「と、云う訳で、協力してください」



 ルリ、レイジ、ライブの三人から手渡された書類を読み終えたアカツキは、世にも情けない顔になった。

「ボクに暗殺されろ……と?」


「正確に言えば、その囮です」



「でも、ボクを殺そうとするのは、クリムゾンきっての『アイン・ファントム』なんだろ。
 おまけに、狙撃手(トップ・スナイパー)だっていうじゃないか」


「そうです」


「いや……そうですってねぇ。
 ボクは死にたくないんだけど」

「それを防ぐのが、私たちの役目です」


「防げなかったら?」

「防ぎます」


「だけどねぇ」


「日時と場所がわかってるんだ。
 暗殺を防げる勝算は十二分にある」


「確かに、その日はネルガルの会議が入ってるさ。
 場所は、ヨコハマ支社の最上階会議室だ。
 時間と場所は、星野くんの情報と一致してるけどねぇ」

「狙われるとしたら、そこだな」


「でも、あそこの窓は一面防弾ガラスが入ってるよ」

「防弾ガラスと言っても、サブマシンガンが防げる程度だろ。
 専用のスナイパー・ライフルと徹甲弾で狙われたら、普通のガラスと変わらんさ」



「あ〜〜。ボクは、分が悪い賭はしない主義なんだけどな」


「嘘ですね。
 勝算の悪い賭ほど好きなはずです」


「は……はっはっは。
 ま、まさか……ボクはネルガル会長だよ。
 安心安全志向がモットーさ」



「嘘バレバレですね」


 三人が白い目をアカツキに送る。


「完全に見抜かれているな」

「ええ。哀れなほどに」



「じ、じゃあ、こうしよう。
 連合極東方面軍対テロ部隊『攻勢保安機動隊(A・S・M・T)』に護衛を依頼するってのは?
 彼らは完全サイボーグの擬体だから、脳にさえ弾丸が当たらなければ、へっちゃらだしねぇ」


「ASMTですか?」

「ダメです。『攻機』に任せた場合、エレンさんの命の保証ができません」



「エレンくんには、悪いけどね。
 この場合――」


「これからのネルガルとの付き合い方を考えさせて頂いても宜しいですか?」


 ルリの微笑みに、アカツキの脳裏に浮かぶクリムゾンの内部機密書類の数々。


「それは…………脅迫かい?」




 ルリは無言で小さな笑みを返した。




「企業の運命と、ボクの命の選択か」

「でしたら、企業ですね。ルリさんに対抗したら100パーセント負けますが、会長のお命は助かる見込みが十分にあります」


「君たち…………ボクをなんだと思って――」




「安月給で部下を扱き使っている上司」




 ルリの一言に、レイジとライブが頷く。

「だよな」

「ですね」



「……………………」





「今までの足りなかった給料催促分、会長に働いてもらいましょう」

「ちょうど、会計士のトップもおりませんし好都合ですね」


「か、替え玉を使うってのは?」

「駄目です。クリムゾンから盗み出したデータを見る限り、ネルガル社長派に内通者がいます」


「会長。あんたは標的であると同時に囮だ。
 すまない。協力してくれ」



 揺るぎない三人の眼に、ついにアカツキは折れた。


「…………死んだら、祟ってやるからね」




「場所と、日時はわかってますから、後は――」

「どっから、狙撃されるか…………か」


「では、当日。私が会長の周辺を警護し、ルリさんとレイジさんの二人でエレンさんを捕縛、もしくは逆狙撃ということで」

「いいえ。狙撃場所の特定は二人でしますが、当日は別々に行動します」


「何故だ?」

「私は、万が一の時のために『保険』を持っていきます」



「「「保険?」」」



「レイジさん。運転、お願いします」


「あ……ああ」





*






 今日のルリは、マントもバイザーも着けてなかった。


 黒一色の、ノースリーブのミニのワンピースとシンプルなスケルトン・マリンブルーの髪止め。

 胸元に、何の装飾もない金色の丸いペンダント。

 小さなポーチを一つ。



「これくらいなら、自分で運転すれば良いだろうに」

 青空駐車場に乗り付けた中型トラックから、ルリとレイジは降り立った。


「私、免許持ってません」

「偽造なら、すぐに作れるだろ」

「この年で、免許持ってるのは変です」

「何、言ってる?
 年齢も詐称するのは当然だ」


「でも…………その…………」

「ん?」



 意を決したように、ルリは小さな声で囁いた。


「私…………車の運転。下手なんです」



 レイジがまじまじと見つめ、ルリの頬が赤く染まる。



「く…………くくく……ははははははは」

 レイジは声を上げて、笑い始めた。



「そ、……そんなに笑わなくったって、良いじゃないですか」


「ははは。ゴメン。ゴメン。
 ルリは万能だと思ってたからな。
 まさか、車の運転ができないとは思わなかった」

「それ…………波月さんにも言われました」


「ん?」

「いえ…………なんでもありません。
 兎に角、軍の自動車教習訓練のシミュレーター訓練機で、人を87人轢き殺してから、二度とハンドルは握らないと誓ったんです」



「は……87人?」


「はい。自動車教習学科、始まって以来の『最高得点』だそうです」



 再び、レイジが爆笑し始める。

 ルリは赤い顔をして、そっぽを向いていた。



「じゃ、捜査に行こうか」


 まだ笑いが残るレイジに、ルリがぶすっと返す。

「レイジさん。笑いすぎです」


「オーケー。オーケーと。
 さてと。昨日、エレンの狙撃予想区域の見当は付けたけど、どうする?」

「やはり、会議室の窓が正面を向いてる場所だと思います。
 ネルガルの会議室は一応、防弾ガラスですので、斜めから撃つと窓ガラスでライフル弾が滑ると思うんです」

「そうだな。
 南から調べるか」

「はい」




 休日のため、街中は多くの人が往来していた。



「まずは、何を探すんですか」

「狙撃で重要なものは、距離と風と角度。この三つだ。
 一昔前なら、不自然に結んである布や風船なんかの風見を探すところだが、今はこういう物がある」


 そう言って、レイジはポケットから、厚さ2センチ、直径5センチのコイン型の物を取り出した。


「これは?」

「風力と風向きと距離を測定する装置だ。
 こいつで、中継データを集めて、手元のハイコンで射角を算出するのが、今のやり方だな。

 もっとも、データはあくまでも、データにすぎない。
 最後は、狙撃者の勘がものを言うのは、今も昔も変わらない」


「はぁ。初めて見ました」

「軍には無いのか?」

「特殊部隊にはあるのでしょうが、私、特殊部隊の訓練は受けてないんです。
 本職は『艦長』なもので」


「だったな。
 で、この『ウインド・スキャニング』だが、大抵は高い場所に付いている」

「そんなの、どうやって見つけるんですか?
 これ、マット調で光にも反射しないようですし」


「この機械が得た情報を、どうやってリアルタイムに手元のハイコンに送信してると思う?」

「電波!!」


「そう。それが、この装置の欠点。
 不必要な電波が出てしまうことだ。
 通信距離は、約2キロ程度。
 それ以上は、狙撃できないから必要ない」


「え? でも『ASMT(攻機)』が、5キロの距離から、狙撃したとか聞きますけど?」

「…………5キロも届かせられるのは、もうスナイプ・ライフルじゃない。大砲だ。
 そんなの全身擬体(サイボーグ)化してる彼らじゃないと扱えないだろ。

 人が扱える対戦車バズーカー砲や対軽装甲車用のアンチ・マテリアル・ライフルじゃ、2キロがせいぜいだな。
 それに、彼らは衛星情報と自分の眼をリンクさせて狙撃するんだ。
 5キロの狙撃は、彼らならではの芸当さ」

「…………はあ
 レイジさん。詳しいですね」


「『ファントム(狙撃手)』として興味があって、調べたことがあったのさ。
 と、話しが逸れた。
 え〜〜と、このウインド・スキャニングから電波が出てる話はしたよな。
 で、この探査機で電波の場所を調べるんだが、だいたいの場所しかわからない」



「電波の波長はわかってるんですか?」

「この探査機が自動で設定してくれる。
 便利な機械が出てくれば、必ずそれを覆す物が出てくる。技術の定めだ」



「この近くにもありますね」

 探査機を覗き込んでいたルリが顔を上げて、きょろきょろと辺りを見回す。


「探索の仕方は、8の数字を書くように目線を移動させるんだ」

「はい」


「て、言うのは、昔の話。
 技術の進歩で、そんなやり方じゃ、100年費やしても見つからない。


 …………そんな、怒った顔するなって。

 ネルガルの会議室が地上100メートルぐらいの位置にあるから、当然、風見もその高さにある」



 レイジはミラーグラス型のサングラスを取り出して顔にかけ、ビルを見上げた。


 しばらく、ビルを見つめていたレイジは口許に薄い笑みを浮かべる。

「一つ目。発見」



 レイジはミラーグラスのサングラスをルリに渡した。

「かけてみろ。
 マーキングしてあるから、すぐに見つかるはずだ」


「………………はい。確かにありますね。
 このサングラス。望遠鏡だったんですか」

「ああ。まさか、街中で馬鹿正直に望遠鏡を覗いて、見上げるわけにはいかないからな。
 覗きと間違わられて、ポリスに直行だ」


「これなら、私も自分のバイザーを持ってくるべきでした」

「あれは、目立ちすぎるだろ」


 ルリは望遠サングラスをレイジに返す。

「でも、あれには望遠機能の他にも、電波探知機も付いてますし、衛星から光学リンクもできます」

「何げに凄いんだな……アレ」


「はい。
 でも、レイジさん。望遠サングラスが一つだけなのは不便です」

「抜かりはない。
 ちゃんと、二つ持ってきてるよ」


「そうですか。
 で、一つ質問なんですけど、どうやってエレンさんは、あんな高い場所にウインド・スキャニングを取り付けたんですか?
 ビルを登ったりしたら、それこそ、警察のお世話様です」


「『μFRー2』って知ってるか?」

「S・E社が作った手のひらサイズのヘリコプターですね」

「そう。そいつに超小型反重力制御装置とカメラと作業アームを装備したのが、今の『μFRーZ』。
 こいつに取り付けさせたのさ」

「確かに、あれならビル風など、ものともしませんが…………操縦している姿は、かなり目立つと思います」

「言ったろ。技術は進歩してるって。
 操縦器は携帯電話の形に変えてあるよ。
 端から見れば、携帯を弄ってるようにしか見えないし、ヘリの多角カメラからの画像が携帯の画面に送信されるから、上を見る必要もない」

「はあ」



 レイジはコミュニケで地図を表示し、ウインド・スキャニングの位置・高さ・向きを入力した。


「ルリ。次、行くぞ」





*





 ベンチに座ったルリは烏龍茶アイスを嘗めながら、レイジのコミュニケから送信された地図データを操作していた。

 レイジはジュースを飲みながら、折り畳み式IFS型ハイコンに表示された地図を覗き込んでいる。


 端から見れば、兄妹に見えるだろうか。



「このアパートのようですね」


 ハイコンに表示した3次元地図には、一本の直線が引かれ、あるアパートを通過していた。

 ここ数時間で調べたウィンド・スキャニングの分布図とネルガル支社の方角から算出された線だった。


「そうだな。屋上は高すぎるから、25階辺りだろうな」


「顧客情報から、あのビルを探れば、どの部屋か特定できると思います」


 ルリは、ハイコンの地図をスクロールさせた。

「それと、もう一つ、直線範囲内に建設中のビルがありますが」


「そこは、3キロ以上も離れている。
 対戦車砲やアンチ・マテリアル・ライフルでも届くかギリギリだ。
 それに、ウィンドスキャニングは前の狙撃地点で途切れているし、可能性は低い」



「狙撃ポイントの近くに部屋を確保しなければなりませんね」

「いや。逆狙撃にする」

「え?」


「エレンを捕らえる方針は変わってない。

 だが、こっちにはホワイト・ゴースト……つまり、ルリがいるからな。
 この暗殺が俺たちに知られていることを、エレンは察知しているはずだ。

 じゃあ、その暗殺を成功させるためにはどうするか?
 簡単だ。狙撃を終えるまで自分の所に、俺を近づけないようにすればいい。

 だから、こっちはエレンの裏をかく。
 まずはエレンを負傷させて、暗殺を阻止する。
 そのための、逆狙撃だ」


「ですが、ライフル弾が当たったら、それだけでショック死しますよ」

「そこは――――」



「そこのお二人、深刻そうな顔してどした?
 そんなときゃ、プレゼントしてやるのが、一番効果的だぎゃよ」

 ルリとレイジに、アクセサリーの露店商の若い男から声が飛ぶ。


「ひゃー。可愛い彼女だねぇ。
 え? もしかして妹?
 うひょ。禁断の恋かや?
 でだが、顔立ちが違ぇから、やっぱ恋人やんべか?」


 売り子の声を右から左へと聞き流しつつ、レイジはアクセサリーの数々を眺めた。

 原価数百円程度なのは簡単に見て取れるが、それに細かい彫刻と細工が施してあって、結構、高級品に見えたりする。


 そういえば、昔、こういう露店商でキャルにオルゴール付きの懐中時計を買ってやったっけ。


 たった1年前なのに、あれが、もう何年も前のように思える。

 俺がいなくなった後、キャルは普通の生活に戻れただろうか。

 クリムゾンとは、縁が切れただろうか。


 連絡を取りたい。

 だが、ネルガルに組みしている今の自分が連絡を取るだけで、彼女の立場は危険なものに変わる。


「おっ? お嬢ちゃん。眼が高いねぇ。
 それは、おれっちの自信作だべよ。
 どうだい? 彼氏に強請ってみんぜよ?」



 細かい模様が細工された髪止めを熱心に見ていたルリを見、レイジの口許に微笑が浮かぶ。


 やはり、ルリも女の子なんだな。



「買うか?」



 不思議そうな表情で、レイジを見上げたルリは、ゆっくりと首を横に振る。

「いいえ。…………今の私には、必要ない物ですから」



 ふと、ルリは何かに釣られるように顔を上げた。

「そういえば、お腹、減りましたね」



 視線の先には、ラーメン屋台があった。




*




「へい!! お待ち」



「へえ〜〜。なかなか、旨いじゃないか」

「そうですね。屋台ラーメンにしては、なかなかです」


 ずるるとラーメンを食べたレイジとルリは賞賛の声を上げた。



 微かに笑みを湛えながらラーメンを食べているルリに、レイジは箸を止めた。

「何か嬉しそうだな。どうした?」


「…………懐かしいんです」


「ん?」

「私の家族が、屋台ラーメンをやっていた時期がありまして。
 私も、チャルメラ、吹いてたんですよ」


「ルリが…………チャルメラを?」

「はい。一応、看板娘……看板少女でした」


「今、その家族は?」

 レイジの問いに、ルリは黙って首を振った。


「…………そっか」



 ルリはラーメンスープを飲み干し、ドンブリを置く。

「オヤジ。お代わり」



「…………まだ、食うのか?」

「少女は、育ち盛りなんです」

「まあ、ラーメンくらいなら、幾らでも奢るよ」


「オヤジ。茹で卵追加」




「なあ。ルリ。
 訊きたかったことがあるんだが」

「はい?」


「前の戦闘で、煙の中での『見えない戦闘』なんか、どこで覚えたんだ?
 軍か?」

「ああ。あれですか。
 あれは、私の義姉だったユリカさんの『十八番(おはこ)』です」

「十八番?」

「へい。お待ち」

「はい。ユリカさんとはよく、暇潰しに戦略シミュレーションをやっていたのですが、10回に1回しか勝てませんでした。
 あまりにも差がありすぎるので、ハンデ戦もよくやったんです。
 そのハンデ戦で、初めに私の陣形だけ見せて、後は私の艦隊だけがユリカさんから見えなくなる不可視モードで戦ったことがあります」


 二杯目のラーメンを啜り始めたルリは、苦笑を浮かべた。


「30分で一隻残らず、全滅させられました。

 次に、陣形も見せないで、初めから不可視モードで対戦しました。
 全滅はしないまでも、旗艦を墜とされて負けました。

 アレを模倣しただけですが……私のやった、煙の中での不可視戦術など、あのユリカさんの足元にも及びません」



「そんなに、読まれちまうもんなのか?」


 半信半疑のレイジに、ルリは微かな自嘲の表情を浮かべる。

「私は、常に勝てる状態で戦い、決して負けない手を打ちます。
 勝てない時には戦いません。
 それは、基本に忠実ということなんです。
 ですから、私の手は読まれやすい。
 いえ。普通の人間には読まれないのですが、ユリカさん級の戦略眼を持った相手には、手に取るようにわかるそうです」

「信じられないんだが」



「私も信じたくありません。
 でも、『天才』ってそう云うものらしいですから。

 『秀才』では、決して手が届かない人間。
 それを『天才』と呼ぶんだと思います」



「勝てない時は戦わない、と言ったが――」

「はい」



「それでも、戦わなければならない場合は?」



「逃げます。

 でも、逃げられない場合もあります。
 ですから、私には『参謀長』が必要なんです。

 劣勢に立たされた時、戦闘の主導権を握るための奇襲を、

 逆転のきっかけを作れる奇策を講じられる、

 奇襲と奇策を得意としている参謀長が、絶対に必要なんです」



「そんな人物、居るのか?」



「いることには、いるんですが――」



 言葉を濁したルリは青空を――その向こうの宇宙を――そして、あるはずの木星を仰ぎ、口の中で呟いた。


「…………この世界でも、波月さんに逢えるでしょうか?」






*




 レイジと、ラーメン四杯完食という偉業を達成したルリは、公園のベンチで食後の休憩をしていた。


「ルリ。いったい、あれだけの食べ物が何処に入るんだ?」

「……お腹です」

「…………そう見えないから、聞いてるんだが…………」



 公園では、麗らかな日差しの中、数人の子供たちがゴムボールで遊んでいる。


「……とても…………戦時中には……見えませんね」


「連合空軍第8艦隊『ゼフィランサス』の働きで、この辺りの蜥蜴は一掃されたからな」

「…………連合……空軍………………第8……艦隊?」

「ああ。それがどうかしたのか?」

「………………………………いいえ」



 レイジは晴れ渡った蒼い空を仰ぎ、眼を眇めた。

「だいたいの下調べは終わったな。あとは逆狙撃のポイントか。
 ここは、ビル風が強いから――」


 レイジの肩に、ぽふっとルリの頭が寄りかかった。

「ルリ?」


「………………すぅ

 レイジの肩に凭れたルリから、寝息が洩れる。



 気持ち良さそうに眠るルリを見、軽く微笑したレイジも眼を閉じた。


 肩を寄せあって、公園のベンチで眠る兄妹のような二人を、優しい暖かな日差しが包みこんでいた。








*



「つまり、損害はないと?」


 手を組んで座っているクリムゾン会長『ロバート・クリムゾン』に、サイスはひょいと肩を竦めて見せた。

「エエ。その通りです。
 6人の兵を失ったのは確かに損失ですが、それ以上の可能性を、私に教えてくれたのですから。
 ±0と言ったところですな」


「なんでもかまわん。
 『狂姫(アクア)』を殺せるならな」


「おまかせを。
 『ファントム(亡霊)』と、それらを指揮できる『スペクター(死霊)』ならば、必ずや。

 で、その人材ですが…………6歳くらいの子供を用意して頂けませんかね」


「いいだろう」




 サイスは、ロバートの前で大仰に手を振って説明している。



 今、クリムゾン会長室には、ロバートとサイス。


 そして、後ろに控えているエレンと、パイプイスにだらりと座っている『リリス』しかいない。



 一見すると、どこにでも居るような青年に見える『リリス』だが、存在感は影のように希薄だった。

 視線を外すと、この場に、この青年がいることさえ忘れてしまいそうになる。


 何処にでもいそうな、しかし、何処にもいない男だった。





「何故、あなたは人を殺すの?」


 エレンの問いに、リリスは茫洋と顔を上げる。


 エレンを景色の一部としか見ていないため、彼の焦点は合っていなかった。

 空虚な声音でリリスは答える。



「することがないから」



「することがないから、人を殺してるの?」



「そうだよ」




「他に……することはないの?」


「無いよ。

 僕は、ただ、そこに在るだけの存在。

 僕は何も望まない。何もいらない。

 流されるままに、流される」




「それは…………全ての望みを絶つということは『絶望』ではないの?」



「さあ。そんなこと知らないし、僕にはどうでもいいよ。

 そんなの触れたことも、見えたことも、聞こえたこともないし」




「あなたに、希望は無いの?」



「そんなもの、あげると言われたって、お断りだよ。

 僕にとって一番、いらないものだ」




「希望もないのに、生きてるの?」



「死んでないからね」





「何故?」




「死を望む人間にとって、死は希望だから。

 死によって、全てを終わらせられるという願望だから。


 僕は、いらない。


 生も、いらない。


 死も、いらない。


 何も、欲しくない」







「あなた…………空っぽなのね」







「それでも、人は殺せる。問題ない」







「………………そう」







 架かってきた内線電話を置いたロバートが唇の端を歪め、吊り上げる。


「『リリス』。『エバ』君がお呼びだそうだ」




「ああ……そうなんだ」

 陽炎が昇り揺らめくように立ち上がったリリスは、無言で会長室を出ていく。




「リリス君。彼女によろしく」

 その背に、サイスが声を飛ばした。



 パタンと扉が閉じた。



 サイスはエレンに視線を転じる。

「アイン」


「はい」

 エレンは俯き加減に、返事をした。


「おまえの次の任務。
 ネルガル会長『アカツキ・ナガレ』の暗殺を終えれば、帰還と報告は一切不要だ。
 好きな所へ行くと良い。

 おまえは『自由』だ」



「…………イエス。マスター」


 エレンにも解かる。



 自由。


 それは、生からの解放。死の自由。

 任務が終われば、クリムゾンは自分の顔と名を公表するだろう。

 そして、抹殺する。


 それが、クリムゾンに損害を与えない一番良い方法だからだ。

 次の任務が終われば、自分は確実に消されるだろう。



 今のエレンは、人間にも人形にも成りきれないでいた。

 レイジの存在が、『アイン・ファントム(殺人人形)』を揺らす。

 それは、サイスから見れば故障品だった。

 故障品は修理する。直らなければ捨てる。

 実に単純明快な理由だった。



 だが、捨てられようともエレンはアカツキの暗殺を止めようとは思わない。

 任務を放棄したら、自分はアインですらなくなってしまうのだから。






 俯き加減のエレンは、『リリス』の出ていった扉に視線を動かす。




 もしかすると――――



 自分は、今、死ねて良かったのかもしれない。




 ああ(・・)、なる前に。




 何もない影になる前に、虚ろに…………虚無になる前に。




 自分は実体あるものとして………………殺人人形として死ねる。







 そう。それは――――



 喜ぶべきことなのかもしれない。








 エレンの胸の内に、そんな思いが浮かび上がって、泡のように消えた。











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