震脚の踏音が、そう広くない庭に響いた。
準備姿勢から、左足を一歩踏み込むと同時に、両拳を下から跳ね上げるように突き出す。
木連式極破流柔の
『前』を懐かしがるためでも、感傷に浸るためでもない。
『この世界』は『前の世界』とは明らかに別の道を進み始めていた。
今は『ナデシコ』に関係する状況だけが変化してきている。
しかし、このズレが『時空』全体に関わってくるのは、眼に見えていた。
痛みを伴う優しい記憶を掘り起こしては、『この世界』と検証していく。
変わったのは二人。
全てのズレは、この二人から発生していた。
右足を強く踏み込みつつ、右肩と右肘を後方に引き、右足の震脚と同時に騎馬式になって、右肘を上から小さな円を描くように中段に打ち込む。
一人は『テンカワ・アキト』
自分が――『テンカワ・アキト』が変わったのは問題ない。
自分は『この世界』の『天河明人』ではない。『闇の王子』と化した『復讐鬼』なのだから。
だが、『この世界』は、その『テンカワ・アキト』の予想を、はるかに越えて廻り始めていた。
腰を90度回して、左足を伸ばしながら、左拳と右拳を腹前に据える。
そして、もう一人は『星野瑠璃』
初めのうちは、おかしいと思わなかった。
ルリに逢ったのは2年ぶりだったし、この当時のルリに会うのは、実に7年も前になる。
右拳を右腰に引きつけ、左拳を左側方に突き出す。
『この世界』でルリの人形のような風貌を見ても、多少の違和感はあったものの、それほど変だとは思わなかった。
『昔』も、殆ど感情を出さなかったから。
明らかな異変に気付いたのは、サツキミドリの単独行動からだった。
その疑惑は、『瑠璃』が火星で『艦長代理』を務めた時に決定的となった。
この世界の『星野瑠璃』は、明らかに『星野ルリ』とは違う。
両拳を開掌にし、左掌を上に向けて、両足の踵を浮かせ、踵を捩じ込むように震脚して騎馬式になると同時に、右掌を右膝の前に打ち下ろし、左掌を額の上に打ち上げる。
なぜか?
理由は幾つか考えられる。
まず第一に、この世界が『過去の世界』ではなく、『平行世界』だということ。
自分の他に『天河明人』が居たことからわかるように、この世界は『平行世界』である可能性が高い。
平行世界の星野ルリは外見、容姿、遺伝子が同じでも、同一ではない。
ならば、『前』と違う行動をとっても何ら不思議ない。
しかし――――
明らかに『先』を見越しているような行動は、説明がつかない。
アキトすら予想のつかない『先手』をとる行動は。
右足を左斜めに出しつつ、右掌を鉤手に変えて弧を描くように振り上げる。
では、『星野瑠璃』が『星野ルリ』だということ。
この考えは意識的に避けていた。
その理由は『彼女』を巻き込みたくなかったから。
だから…………考えないようにしていた。
『彼女』は違うのだと。『瑠璃』は『ルリ』ではないのだと。
僅か半年とはいえ、自分の『義妹』だった少女を、自分の運命に巻き込みたくなかったから――。
重心を後ろに下げながら、右鉤手を開掌にして腰に引き、左掌を前方に押し出す。
――――違う。
それは、嘘だ。
それは、詭弁だ。
本当は――――。
もし『ルリ』なら、その『力』に縋ってしまいそうになる自分が『怖かった』からだ。
その『人間』ではない。アキトやユリカが『そんなもの』で、人の価値は定められないと説いてきた『強大な力』に。
『人間性』を否定する『作られた能力』に。
彼女を『利用』してしまう自分の『弱さ』が何よりも『怖かった』
左足を右足に引きつけ、踏み落とし震脚させると同時に、右掌を肩の前方に打ち出す。
だが、『瑠璃』が『ルリ』である可能性は低い。
『この世界』でナデシコに乗ったときに見た、知らない人間を見るような『瑠璃』の金の瞳。
自分が『前』の世界を知っている素振りを見せても、一切、変わらない無表情。
なにより、『ナデシコの仲間』に心を開かない言動。
もし、『前』の『ルリ』ならば、彼女を見捨てた自分は別としても『仲間』には心を開くだろう。
『星野ルリ』にとって、『ナデシコ』は『特別』なはずだから。
『ナデシコ』は、彼女の『心の支え』のはずだから。
それに…………。『星野ルリ』なら自分とともに『未来』を変えてくれると思う。
あの『未来』を知っている『ルリ』ならば。
だから………………、『瑠璃』は『ルリ』ではない。
左足を大きく左側に飛び込ませ、着地と同時に騎馬式となって、右拳を振り下ろし、左掌を右上腕部に打ち当てた。
最後の推論は、『未来』を知っている『ルリ』とは違う、別人の『星野瑠璃』
そんなことがあるのだろうか?
――――ある。
可能性は一つ。
もし、この世界に『瑠璃』と『ルリ』の二人が居たならば?
『星野ルリ』が『星野瑠璃』に接触し、『未来』を教えていたならば?
それならば、サツキミドリや火星での行動も説明がつく。
そして、自分やナデシコクルーに向ける冷たい瞳も。
もし、『彼女』もこの世界に跳んでいたのなら…………あのランダムジャンプの時に、『ブラック・サレナA5』に打ち込まれたハッキング用有線アンカーを断ち切れなかったのが悔やまれる。
サレナの小型相転移
だが、疑問も残る。
どうやって、『瑠璃』がエステバリスの操縦を覚えた?
自分の知っている『ルリちゃん』は操縦などできなかったはずだ。
では、いったい誰が…………教えた?
もっとも、この疑問も『星野ルリ』に逢えば解決するはずだ。
そして…………『力』を借りよう。
もう、自分独りで、どうこうできるレベルを遥かに超えている。
共に道を歩んでもらえる『仲間』が、絶対に必要だった。
「は〜〜い。頑張ってるね。
アキト君」
もう聞きなれた明るい声がアキトの思考を遮る。
一つ溜息を吐いたアキトが、振り返った。
「…………気配を消して近づくのは止めてくれ。波月ちゃん」
いつもの白を基調とした長袖の軍服と黒のスカート姿の『波月』が、不思議そうに眼を瞬かせる。
「いつもと同じように近づいただけだよ」
「…………いつも気配を消しているのか。
で、何の用だ? 波月ちゃん。
ラーメンの麺作りか?」
あの食堂で、ラーメンの作り方を教えてもらう約束を強引に取り付けた波月は、まず、麺造りから着手した。
だが、アキトはラーメンの化学組成式など知らない。
そんなわけで、アキトから大体の成分を聞き出した波月がプラントで試作品を作っては、アキトに試食させているのだ。
頼れるのはアキトの舌だけ。
波月の執念ともいえる努力のおかげで、ここ二週間で合格ラインに、かなり近づいていた。
もちろん、仕事は全て上官の副艦長『高杉三郎太』に押し付けている。
アキトの問いに、波月が首を横に振った。
「うんにゃ。今日はラーメンじゃないよ。別件」
「別件?」
「暇だよね。アキト君。
…………もしかして、忙しい?」
上目遣いの波月に、アキトは半眼を差し向ける。
「それは…………イヤミか?」
その手のプロや軍人なら兎も角、若い男が平日の真っ昼間から武術の鍛錬をしているなど、暇人以外何ものでもないだろう。
前髪をクルクルと指で玩びながら、波月が笑みを浮かべる。
「そっか、そっか。実は、わたしの先輩が会いたいって…………良いかな?」
「君の先輩と云うと、優人部隊の人間か?」
「いんや。木連宇宙警備軍の人。
わたしの士官学校時代の先輩…………てか、臨時教師だった人でね。
でも、わたしが『先生』って呼ぶと怒るんだ」
「それで………『先輩』か」
「そう。で、どうする?」
確かに暇だったことには変わりない。
「わかった。行こうか」
波月は、ニッと笑みを浮かべた。
*
木連の人口は、地球とは比べ物にならないほど少ないが、住める地域が限られている為、人口密度は地球の市街地とほとんど変わらない。
そんな木連も平日の昼間となると、人通りが少なかった。
木連も地球の暦に合わせて、24時間週7日単位で動いている。
ただ、木連の休日は日曜ではない。火曜日だった。
そして、その火曜日の休日は『観日』や『観賞日』。もしくは『鑑賞休日』と呼ばれている。
理由は、昔、地球でゲキ・ガンガーが放映されていた曜日だから。
その理由を聞いた時、さすがのアキトも呆れた笑いを浮かべた。
人通りが少ないと言っても、閑散としているわけではない。
大通りには、やたらと暑苦しいゲキ・ガンガーのテーマソングが流れ、沿道では巨大TVでゲキ・ガンガーを放映していた。
前を歩く波月はゲキ・ガンガーのテーマソングに合わせ、身体を左右に揺らしながら歩いている。
それに合わせて揺れる、腰に下げた短刀。
アキトが、初めて街中を歩いたときも思ったのだが、店という店で『女性優先』の注意札が眼についた。
『女性は、木連の宝だ』と言った九十九の言葉が実感できる。
大きな商店街は兎も角、街中は地球の『ニホン』とさほど変わりなかった。
やたら、ゲキ・ガンガーが眼につくこと以外は。
宣伝で俳優や歌手が出てくる変わりにゲキ・ガンガーのキャラが出てくると思えば、まあ、不思議ではない。
ゲキ・ガンガーが嫌いの人間には地獄であろう。
逆に、ゲキ・ガンガー好きな人間には天国かもしれない。
そう、『ガイ』のような――――。
アキトは、足を止め、
前を歩いていた波月が、その気配に気付き、振り返った。
「ん? どしたの? アキト君?」
「…………いや、なんでもない」
アキトは首を振ってから、歩き始める。
ここにガイがいれば、…………あいつ、跳ね回るほど喜んだだろうな。
「そういや、アキト君。挑戦者とか来なかった?」
「? いいや」
「そっか。『寸打の天河』の名は広まっても、それが『誰』なのか突き止められないんだ。
アキト君の顔、知られてないし」
「『寸打の天河』?」
疑問顔のアキトに、波月が苦笑を浮かべた。
「アキト君に付けられた字名だよ。
『極破流』の武術家たちを独りで倒しちゃったでしょ。それが結構、知れ渡ってね。
まあ、誰が名付けたってわけでもないんだけど、自然に」
「字名ねぇ…………。
波月ちゃんや九十九にもあるのか?」
「うん。あるよ。ツックーが『旋風の白鳥』。
わたしは『化け物』、もしくは『修羅の波月』」
「化け物? …………修羅?」
クスッと嗤う波月。
「そのうち、わかるよ」
「でも、挑戦者なんて来るものなのか?」
「まあ、木連には拳で会話したがる人が多いからね。
わたしが昔、道場破りをしてた頃は、一週間に一人の割合で刺客が襲ってきたし」
「それで?」
「もちろん、全員、『殺し』たよ」
あっけらかんと言い放つ波月。
絶句するアキトを余所に、波月は小学校の運動会を懐かしむような表情を浮かべる。
「あの頃は…………楽しかったなぁ」
「あっ!! そうそう。今日、会う人にも試合を挑まれるかもしれないから、気を付けてね」
波月は、パンッと手を打ち合わせた。
「はっ?」
「槍術の達人だから」
「槍術?」
「すっご〜〜く、有名な人なんだけど?
そっか、名前を思いつかないか」
「ああ…………ど、度忘れしてな」
「じゃあ、双刀術の達人って云ったら、誰だかわかる?」
意味深な笑みを浮かべて訊く波月。
「いや」
「ふ〜〜〜〜〜ん」
波月は、クスリと笑った。
「『槍術の夕薙』に『双刀の玲華』…………この二人ぐらいは憶えておいた方が『身のため』だよ」
「…………あ、ああ」
冷汗が背筋を伝う。
これは…………俺が木連人じゃないってこと……バレてるな。
「玲華先輩は双刀術でも有名だけど、命を助けられた海賊姫の美談も『超有名』なんだよね〜〜。
聞いたこと、あるでしょ?」
「も、もちろんだ」
引き攣った笑みを浮かべるアキト。
今、アキトは猫にいたぶられるネズミの心境を、存分に実感していた。
「軍では前々から有名だったけど、『先生』の名が一般人に知れ渡ったのは、あれだよね。
優人部隊に配属された時に、着任してから一ヶ月で小隕石群に巣食っていた凶悪な海賊を一掃してからだったよね」
唐突に始まった脈絡のない波月の話に、アキトは眼を白黒させる。
「その時、海賊の領主だった『鮮血鬼姫』こと『カリストの玲華』――玲華先輩の命を助け出してしまったんだ。
海賊だから、本当なら殺さなきゃならないところを、自分の義妹として引き取ってね。
それが原因で退官しなければ、今頃、少将か中将あたりになってたんだろうけど」
「引き取った?」
波月は、肩をすくめた。
「そっ。表向きは敵前逃亡になっちゃって、懲戒免職くらったんだよね。
まあ、治安を護るはずの軍人が犯罪者を匿っちゃ、当然かもしれないけど。
世論は、『先生』に同情的だったけど、本人が責任を取ると言い張ったからね。あの人も、変な所で頑固だから。
優人部隊じゃ、今でも『先生』の復帰要望の署名を出してるし」
波月はくるりと振り返って、アキトと向かい合った。
「もちろん。『先生』が誰の事だかわかってるよね?」
「あ、ああ」
「じゃあ、わたしの言っている『先生』って誰?」
アキトは言葉に詰まる。
知らないし、知るはずがない。
「わたしの上官、木連優人部隊副司令の『
木連にも色んな人がいるからね。…………でもね」
波月の眼が急速に冷えていく。
「アキト君ぐらいの年齢の木連男児で、『
アキト君。君、木連の人間じゃないね」
左足を半歩前に踏み出したアキトの黒瞳が闇暗に染まった。
「俺を――――どうする?」
仮面が外れたように波月の感情が剥がれ落ち、鋼鉄の黒瞳が顕現する。
「『敵は殺す』
…………それが、わたしの生き方」
二人の間に、強烈な殺禍が渦巻いた。
だが、アキトは構えもせず、ただ眼を細めただけだった。
アキトは静かに問う。
「…………なら、なぜ殺さない? 君ならば、俺など『瞬殺』できるだろう」
「へ〜〜。わたしの強さがわかるの。なかなかの
波月がぬらりと赤く嗤った。
「君は……わたしの敵?」
「君がナデシコの敵に回らなければ」
「ナデシコ?」
「『ナデシコの仲間は護る』。それが俺の誓いだ」
波月が眼を僅かに眇める。
「つまり…………わたしが、ナデシコとやらの敵にならなければ、君はわたしの敵じゃないと」
「ああ」
二人の間には、今にも空間が崩壊しそうなほど、殺気が張りつめている。
アキトは動かなかった。否、動けなかった。
少しでも動けば、素手で首を跳ね飛ばされるだろう。
16……いや、もっと年下か…………。
そのぐらいの年齢の少女に、アキトは完全に竦められていた。
俺は…………死ねない。こんなところで死ぬわけにはいかない。
『ナデシコの仲間』を護りきるまでは。
アキトを貫く、波月の一切、混じりけのない純鉄のような殺意のみの黒瞳が微かに細まる。
ジャンプ・フィールド発生装置付きの黒マントを羽織って来なかったことを、心底悔やむアキト。
と、波月は口許に、ふっと笑みを浮かべる。
「まあ、ラーメンの作り方を教えて貰ってる身だしね」
波月が感情の仮面を身に纏うと同時に、緊迫が霧散した。
「いいのか?」
未だに、緊張を解かないアキトに、波月はう〜〜んと伸びをする。
「わたしの敵にならなければね」
「地球人…………いや、火星人は『敵』じゃないのか?」
「『木連の敵』でしょ。
わたしが『敵』とするのは、『わたし、個人の命』を狙ってくるものよ。
そうじゃないと、キリがないもの」
「…………」
強引な論法だと思ったが、アキトは黙っていた。
彼女自身が敵じゃないと言うのだ。
あえて、反論する必要もない。
別に、自分が死ぬのは構わない。
自分はすでに死人だ。死人が死体になるのは、自然の成り行きなのだから。
だが、この時期に、ナデシコ仲間を護れなくなるのは困る。
「でも、アキト君て火星人だったんだ」
「…………ああ」
期待に満ちた眼で、マジマジとアキトを見つめる波月。
「足……八本あるの?」
「…………ない」
「隠してるとか?」
「…………いいや」
「非常時になると、飛び出てくるとか?」
「…………出てこない」
波月はシュンと項垂れた。
「…………残念」
「でも、アキト君も木連男児に化けるならゲキ・ガンガーに詳しくなきゃ駄目だよ」
「…………これでも、結構詳しいつもりなんだがな」
波月がバカにしたような眼を向ける。
「そう、どれぐらい?」
「そうだな…………設定で、ドラゴンガンガーがあったってことを知ってる――」
「なにそれ!?」
「波月ちゃん?」
「な……なななななな、なに『ドラゴンガンガー』って!!」
「TV版が途中で打ち切られたから…………幻のガンガーって呼ばれているものだけど」
「ど…………どういう形してるの? 必殺技は? 身長は? 重量は? 合体するの?」
「いや…………形と言われてもな」
「も〜〜。じれったい!!
知ってること、洗い浚い吐きなさい!!」
「え、え〜〜と。ゲキガンガーVとコスモビックが合体して――」
「ふんふん!!」
「必殺技はドラゴンブレストで、重量は・・・」
ドラゴン・ガンガーの詳細設定をアキトから聞き出した波月は腕組みをする。
「う〜〜〜む」
「波月ちゃん?」
「最上級情報を教えてくれたから、君を『敵』と見なさないことにしてあげませう」
嬉しそうに笑う波月に、アキトは無言で苦笑いを返した。
*
波月に案内された場所は、対面の壁まで2キロはあろうかという、広大な工場のような施設だった。
天井は、高さの距離感が上手く感じられないが、300メートル程ありそうである。
工場全域に渡って絡み合った配線が3D立体迷路のように張り巡らされ、その配線を覆っている鉄板の橋梁を無数のコバッタたちが通路として利用し、忙しく行き交いしていた。
その工場の中央には紫紺の戦艦が鎮座し、数百のコバッタとバッタが作業している。
床は僅かに弾力のある黒い素材で覆われていた。
アキトは声もなく、工場を見回す。
大きな鉄鋼製台座の下に8つの黒い半円球体のついた反重力浮遊制動台車に、2トンはあろうかと思われる鉄塊を乗せ、それを軽々と引っ張っているコバッタ、2匹がアキトと波月の前を通過していく。
「こ…………ここは?」
「ふふ。驚いた? エウロパ最大の整備工場だよ」
「整備工場? これが?」
「そうだよ。
ちょっと、そこで待ってて。
夕薙先輩を呼んでくるから」
「あ…………ああ」
中央の紫紺の戦艦へ走って行く波月。
「あんた。ここは初めてか?」
「え? ああ。…………凄いな」
突然、問い掛けられ、アキトは反射的に返事をしていた。
白衣を羽織った男が近づいてくる。
「まあな。…………てか、これは遺跡プラントなのさ」
「プラント?」
「そう。この整備工場自体が遺跡から発掘されたものを、そのまま使っていてな。
非常時は、この整備工場ごと移動できる」
「ほう」
「見学かい?」
「そんな感じだ」
長い黒髪を後ろで縛り、丸眼鏡をかけている長身痩躯の男は、白衣のポケットを探った。
取り出した煙草をくわえ、箱をアキトに差し出す。
「吸うかい?」
「いや…………止めておこう。一応、コックなんでな」
「ほ〜〜〜。木連で料理人たぁ珍しい。旗艦『かぐらづき』の勤務かい?」
「いいや」
「木連で『
あそこの料理長…………なんてったかな。
とにかく、ヤツに認められないと『
「そんな人間がいるのか?」
男は、煙草に火を点け、旨そうに煙を吐いた。
「ああ。この木連の料理人の元締めさ。
もっとも、おれは畑違いだから詳しくは知らねぇがな」
木連にも色々あるのだなと、感慨深げに整備工場を見回したアキトの視線が、一点に止まった。
そこには、小型のランドセルを背負ったような、ライトブルーの0G型エステバリス。
「あれは…………エステバリス!?」
工学者の男は一瞬、アキトを見るが、空青の人型機動兵器に視線を戻すと、何食わぬ顔で尋ねる。
「エステバリス?」
「ああ。…………あの機動兵器の名前だ」
「ほ〜〜。そんな名前がついていたのか。俺はてっきり0Gって名前だと」
「それは、フレームの名前だ」
「そうだったのか。通りで変な名前だと思ってたんだ」
「どこで、これを?」
「この近くに小型時空跳躍門があってな」
「そこから、出てきたと――」
男はニヤリと笑った。
「おうっ。ちなみに、そっからは牛肉やら、トランジスター型ラジオやら、アカツキとやらの会社経費落しの
エリナ…………あんた、いったいチューリップに何を投げ込んでいるんだ?
エステバリスの背中にあるランドセルのようなバックパックを指差すアキト。
「あのバックパックは?」
「ん? あいつは、
重量は、重くなっちまったが、元付いていた
「だが、あれじゃ、戦闘は無理だな」
「戦闘っていうより、動かせねぇんだ」
「?」
「
あんた。知ってるか?」
「それは――」
「お待った〜〜〜〜〜〜〜!!」
波月の声が響いた。
波月の後ろに、もう一人、切れ目の端整な美女がいた。
身長は167センチほどで、波月とほとんど変わらない。
長い黒髪を頭上の旋毛の当たりで一纏めに縛っていた。サムライポニーテールと云うべきであろうか。
それでも、黒髪の長さは腰のあたりまであり、髪を縛っている紫の帯の両端は膝まで届いている。
淵を金で彩られた紫の制服に臙脂色のベルトと濃紺のタイトスカート。
そこから伸びる細い脚美には黒のタイツと黒の磁力靴。
艦長を示す、淡い水色のケープを、肩に羽織っている。
その鋭い切れ目から、狼をイメージさせる女性であった。
アキトを見、女性は微笑んだ。
「テンカワ殿でやんすね」
「ああ」
「あ〜〜〜〜〜。高松博士。
また、煙草吸ってる。ここ禁煙だぞ!!」
「おっと、おれは仕事に戻らなきゃな」
「あたくしは、木連宇宙警備軍でケチな艦長をさせて頂いておりやす、
『
「あっ、逃げた」
「テンカワ・アキトだ」
「噂になっておりんすよ。
一人で極破流の門下生を叩きのめしたと」
「運が良かっただけさ」
「幸運で叩きのめせるほど、極破の門人は弱くないでやんすよ。
それは、兎も角。
波月から聞きやした。火星の人間だそうで。
あたくしたちが…………憎いでやんすか?」
「『昔』は……憎く思っていたこともある」
「…………どう思われようと、あたくしたちは地球と戦うでやんす。
これは……この戦いは聖戦。
正義は、悪を滅ぼすためにあるんでやんす」
キッと宣言する夕薙に、波月が待ったをかける。
「夕薙先輩。この戦争は、聖戦なんかじゃないっすよ。
戦争は政治の一部。
単なる物理的外交手段の一種です」
「波月。地球は、外交交渉をしようとしたあたくしたちを
国家とさえ、認め無かったんでやんすよ。
海賊と嘲笑した地球連合議員もいたくらいで――」
「そう。わたしたちの目的は、相手に自分たちの存在を認めさせること。
叶十先生は、木連は地球に『国家の認識』『火星の移住』『過去の謝罪』。
この三つの条件を呑ませれば、この戦争を止めるべきだって。
そして、『過去の謝罪』は状況に応じて、臨機応変に対応すべき。
まずは我々が生き延びることを最優先とするべきだ。って言っていた。
わたしもその意見に賛成っす」
「甘い!! 敵は叩いておけるときに、叩いておくものでやんす」
「それでは手段が目的を駆逐してしまっているっす。
武力――物理攻撃は目的の為に行なうものであり、手段――戦争のために戦っているわけではない。
これも先生の受け売りですけどね」
「そんな…………軟弱でやんすよ」
「戦いに勝つことが戦争に勝つことじゃない。
目的を相手に強制させる事が、戦争に勝つことです。
例え、戦いに勝っても目的を強要できなければ、その戦争は失敗です。
まあ、相手を殲滅させる目的なら、戦いの勝利=戦争の勝利になるでしょうけど。
今回は違うはずっすよ」
突然、始まってしまった二人の激論に、アキトは口を挟む。
「戦いを途中で止められないか?」
「無理でやんす。
弱小国がいったん屈服すれば、あとは搾取されるか殲滅されるのみ」
「それにね……これは
「「はっ!?」」
「火星を取られたときにね。
地球の上層部は慌てたと思うよ。
『海賊』と嘲笑した敵が自分たちの数倍の軍事力を持っていたなんて、想像すらしてなかったと思うしね。
だから、彼らは『和平』ではなく『停戦』を持ち出してきた。
そう、敵わないから『金』と『物資』だけを出すので、一時的に停戦しましょうと」
「バカにしてるでやんすね」
「ええ。もちろん、突っぱねたらしいっすよ」
「彼らの――地球の常套手段でやんす。
一時、停戦して、その間に『停戦条件』という名で相手の軍事技術を盗み出すか、平和条約と言う名で、こちらの武装を解除。
そして、地球側が有利になってから『世界平和を脅かす敵』と名付けて戦争を仕掛ける」
「必ずしも、そうとは限らないんじゃないか?」
「いいえ。悪いけど、人類の歴史が証明していやす。
たとえ、持ちかけてきた人物がどのような理想を掲げていようと」
「休戦ではなく…………和平は無理か?」
「難しいかな。
一つは、木連人の殆んどは夕薙先輩のような思想を持っていること。
わたしや叶十先生や玲華先輩みたいな人物は非常に少ない。て言うか、叶十先生の生徒たちだけ。
下手すりゃ、敵前逃亡で…………」
波月は自分の首をちょんと跳ねる
「それに、あたくしたちは後がねぇんで」
「後がない?」
「う〜ん。アキト君に言っちゃっても良いのかな?
木連は人口が増えにくいんだよね。
正確に言えば子供が出来にくいの。
重力のせいだとも言われてるけど原因は、はっきりしないんだ。
まあ、精子と卵子があれば試験管培養ができるけど、そこまでいったら、どうやっても木連は終わりっぽいけどね。
そして、もう一つ。自殺者が多いの」
「今まで普通に暮らしていた人が、ある日、突然、宇宙服を着込んでコロニーから飛び出しちまうんでやんす。
あたくしたちは、これを
「なぜ、そんなことが?」
「それが判れば苦労しねぇでやんすよ。
あたくしは宇宙警備軍でやんすから、よく自殺漂流者を保護するんで。
でもって、彼らが一様に口にするのは「帰りたい」の一言でやんす。
でも、当人はどこに帰りたいかも、なんで帰りてぇかも判ってねぇんで。
帰りたいという衝動にかられて宇宙に飛び出すんでやんすよ。
ただ、その漂流者が宇宙に出た、その日、その時間の行き先を調べるとちょうど地球に当たるんでやんす。
なぜ、そうなるのか誰にも説明できねぇしだいで」
「もしかしたら、おれたちは地球に帰りたいのかもしれない。
戦争に勝てば…………地球に帰れるかもしれないからな」
「「高松工学博士!?」」
先ほどアキトに話しかけた男が、頭を掻いた。
「すまん。立ち聞きするつもりはなかったんだがな」
『高松』と呼ばれた白衣の男は、丸眼鏡を人差し指で押さえ、アキトに視線を飛ばす。
「火星人と言ったな」
「ああ」
高松はくわえ煙草でバッタを指し示した。
「あいつらを、おれが設計したと言ったら…………火星を焼いた虫型機動兵器を、おれが設計したと言ったら…………どうする?」
「ぶん殴る」
「「「………………」」」
アキトはフッと唇の端で苦笑する。
「『昔』の…………俺ならな」
「じゃ、今は?」
「あんたを殴ろうが殺そうが、死んだ者は帰ってこない。
それに…………機動兵器が無くとも、火星は墜ちていた。
木連にプラントの力がある限りな」
「それで…………納得できるのか?」
「正直言うと俺には、あんたを殴れる資格はない。
俺も…………数多くの、罪無き人間を…………殺してきてるからな」
「…………そうか」
携帯灰皿に短くなった煙草を押しつけた高松は、新しい煙草を取り出し、火を点ける。
忙しく作業しているバッタを眺める高松。
「おれはこいつらが、兵器だということは知っている。
こいつらが何千万……いや、何十億という人間を殺すことを知っている。
整備仲間に、そんなこと洩らすと「なにをバカな」と笑われ、「これは正義のためだ」と叱咤激励されるけどな。
だが、おれは知ってる。
こいつらが、いかに効率良く人を殺せるか……おれは十分に知ってる。
おれが、そう設計したからな。
そいつに魘される日々もあった。
自虐と悔恨で逃げ出そうと思ったこともあった。
もう、止めようと思う時もあった…………」
丸眼鏡の奥の、高松の黒い瞳に、執念の業火が揺らめき燃える。
「だが…………それでも。
足が、自然に整備場に向いちまう。
頭が、常に新型兵器を――効率よく人間を殺せる兵器を考え始めちまう。
手が、勝手に機械をいじり始めちまう。
そして、おれの心は、歓喜に踊りだす。
人を虐殺できる『力』を持つ『兵器』が、好きで好きで仕様がないんだ。
『兵器』に魅せられ、魂までも魅入られる。
そんな『魅力』の前に、おれのちっぽけな理性など吹き飛んじまう。
こいつらが罪無き人間の命をいくら奪おうとも、…………人殺しと罵倒されようとも、…………いずれ、こいつらが自分に牙を向こうとも…………おれは…………『兵器』から離れられない。
…………離れたくない」
自嘲の苦笑いを浮かべ、高松はアキトたちへ振り返った。
「おれは…………間違いなく、地獄に落ちるだろうな」
アキトと波月が優しく眼を細める。
「……俺もさ」
「地獄逝き決定が、わたし含めて三人か」
眼鏡の奥の、兵器に獲り憑かれた『狂技術者』の執念の瞳。
優しさが消え、狂気に染まった『復讐鬼』の闇夜の瞳。
感情が剥ぎ落ちた、血塗られた道を歩む『化け物』の鋼鉄の瞳。
そんな三人に、夕薙は言葉を無くす。
感情の仮面を被った波月が、にっこりと笑みを浮かべた。
「と云うわけで、夕薙先輩だけは道を踏み外さないでくださいね」
三人の雰囲気に圧倒された夕薙が言葉を濁す。
「今からでも…………何とかならねぇでやんすか?」
「もう………………手遅れさ」
アキトの自嘲に、二人も無言で頷いた。