほう。やっぱりあれは君であったか。若いのに、たいした腕ぢゃ」



 イズミはウクレレを調律しながら、弦をツマ弾いていく。

「どうして…………軍人なのにウクレレを弾くの?」



「逆ぢゃ」



「…………え?」


「若いころ、ある映画を見ての。軍人になればウクレレを弾けると思い込んでしまってのぉ。…………気づいたら軍人になっておったんぢゃ」


「…………ウクレレ弾くために……軍人になったわけね」




無論ぢゃ

 フクベ提督は、力強く断言した。




「フクベ提督……………………オイシイわ」


「わしは筋ばかりで、不味いぞ」


「筋ばかりの老人は不味いけど…………筋ばかりの子供は美味しい…………スジコ…………ククククク」


 低い笑い声に合わせるように、イズミはウクレレを掻き鳴らす。


「…………良い……ウクレレね」


「軍の退職金を全て注ぎ込んだからの」


「ふっ。まさに…………至高の……金の使い方ね」


「うむ。同感ぢゃ」



 二人の会話を遮るように、通信音が鳴った。

「提督。そろそろ、クロッカスです」


「うむ」

 メグミの声に返事を返したフクベ提督は立ち上がる。



「来るかね?」


 イズミはフクベ提督に悪戯っぽい眼を向けた。

「ふっ。ワタシよりも…………適任者がいるわ」




「…………そうぢゃな」





「そのウクレレは、君にあげよう」



 イズミがドアに振り向いた時には、扉が閉まり、その背中は消えていた。









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