遥か遠くに、歪な塔が見える。
だが、それは断じて塔ではない。
『チューリップ』。この辺りを壊滅させた元凶だった。
時折、チューリップから排出されたバッタの群れが、青い空を覆い尽くして、北の防衛ラインへ移動していく。
瓦礫の陰に隠れて3度目の大移動をやり過ごし、少し歩いた時だった。
突然、ルリが赤い屋根の家の前で立ち止まる。
その家は、周りが瓦礫と化しているにも拘わらず、多少壊れているものの家としての形を残していた。
「どうした? ルリ」
「人がいます」
白色のバイザーで石造りの家を眺めるルリ。
「避難民か?」
「さあ。独り……いえ、二人でしょうか?
人であることは間違いないようです」
少し考えたヴァンが、二人を促す。
「一応、行ってみよう。逃げ遅れた人かもしれない」
その家の中は、饐えたような生臭い臭いが充満していた。
その臭いに、顔を顰めるルリとアレク。
眉を顰めたヴァンは、その臭いに心当たりでもあるのか、前に出ようとするルリを押し止どめて、自分が先頭に立つ。
薄暗い部屋で人影が動いていた。
荒い息だけが、聞こえる。
裸の男のようだ。
その男が動くたびに、男の下から伸びる細く白い足が、がくがくと揺れる。
アレクはキョトンと目を瞬かせ、ルリは薄暗闇の中でもわかるくらい頬を赤く染めた。
ヴァンは、揺れ動く子供のような白く細い脚を――否、『子供』の足を見、ギシリと歯を軋ませる。
人の気配に振り返った男は、突然現われた三人に驚きもせず、じっと見つめ、にたぁっと下品な笑みを浮かべた。
「ちょっと、待ってな。直ぐに、スむから……よっ」
男が身体を振るわすと、か細い声と白く細い脚も合わせて揺れる。
男が脇に退くと、その下から栗色の髪の、全裸の少女が這い出て来た。
胸も殆ど膨らんでおらず、栄養が足りてない細い手足、病的なまでに透けるような青白い白肌。
13、4歳の全裸の少女を見、初めて事の次第を知ったアレクは顔を真っ赤にした。
目を逸らそうとするが、男の本能から少女を凝視してしまう。
少女は、三人に視線を当てられても裸体を隠そうともせず、無表情で男を見つめている。
男は、200グラムのコンビーフの缶詰を一つ、少女に投げ渡す。
「ほら、行きな」
受け取った少女は、それでも男から眼を逸らさない。
男の顔に怒りが走り、拳を握った。
少女は、ビクリと身を竦める。だが、無表情のままだった。
男はヴァンたちを見やり、チッと舌打ちすると、もう一つ、コンビーフ缶を投げ渡す。
二つの缶詰をしっかりと抱き締め、のろのろと服を着た少女は、三人を見向きもせず、家から出て行った。
男は下半身を晒したまま、ヴァンたちに卑下た笑みを浮かべた。
「その女を売りにきたのか?」
三人の返事を待たずに、付け加える。
「そいつなら、一回でコンビーフ缶、三つだな。
処女なら、五つだ」
眼だけを欲望にギラつかせながら、ルリの全身を嘗め廻すように見つめた。
ヴァンが、その視線からルリを守るように、背後に庇う。
「俺達は、お前の欲望を満足させるために来た訳じゃない。
直ぐに消えるさ」
「その小娘は自分たちのペットだから渡せねぇってか?」
厭らしい嗤いを響かせた。
先の少女の裸身が眼に焼き付き、茫然自失していたアレクが、我に返って男に怒鳴る。
「お、お前、こんなことして良いと思ってるのかよ!!」
「思ってるさ。
足おっ広げて、腰振ってくるのは向こうだぜ。
働いて、賃金を得る。資本主義様様さ」
勝ち誇る男に、ルリは冷たい侮蔑を投げつけた。
「それは、資本主儀でも何でもありません。
ただ、相手の弱みに付け込んで搾取しているだけです」
「搾取こそ資本主義さ」
「陳腐で、下手な詭弁ですね」
ヴァンは、男の背後にある缶詰の山に視線を送る。
「それを、苦しんでる人に分けようとは思わないのか?」
「はっ。助けて、何になるってんだ?
一文の得にもならねぇ。
だったら、俺様はやりたいようにやるさ。
実際に、犯ってるしな」
男は嗤い声を震わせた。
「自分が苦しんでも、そう言い切れるか?」
「はあ? 知らねぇな。
俺様は
選り取り見取りの女が通ってくるんでな。
ククク。一度は、7歳のガキが親に連れられて、来たこともあったぜ。
まあ、美味しく頂かせて貰ったけどな。
俺様は助けなんて、いらねぇよ」
「そうですか。覚えておきましょう」
一言投げたルリは、身を翻した。
アレクとヴァンも、もう声を聞くことすら嫌だと云う表情で後ろに続く。
「なあ、本当に置いていかねぇのか?」
欲に満ちた声を、三人は一切無視した。
*
「あの子、何処に行ったんだ?」
赤い家を出、辺りを見回すアレクに、ルリは歩き始める。
「こちらです。
このバイザーでトレースしてますので」
一分ほど歩いた所で、少女の後ろ姿が遠目に見えた。
「お〜〜い。ちょっと待ってくれよ」
アレクが呼び声をかけた途端、少女は後ろも振り返らずに逃げ出した。
「なんで!?」
驚いたアレクが、慌てて追い駆け出す。
アレクの見ている前で、少女が転んだ。
一つ、転がっていく缶詰。
少女は、落ちた缶詰を拾おうともせず、持っている缶詰を抱えて、その場に蹲った。
アレクが缶詰を拾い。少女に差し出す。
一瞬、キョトンと呆けた表情を見せた少女は、次の瞬間、引ったくるようにして缶詰を奪い返した。
二人に追いついたルリが、少女を諭す。
「ごめんなさい。怖がらせましたね。
あなたの物を盗ろうとは思ってません。
一つ、聞きたいことがあるだけです」
少女は缶詰を抱えたまま、無言で俯いている。
「教えてください。
あなたが、ここにいるということは、何処かに避難場所があるはずです。
それは、どこですか?」
無言の少女。
顔には何の表情も浮かんでないが、眼には猜疑が宿っている。
ルリは、新品のクッキーの缶を差し出した。
しばし、缶に眼を注いでいた少女は奪うようにして受け取り、俯いて歩きだす。
三人も無言で後ろをついて行った。
誰も口を開かない。
重く。
沈鬱に。
葬儀のように。
四人は、だだ黙して道を歩く。
道は舗装してあるものの、民家など一軒も見えない一本の田舎道だった。
黄泉の世界から地獄へ続くような、一本道。
*
辿り着いた場所は、小さな雑木林だった。
その小さな林に、人々が集まっている。
地面に直接、寝ている者。
猜疑の目で、辺りを警戒している者。
痩せ衰えた乳飲み子を抱え、蹲る女。
襤褸を着て、手を握り合って眠る兄弟。
小さな焚火に集まる、大人と子供の集団。
そして、遺体。死体。亡骸。屍。
一様に、難民たちの表情には、重い絶望が立ち込めていた。
やがて、小さな林の中の、さらに小さな空地が現れる。
眼鏡の青年の横で、小さくクスクスと笑っていた小さな女児が、少女に気づき、ぱっと立ち上がって駆けて来た。
妹は、姉に縋り付いた。
女児に、安堵するような笑みが浮かぶ。
少女は女児を優しく抱き締めた。だが、表情は動かない。
眼鏡の青年がルリたちに気づき、手招いた。
「やあやあ、いらっしゃい。
儚い現実へようこそ。
え? それを言うなら、夢か幻だって?
間違えちゃいけないよ。お客さん。
今宵は、現実の方が儚いのさ。
いやいや、事実は小説よりも奇なり。現実は一夜の夢よりも儚しってね」
一気に捲くし立てた眼鏡の青年に、ルリが無表情で返す。
「いろいろ言いたい事はありますが…………私、客じゃありません」
「レディ。
よく言うでしょう。お客様は神様です!! とね」
「その論法で行くと、あなたに会った人は、皆、神になりますが?」
「おおっ。素晴らしい。
いつの間にか、地上は神の楽園に」
「これが……ですか?」
無感情な瞳で、悲惨な惨状を見回すルリ。
「いやぁ。ちょっと無理があるかな?」
「きっぱりと」
眼鏡の青年の勢いに気押されていたアレクが気を取り直して、問いかける。
「なあ、なんでこんな所に、こんなに人が集まってるんだよ」
「空軍の基地目指して歩いて来た人々さ。
危険な時に考えるのは、皆一緒だね。
皆、一緒に行動して、一緒に逃げて、一緒に崖から飛び降りる。
レミング、顔負けさ」
「じゃあ、なんで行かねぇんだ?」
「滑走路でバッタの軍勢が宴会を開いていてね。
一般人、お断りだってさ。困ったもんだ」
演劇のように大仰に肩を竦める眼鏡の青年に、ルリが頷く。
「空軍の滑走路に敵が居座り、放置されてるのなら、軍は完全に引き上げたと見て間違いなさそうですね」
彼らの後ろで、少女が周りを警戒しながら、隠れるように妹にコンビーフの缶詰を食べさせていた。
ここでは、隙を見せれば食料を強奪される。
「食料、足りてないようですね」
「残念なことにね。
あとはバッタでも食べるしかないかな」
「煮ても焼いても、食べれません」
二人の掛け合いさえ耳に入らず、アレクは痩せた姉妹を見つめていた。
「それもこれも、軍の奴らが撤退したからだ」
「そうそう、動物愛護協会に圧力をかけられてね」
「は?」
「動物愛護協会は、とうとう爬虫類まで範疇に入れたのさ。
木星トカゲを守ろう! ってね」
「バッタは虫です」
眼鏡の青年は、じっくりと目の前の少女を値踏みする。
「レディ。どうだい? 僕の漫才の相方にならないか?」
「お断りです」
「ダメ?」
「キッパリと」
「ヨヨヨ。ぼくに才能が無いって言うんだね。
だから、組みたくないと」
「それも本当の事ですか、違います」
「キツイね。レディ」
「私、少女ですから」
ルリはしれっと返した。
「う〜ん。腹が減っては戦は出来ぬというのは、本当だね。
漫才の出来が今一だ。
戦は真っ只中だけどさ」
苛々したように、アレクは口を挟む。
「お前。そんなことばっか、考えてるのかよ」
「優秀なジョークを知りたければ、戦場に行くと良い。
そんなジョークもあるぐらいだからね」
片目を瞑った眼鏡の青年に、激高するアレク。
「お前、よくこの悲惨な状況で、そんな下らない冗談ばっか言ってられるな!!」
眼鏡の青年は、静かに言葉を紡ぐ。
「ねぇ。ボーイ。
人が生きるには、パンと水が必要だよ。
でも、人が『活きる』為には、笑いが絶対に必要なんだ。
悲惨な体験、絶望的な未来を一瞬でも忘れるために。
今日を、そして明日を生活していくために。
悲しいからこそ、辛いからこそ、人は笑いを求める。
悲しいから笑って、辛いから笑って、笑いで堪えて忍んで、懸命に生き抜いて、『活きて』いく。
ここでは、母親が子供のミルクのために春をひさぐ。
まだ、十数歳の女の子が一切れのパンのために足を開く。
食べ物が無くて死体を、それも自分の息子を食べた男だっている。
断言しよう。ここは、
だから――だからこそ、『笑い』が必要なんだ。
さっきの女の子の顔を見たかい? 仮面のように、いや、死人のように表情が動かない。
そんなんで、活きてるって言えるかい?
ぼくは道化以外できない。
バッタを倒す力なんかないし、女の子を救える力もない。
ぼくができるのは
でも、ぼくの道化で、悲しい笑いでも良い、辛い笑いでもいい、微かにでも微笑んで欲しいんだ。
その笑いが希望になるから。頼りなくとも、か細くとも、明日へと続く希望になるから。
そのためなら、ぼくは喜んで『
淡々と話しているのに、血を吐くような悲鳴にも聞こえる青年の言葉に、アレクは押し黙った。
ズズゥゥゥゥン!!
爆音が木々を揺らし、爆風が落ち葉を舞い上がらせる。
「な、なんだ?」
驚くアレクに、ルリが冷静に答える。
「バッタですね。南に2匹。
北からも2匹きてます」
「こういう時は、どうしてるんだ?」
眼鏡の青年は、軽く肩を竦めた。
「逃げるだけだよ」
「それじゃ、全滅するだけだ!!」
「運が良ければ、生き残るさ。悪ければ死ぬ」
「ふざけんな!!」
「それに――」
「お喋りは後です。ヴァンさんは北へ回ってください。
そちらの2匹はお任せします。
こちらの2匹は私が」
「ルリ。無茶はするな」
「ええ」
「アレクは下がっていてください」
「…………ああ」
「クソッ!! また、俺一人、お荷物かよ!!」
*
林の中に銃声が響く。
中枢を撃ち抜かれたバッタは、煙を上げて動かなくなった。
ルリは、木々の間をスピードを落とさずに駆け抜ける。
ルリを追う機銃の乱射が幹の表面に弾け、木屑を舞い散らせた。
大木の陰へ飛び込んだルリは、その場で屈んだ。
その真上を弾雨の嵐が吹雪く。
木屑と緑葉が雨のように、ルリの上に降り注いだ。
弾幕が途切れた一瞬、大木から飛び出したルリは走りながら、バッタに狙いをつける。
銃声。
だが、強行軍の疲れでルリは反動を制御できずに、足を滑らせ――土の上を転がる。
弾丸は狙いを逸れ、バッタの脇の木の幹を撃ち抜き、へし折った。
起き上がったルリは素早く片膝を付いて、上体を安定させる。
倒れる樹木を避けるため、後方に跳ねるバッタを冷静に狙い、引き金を引いた。
銃音。
銃弾は誤またず、バッタの眉間部分を撃ち抜いた。
爆破の轟音。
その場で後ろに倒れたルリは、爆発の熱風をやり過ごす。
しばし、落ち葉の上に寝転んでいたルリは、片手でブラスターから空薬莢を落とし、弾を込めずにシリンダーを銃身に填込んだ。
寝転んだまま、青い空を見上げるルリの元へ、アレクが息を切らせて走り寄ってくる。
「ルリ!! 大丈夫か!?
怪我でもしたのか?」
「大丈夫です。…………が、さすがに疲れました」
安堵したようにアレクは、ルリの傍らに座り込んだ。
「……だよな」
拳銃を掲げるルリ。
「ん? 拳銃がどうかしたのか?」
「弾切れ」
「え?」
「弾切れです」
「ど、どうすんだ?」
「どうもしませんよ」
「え?」
「戻りましょう。ヴァンさんもバッタを倒したようですし」
ルリは大きく息を吸い込むと、一息で立ち上がった。
*
「問題なく片付けたようだな」
ヴァンはライフルを肩に担ぎながら、安堵の笑みを見せた。
「だけど、弾切れだってよ」
「弾切れ?」
「ええ。対フィールド用の銃弾が尽きました。
バッタに対して有効なのは、ヴァンさんが持っている重力子ライフルだけです」
「……そっか。で、どうする?」
「勿論。基地まで行くつもりです。予定に変更はありません」
「でも、もう銃弾が無いんだろう?」
眼鏡の青年の問いに、ルリが頷く。
「ええ」
「それでも行くなんて、死に逝く気かい?」
「それは、あなたの理屈であって、私の判断ではありません」
ルリは、純白のマントを翻した。
「いずれ、銃弾が尽きるのは始めからわかってました。
銃弾があったから、ここまで来たわけではありません。
武器があったから、危険を突き進んできたわけでもありません。
私は私の意志に従い、この心、一つを武器に進んできたのです。
ですから…………何も、問題はありません」
「…………」
「行きましょう。アレク。ヴァンさん」
「レディ。ここから少し先に行った所に、白い小屋がある」
「それが、何か?」
眼鏡の青年は、基地の方向を指さした。
「そこに、民間兵がいる」
「民間兵?」
「勇士を集めた義勇軍と云ったところかな。
その民間兵が、武器を集めている。
滑走路に居座っているバッタを突破するためさ。
ぼくたちだって、何もせず、手を拱ていたわけじゃない」
*
彼らは――――民間兵は耳を疑った。
「何だって、嬢ちゃん。もう一度、言ってくれねぇか?」
「滑走路を突破するので、支援をお願いします」
「なあ、嬢ちゃん。何で俺達がここに止まっていると思う?」
「戦力が足りないからですか?」
「わかってるじゃねぇか。その通りだ。
これっぽっちの武器で、人数で、あのバッタ共を抜けられたら、誰もこんな地獄にゃいねぇよ」
「離脱用発煙筒はありますか?」
「聞いてるのか? 嬢ちゃん」
「訊いているのは、私です。
離脱用発煙筒は?」
舌打ちした民兵は、振り返って、仲間に呼びかける。
「おい。何本ある?」
「20本弱だな」
「それを滑走路にばら撒き、その煙幕の中を突っ切ります」
「冗談じゃねぇ。無茶苦茶だ。
強風が吹いたら、煙幕なんて簡単に吹き飛ばされちまう」
「滑走路を走り抜ける20秒間だけ保てば十分です」
「おいおいおい。嬢ちゃん。正気かよ?
そこまで、危険を冒して基地に着きてぇか?
そりゃ、ここは地獄さ。
あんたのような女の子には、尚更な。
だが、途中で死んじゃ意味ねぇぞ」
「別に、身の安全の為に、空軍基地へ行く訳ではありません。
目的は、エステバリスです」
「エステなんざ、どうすんだ?」
「勿論。乗って、戦うためです」
ルリは白の手袋を脱ぎ、手の甲のIFSを見せた。
IFSを見、驚きに眼を丸くした男だが、首を振る。
「だ……だが、もう軍は、引き上げちまっている。
エステバリスなんか無いかもしれねぇ。
おめぇたちの命をチップに勝負を賭けるには、ちっとばかりオッズが高すぎる」
「ですが、エステがあればバッタを駆逐できます」
「だけど、行っても、無駄、無意味かもしれねぇぞ」
「だから、何です?」
「だからって……」
「無駄、無意味かもしれない。
そんなことは知っています。
「本当に行くつもりか?」
「
「死ぬかもしれねぇぞ」
「ここに留まっていても、状況は何も変わりません」
「本気かもしれねぇが、正気じゃねぇな」
「発煙筒は扱えますか?」
「馬鹿にすんじゃねぇ。二十歳の時、徴兵されて従軍したことがあらぁな。
もっとも、もう十年以上も前のことだけどよ」
別の民兵が肩を竦める。
「ここには、そんな奴らばかりさ」
「力を貸してください。
発煙筒を投げるだけで良いんです。
あなたたちに危険は及ばない。それだけは言えます」
「嘗めるな。嬢ちゃん。
俺らは、ビビッてお前さんに反対してるわけゃじゃねぇ」
「では、何故ですか?」
遠慮も躊躇いもない口調のルリに、男は顔を顰める。
「嬢ちゃん。口の利き方に気をつけろよ」
「どんな言い回しをしようとも、問いてる意味は同じです」
睨み合う二人。
「発煙筒を投げるだけで良いんだな?」
「十分です」
男は、奥の仲間の方へ視線を転じた。
「おめぇら、どう思う?」
「良いんじゃねぇ?
失敗しても、失うのは発煙筒だけだ」
「いくら対人兵器を集めても、バッタは倒せない。
エステがあるかもしれないなら、賭けてみる価値はあると思うぜ」
「人的被害は、その三人だけだしな」
「バッタがこちらに目標を定めた場合、すぐに撤退するぞ」
男は顔を戻し、ルリを見下ろす。
「良いだろう。協力してやる」
「お願いします」
頭を下げるルリの後ろで、ヴァンが部屋の奥を指さす。
壁際に積んである保存食を。
「あれは?」
「ああ。武器を買うための代価だ」
「武器を買う?」
「あのバッタどもを突破するには、大量の武器が必要だからな。
それを揃えるためにだ」
「避難民には分けないのか?」
「それで、皆で餓死するか?
小の虫殺して大の虫を助けるなんてのは、最悪な思想だけどよ。
実際問題、食料が尽きちまう。
どうにかしてぇが、どうにもなんねぇのが現状だ。
最低だと思うか?」
「理想は理想。現実は現実です。
奇跡は、奇跡的な確率でしか起きないからこそ奇跡なんです。
美談もそう。滅多にないからこそ美談になるんです。
生きてこそ、罵倒を受けられる。
生きてるからこそ、罪悪感を感じられる。
それも、全て自分が生き残ってこそだと思います」
ルリの冷言に、民間兵は自嘲を浮かべた。
「まさに、狂気と正気の境だな」
「いえ。正気に近い狂気だと思います」
「じゃあなんだ、俺たちは狂ってるってことか?」
「狂気の中で正気を保てるのなら、それは、もう
「違げぇねぇ」
*
滑走路を見渡せるビルの陰から、ルリたちは距離を目測していた。
「確かに、ここからなら裏口まで一直線ですね」
建物の陰から滑走路を見渡すルリに、アレクも賛同する。
「うん。裏口が、横のコンテナの陰にあるしな。
…………なあ、途中のあれ、なんだ?」
「ん? ああ、座礁した飛行戦車だよ。
ふン。主力戦車も、ああなっちまえばガラクタだ」
「だが、盾にはちょうど良いな。
何かあったら、あの陰に隠れろ」
「わかりました」
「オッケィ」
「んじゃ、いっちょ、ぶちかましますか」
その掛け声に答えるように、数人の民兵がセミオートグレネードを掲げた。
「軍が撤退しなきゃ、俺達がこんなに苦労することもなかったのによ」
「まったくだ。
軍は仲間の死体すら見捨てねぇって、主張してるのにな」
「誰も見捨てないの誰もは、『軍の仲間の誰も』って意味さ。
敵や、軍の所属範囲外の民間人は『誰も』に入ってねぇってよ」
「軍としては間違ってないと思います。
殺らなければ、殺られるのが戦場。
敵かもしれない人間に情けをかけた時点で、自分があの世逝きです」
「ま、バッタに情けをかけるやつはいねぇけどな」
「では、配置に着いて下さい」
「おっと、その前に一つあった。
おい。兄ちゃん。
兄ちゃんは、木星蜥蜴の正体は人間だって噂、聞いたことあるか?」
民兵の問いに、ヴァンが頷く。
「噂だけならな。
俺の大学の工学部で、バッタに使われている寸法や、ネジが地球の規格と同じって話を聞いた。
なら、人間である可能性が高いって話もな。
あくまで、噂だけど」
「…………やっぱりか」
「冗談じゃねぇよ!!
そんな奴らが居たら、絶対に皆殺しにしてやる!!」
アレクは奥歯を噛み締めた。
「ルリ。君は、どう思う?」
ヴァンの問いに、ルリは素っ気なく返す。
「人間だろうが、そうでなかろうが同じことです。
わたしは、この戦争を叩き潰します」
「…………潰すって?」
「人の思惑も、主義も、主張も、意図も、願いも、涙も、嫌悪も、策略も、憎悪も、祈りすらも関係ありません。
『
ただ、それだけのことです」
少女の冗談と捉えた民兵は、呆れ混じりの苦笑を浮かべた。
「まあ、潰せるものなら、潰してくれや。嬢ちゃん」
*
ルリはコミュニケで時間を確かめた。
靴紐を結び直しながら、アレクは緊張した顔で、裏口までを見据える。
煙幕で覆うとはいえ、滑走路はバッタから丸見えなのだ。
緊張するなと言う方が無理だった。
対照的に、いつもの無表情のルリ。
そんな二人を、ヴァンが見詰める。
「死ぬなよ」
「勿論です」
「ヴァンこそな」
「時間です」
ルリの声とともに、滑走路が白煙に包まれた。
「スタート!!」
アレク、ルリ、ヴァンの順で白煙に突っ込んだ。
全く見えない白煙の中を勘だけで、真っすぐに疾走する。
「チッ!!」
走りながら、ヴァンが舌打ちをした。
まだ、5秒も経ってないのに、風で白煙が薄れてきている。
突然の突風。
強風によって、一気に煙が押し流された。
「アレク!! 止まれっ!!」
ヴァンの鋭い絶声に、アレクはたたらを踏む。
直後、アレクの目の前を紅光が走り、アレクのすぐ脇で飛行戦車に当たったレーザー光が火花を散らせた。
同時に、ヴァンはルリの背中を強く突き飛ばしていた。
ルリがバランスを崩し、飛行戦車の陰に倒れ込む。
機銃の銃撃音。
振り返ったルリの眼に、身体から血を散らせたヴァンの姿が映った。
ヴァンがスローモーションのように、ゆっくりと倒れる。
ルリの眼には、そう映った。
ヴァンの下のコンクリートに鮮血が広がっていく。
地面に倒れたヴァンを、ルリは慌てて、座礁した戦車の陰に引き擦り込んだ。
ルリのバイザーに、情報が表示される。
腹部を1カ所。胸部を1カ所。右足を1ヶ所。左腕を1カ所、50口径弾が貫通。
生存は…………絶望的。
アレクとルリがヴァンを仰向けにし、顔を覗き込む。
「怪我は……ないか? ……ルリ」
こんな時でも、ヴァンは年下の少女を気遣った。
「はい」
「……君は……生きろ……よ」
「私は、死にません。
ここで死ぬわけにはいかないんです」
「ルリ。血が止まらない!!」
傷口を手で押さえ、泣き喚くアレクに、ヴァンが重力子ライフルを渡す。
「アレク。……お前に……大切な人ができたら……それで……守ってやれ。
俺が……あいつを……守れなかった……分まで……」
「約束する。守る。
絶対に、守ってみせる。
だから、死ぬな!!」
アレクの必死の呼び声にも、ヴァンは聞こえないのか、返事を返さない。
ただ、浅い息を繰り返すばかりのヴァンが呟く。
「…………リ……ア……」
「ヴァン?」
「……リア……ど……こに……いる」
「ヴァン、何を言って――」
ルリは手でアレクを遮る。
「……ルリ?」
足を崩して座ったルリは自分の膝の上に、ヴァンの頭を乗せた。
「……リ……ア……」
純白のバイザーを外したルリは、ヴァンの焦点の合わなくなっている瞳を、金の瞳で見つめる。
「…………リーリア。……どこだ?」
静かに微笑したルリは、ヴァンの額を撫でた。
「ここにいるわ。
あなたのリーリアは、ここにいます」
「……リーリア。……君が…………見えない」
「大丈夫よ。ずっと、一緒にいるから。
あなたの傍に、ずっといるから」
儚く微笑んだルリは銀髪を掻き上げ、血塗れたヴァンの唇に、そっと唇を重ねた。
ジョロのビーム砲が飛行戦車に当たり、ルリの頭上で火花が弾け、飛び散り、鉄板の焼けた臭気が漂う。
唇を離したルリは、優しく囁く。
「ヴァン」
「…………リ……ア……」
血塗れのヴァンの右手を取り、ルリは自分の頬に当てた。
ルリは唇を寄せて囁きかける。
「だから……ゆっくり休んで。ヴァン。
リアは、ここに居ます…………私の愛しい人」
ルリの『
ルリの頬に当てた右手から力が抜け、ルリの左頬にヴァンの血が塗られる。
問うようなアレクの視線に、ルリは首を振った。
素顔を見られるのを恐れるかのようにバイザーを被ったルリは、ヴァンの瞼を閉じる。
「う…………うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ヴァンの死を否定するような絶叫を上げたアレクは、バッタの大群へ、重力子ライフルを我武者羅に連射した。