遥か遠くに、歪な塔が見える。

 だが、それは断じて塔ではない。


 『チューリップ』。この辺りを壊滅させた元凶だった。

 時折、チューリップから排出されたバッタの群れが、青い空を覆い尽くして、北の防衛ラインへ移動していく。




 瓦礫の陰に隠れて3度目の大移動をやり過ごし、少し歩いた時だった。



 突然、ルリが赤い屋根の家の前で立ち止まる。

 その家は、周りが瓦礫と化しているにも拘わらず、多少壊れているものの家としての形を残していた。


「どうした? ルリ」

「人がいます」

 白色のバイザーで石造りの家を眺めるルリ。


「避難民か?」

「さあ。独り……いえ、二人でしょうか?
 人であることは間違いないようです」


 少し考えたヴァンが、二人を促す。

「一応、行ってみよう。逃げ遅れた人かもしれない」





 その家の中は、饐えたような生臭い臭いが充満していた。


 その臭いに、顔を顰めるルリとアレク。

 眉を顰めたヴァンは、その臭いに心当たりでもあるのか、前に出ようとするルリを押し止どめて、自分が先頭に立つ。




 薄暗い部屋で人影が動いていた。

 荒い息だけが、聞こえる。


 裸の男のようだ。


 その男が動くたびに、男の下から伸びる細く白い足が、がくがくと揺れる。



 アレクはキョトンと目を瞬かせ、ルリは薄暗闇の中でもわかるくらい頬を赤く染めた。


 ヴァンは、揺れ動く子供のような白く細い脚を――否、『子供』の足を見、ギシリと歯を軋ませる。



 人の気配に振り返った男は、突然現われた三人に驚きもせず、じっと見つめ、にたぁっと下品な笑みを浮かべた。

「ちょっと、待ってな。直ぐに、スむから……よっ」


 男が身体を振るわすと、か細い声と白く細い脚も合わせて揺れる。




 男が脇に退くと、その下から栗色の髪の、全裸の少女が這い出て来た。


 胸も殆ど膨らんでおらず、栄養が足りてない細い手足、病的なまでに透けるような青白い白肌。


 13、4歳の全裸の少女を見、初めて事の次第を知ったアレクは顔を真っ赤にした。

 目を逸らそうとするが、男の本能から少女を凝視してしまう。



 少女は、三人に視線を当てられても裸体を隠そうともせず、無表情で男を見つめている。


 男は、200グラムのコンビーフの缶詰を一つ、少女に投げ渡す。

「ほら、行きな」


 受け取った少女は、それでも男から眼を逸らさない。



 男の顔に怒りが走り、拳を握った。

 少女は、ビクリと身を竦める。だが、無表情のままだった。



 男はヴァンたちを見やり、チッと舌打ちすると、もう一つ、コンビーフ缶を投げ渡す。



 二つの缶詰をしっかりと抱き締め、のろのろと服を着た少女は、三人を見向きもせず、家から出て行った。




 男は下半身を晒したまま、ヴァンたちに卑下た笑みを浮かべた。


「その女を売りにきたのか?」


 三人の返事を待たずに、付け加える。

「そいつなら、一回でコンビーフ缶、三つだな。
 処女なら、五つだ」


 眼だけを欲望にギラつかせながら、ルリの全身を嘗め廻すように見つめた。



 ヴァンが、その視線からルリを守るように、背後に庇う。

「俺達は、お前の欲望を満足させるために来た訳じゃない。
 直ぐに消えるさ」


「その小娘は自分たちのペットだから渡せねぇってか?」

 厭らしい嗤いを響かせた。


 先の少女の裸身が眼に焼き付き、茫然自失していたアレクが、我に返って男に怒鳴る。

「お、お前、こんなことして良いと思ってるのかよ!!」


「思ってるさ。
 足おっ広げて、腰振ってくるのは向こうだぜ。
 働いて、賃金を得る。資本主義様様さ」



 勝ち誇る男に、ルリは冷たい侮蔑を投げつけた。

「それは、資本主儀でも何でもありません。
 ただ、相手の弱みに付け込んで搾取しているだけです」


「搾取こそ資本主義さ」


「陳腐で、下手な詭弁ですね」


 ヴァンは、男の背後にある缶詰の山に視線を送る。

「それを、苦しんでる人に分けようとは思わないのか?」


「はっ。助けて、何になるってんだ?
 一文の得にもならねぇ。
 だったら、俺様はやりたいようにやるさ。
 実際に、犯ってるしな」

 男は嗤い声を震わせた。


「自分が苦しんでも、そう言い切れるか?」


「はあ? 知らねぇな。
 俺様は楽しく過ごしてる(バカンスの)真っ最中なんでね。
 選り取り見取りの女が通ってくるんでな。

 ククク。一度は、7歳のガキが親に連れられて、来たこともあったぜ。
 まあ、美味しく頂かせて貰ったけどな。

 俺様は助けなんて、いらねぇよ」




「そうですか。覚えておきましょう」

 一言投げたルリは、身を翻した。


 アレクとヴァンも、もう声を聞くことすら嫌だと云う表情で後ろに続く。




「なあ、本当に置いていかねぇのか?」


 欲に満ちた声を、三人は一切無視した。





*




「あの子、何処に行ったんだ?」

 赤い家を出、辺りを見回すアレクに、ルリは歩き始める。

「こちらです。
 このバイザーでトレースしてますので」



 一分ほど歩いた所で、少女の後ろ姿が遠目に見えた。

「お〜〜い。ちょっと待ってくれよ」


 アレクが呼び声をかけた途端、少女は後ろも振り返らずに逃げ出した。


「なんで!?」

 驚いたアレクが、慌てて追い駆け出す。



 アレクの見ている前で、少女が転んだ。


 一つ、転がっていく缶詰。


 少女は、落ちた缶詰を拾おうともせず、持っている缶詰を抱えて、その場に蹲った。



 アレクが缶詰を拾い。少女に差し出す。


 一瞬、キョトンと呆けた表情を見せた少女は、次の瞬間、引ったくるようにして缶詰を奪い返した。



 二人に追いついたルリが、少女を諭す。

「ごめんなさい。怖がらせましたね。
 あなたの物を盗ろうとは思ってません。
 一つ、聞きたいことがあるだけです」


 少女は缶詰を抱えたまま、無言で俯いている。


「教えてください。
 あなたが、ここにいるということは、何処かに避難場所があるはずです。
 それは、どこですか?」


 無言の少女。

 顔には何の表情も浮かんでないが、眼には猜疑が宿っている。



 ルリは、新品のクッキーの缶を差し出した。


 しばし、缶に眼を注いでいた少女は奪うようにして受け取り、俯いて歩きだす。



 三人も無言で後ろをついて行った。



 誰も口を開かない。



 重く。


 沈鬱に。


 葬儀のように。


 四人は、だだ黙して道を歩く。




 道は舗装してあるものの、民家など一軒も見えない一本の田舎道だった。




 黄泉の世界から地獄へ続くような、一本道。





*





 辿り着いた場所は、小さな雑木林だった。


 その小さな林に、人々が集まっている。




 地面に直接、寝ている者。


 猜疑の目で、辺りを警戒している者。


 痩せ衰えた乳飲み子を抱え、蹲る女。


 襤褸を着て、手を握り合って眠る兄弟。


 小さな焚火に集まる、大人と子供の集団。





 そして、遺体。死体。亡骸。屍。




 一様に、難民たちの表情には、重い絶望が立ち込めていた。



 やがて、小さな林の中の、さらに小さな空地が現れる。



 眼鏡の青年の横で、小さくクスクスと笑っていた小さな女児が、少女に気づき、ぱっと立ち上がって駆けて来た。


 妹は、姉に縋り付いた。


 女児に、安堵するような笑みが浮かぶ。

 少女は女児を優しく抱き締めた。だが、表情は動かない。




 眼鏡の青年がルリたちに気づき、手招いた。


「やあやあ、いらっしゃい。

 儚い現実へようこそ。

 え? それを言うなら、夢か幻だって?
 間違えちゃいけないよ。お客さん。
 今宵は、現実の方が儚いのさ。

 いやいや、事実は小説よりも奇なり。現実は一夜の夢よりも儚しってね」


 一気に捲くし立てた眼鏡の青年に、ルリが無表情で返す。


「いろいろ言いたい事はありますが…………私、客じゃありません」


「レディ。
 道化師(ピエロ)にとっては、出会った相手、全てがお客様。
 よく言うでしょう。お客様は神様です!! とね」

「その論法で行くと、あなたに会った人は、皆、神になりますが?」


「おおっ。素晴らしい。
 いつの間にか、地上は神の楽園に」



「これが……ですか?」

 無感情な瞳で、悲惨な惨状を見回すルリ。


「いやぁ。ちょっと無理があるかな?」

「きっぱりと」



 眼鏡の青年の勢いに気押されていたアレクが気を取り直して、問いかける。

「なあ、なんでこんな所に、こんなに人が集まってるんだよ」


「空軍の基地目指して歩いて来た人々さ。
 危険な時に考えるのは、皆一緒だね。

 皆、一緒に行動して、一緒に逃げて、一緒に崖から飛び降りる。
 レミング、顔負けさ」


「じゃあ、なんで行かねぇんだ?」


「滑走路でバッタの軍勢が宴会を開いていてね。
 一般人、お断りだってさ。困ったもんだ」

 演劇のように大仰に肩を竦める眼鏡の青年に、ルリが頷く。


「空軍の滑走路に敵が居座り、放置されてるのなら、軍は完全に引き上げたと見て間違いなさそうですね」



 彼らの後ろで、少女が周りを警戒しながら、隠れるように妹にコンビーフの缶詰を食べさせていた。

 ここでは、隙を見せれば食料を強奪される。



「食料、足りてないようですね」

「残念なことにね。
 あとはバッタでも食べるしかないかな」


「煮ても焼いても、食べれません」



 二人の掛け合いさえ耳に入らず、アレクは痩せた姉妹を見つめていた。

「それもこれも、軍の奴らが撤退したからだ」


「そうそう、動物愛護協会に圧力をかけられてね」


「は?」


「動物愛護協会は、とうとう爬虫類まで範疇に入れたのさ。

 木星トカゲを守ろう! ってね」



「バッタは虫です」




 眼鏡の青年は、じっくりと目の前の少女を値踏みする。

「レディ。どうだい? 僕の漫才の相方にならないか?」


「お断りです」


「ダメ?」

「キッパリと」


「ヨヨヨ。ぼくに才能が無いって言うんだね。
 だから、組みたくないと」



「それも本当の事ですか、違います」


「キツイね。レディ」


「私、少女ですから」

 ルリはしれっと返した。



「う〜ん。腹が減っては戦は出来ぬというのは、本当だね。
 漫才の出来が今一だ。
 戦は真っ只中だけどさ」


 苛々したように、アレクは口を挟む。

「お前。そんなことばっか、考えてるのかよ」



「優秀なジョークを知りたければ、戦場に行くと良い。
 そんなジョークもあるぐらいだからね」


 片目を瞑った眼鏡の青年に、激高するアレク。



「お前、よくこの悲惨な状況で、そんな下らない冗談ばっか言ってられるな!!」




 眼鏡の青年は、静かに言葉を紡ぐ。


「ねぇ。ボーイ。
 人が生きるには、パンと水が必要だよ。

 でも、人が『活きる』為には、笑いが絶対に必要なんだ。

 悲惨な体験、絶望的な未来を一瞬でも忘れるために。

 今日を、そして明日を生活していくために。

 悲しいからこそ、辛いからこそ、人は笑いを求める。
 悲しいから笑って、辛いから笑って、笑いで堪えて忍んで、懸命に生き抜いて、『活きて』いく。


 ここでは、母親が子供のミルクのために春をひさぐ。

 まだ、十数歳の女の子が一切れのパンのために足を開く。

 食べ物が無くて死体を、それも自分の息子を食べた男だっている。


 断言しよう。ここは、地獄(・・)だ。


 だから――だからこそ、『笑い』が必要なんだ。


 さっきの女の子の顔を見たかい? 仮面のように、いや、死人のように表情が動かない。

 そんなんで、活きてるって言えるかい?

 ぼくは道化以外できない。
 バッタを倒す力なんかないし、女の子を救える力もない。

 ぼくができるのは道化(ピエロ)だけだ。
 道化(ピエロ)しかできない。


 でも、ぼくの道化で、悲しい笑いでも良い、辛い笑いでもいい、微かにでも微笑んで欲しいんだ。

 その笑いが希望になるから。頼りなくとも、か細くとも、明日へと続く希望になるから。

 そのためなら、ぼくは喜んで『地獄の道化師(The Hell Joker)』と呼ばれよう」



 淡々と話しているのに、血を吐くような悲鳴にも聞こえる青年の言葉に、アレクは押し黙った。





 ズズゥゥゥゥン!!


 爆音が木々を揺らし、爆風が落ち葉を舞い上がらせる。


「な、なんだ?」

 驚くアレクに、ルリが冷静に答える。

「バッタですね。南に2匹。
 北からも2匹きてます」


「こういう時は、どうしてるんだ?」


 眼鏡の青年は、軽く肩を竦めた。

「逃げるだけだよ」


「それじゃ、全滅するだけだ!!」


「運が良ければ、生き残るさ。悪ければ死ぬ」


「ふざけんな!!」


「それに――」

「お喋りは後です。ヴァンさんは北へ回ってください。
 そちらの2匹はお任せします。
 こちらの2匹は私が」


「ルリ。無茶はするな」

「ええ」


「アレクは下がっていてください」

「…………ああ」


「クソッ!! また、俺一人、お荷物かよ!!」




*




 林の中に銃声が響く。


 中枢を撃ち抜かれたバッタは、煙を上げて動かなくなった。




 ルリは、木々の間をスピードを落とさずに駆け抜ける。


 ルリを追う機銃の乱射が幹の表面に弾け、木屑を舞い散らせた。



 大木の陰へ飛び込んだルリは、その場で屈んだ。


 その真上を弾雨の嵐が吹雪く。

 木屑と緑葉が雨のように、ルリの上に降り注いだ。




 弾幕が途切れた一瞬、大木から飛び出したルリは走りながら、バッタに狙いをつける。



 銃声。



 だが、強行軍の疲れでルリは反動を制御できずに、足を滑らせ――土の上を転がる。


 弾丸は狙いを逸れ、バッタの脇の木の幹を撃ち抜き、へし折った。




 起き上がったルリは素早く片膝を付いて、上体を安定させる。


 倒れる樹木を避けるため、後方に跳ねるバッタを冷静に狙い、引き金を引いた。



 銃音。


 銃弾は誤またず、バッタの眉間部分を撃ち抜いた。


 爆破の轟音。



 その場で後ろに倒れたルリは、爆発の熱風をやり過ごす。





 しばし、落ち葉の上に寝転んでいたルリは、片手でブラスターから空薬莢を落とし、弾を込めずにシリンダーを銃身に填込んだ。




 寝転んだまま、青い空を見上げるルリの元へ、アレクが息を切らせて走り寄ってくる。

「ルリ!! 大丈夫か!?
 怪我でもしたのか?」


「大丈夫です。…………が、さすがに疲れました」


 安堵したようにアレクは、ルリの傍らに座り込んだ。

「……だよな」


 拳銃を掲げるルリ。


「ん? 拳銃がどうかしたのか?」

「弾切れ」

「え?」



「弾切れです」


「ど、どうすんだ?」

「どうもしませんよ」


「え?」


「戻りましょう。ヴァンさんもバッタを倒したようですし」


 ルリは大きく息を吸い込むと、一息で立ち上がった。



*



「問題なく片付けたようだな」

 ヴァンはライフルを肩に担ぎながら、安堵の笑みを見せた。


「だけど、弾切れだってよ」

「弾切れ?」


「ええ。対フィールド用の銃弾が尽きました。

 バッタに対して有効なのは、ヴァンさんが持っている重力子ライフルだけです」

「……そっか。で、どうする?」


「勿論。基地まで行くつもりです。予定に変更はありません」



「でも、もう銃弾が無いんだろう?」


 眼鏡の青年の問いに、ルリが頷く。

「ええ」


「それでも行くなんて、死に逝く気かい?」


「それは、あなたの理屈であって、私の判断ではありません」



 ルリは、純白のマントを翻した。


「いずれ、銃弾が尽きるのは始めからわかってました。
 銃弾があったから、ここまで来たわけではありません。
 武器があったから、危険を突き進んできたわけでもありません。

 
私は私の意志に従い、この心、一つを武器に進んできたのです。

 ですから…………何も、問題はありません」


「…………」



「行きましょう。アレク。ヴァンさん」


「レディ。ここから少し先に行った所に、白い小屋がある」

「それが、何か?」


 眼鏡の青年は、基地の方向を指さした。

「そこに、民間兵がいる」


「民間兵?」

「勇士を集めた義勇軍と云ったところかな。
 その民間兵が、武器を集めている。
 滑走路に居座っているバッタを突破するためさ。

 ぼくたちだって、何もせず、手を拱ていたわけじゃない」





*





 彼らは――――民間兵は耳を疑った。

「何だって、嬢ちゃん。もう一度、言ってくれねぇか?」


「滑走路を突破するので、支援をお願いします」


「なあ、嬢ちゃん。何で俺達がここに止まっていると思う?」

「戦力が足りないからですか?」

「わかってるじゃねぇか。その通りだ。
 これっぽっちの武器で、人数で、あのバッタ共を抜けられたら、誰もこんな地獄にゃいねぇよ」


「離脱用発煙筒はありますか?」


「聞いてるのか? 嬢ちゃん」

「訊いているのは、私です。
 離脱用発煙筒は?」


 舌打ちした民兵は、振り返って、仲間に呼びかける。

「おい。何本ある?」

「20本弱だな」



「それを滑走路にばら撒き、その煙幕の中を突っ切ります」



「冗談じゃねぇ。無茶苦茶だ。
 強風が吹いたら、煙幕なんて簡単に吹き飛ばされちまう」

「滑走路を走り抜ける20秒間だけ保てば十分です」


「おいおいおい。嬢ちゃん。正気かよ?
 そこまで、危険を冒して基地に着きてぇか?

 そりゃ、ここは地獄さ。
 あんたのような女の子には、尚更な。

 だが、途中で死んじゃ意味ねぇぞ」


「別に、身の安全の為に、空軍基地へ行く訳ではありません。
 目的は、エステバリスです」


「エステなんざ、どうすんだ?」


「勿論。乗って、戦うためです」

 ルリは白の手袋を脱ぎ、手の甲のIFSを見せた。



 IFSを見、驚きに眼を丸くした男だが、首を振る。

「だ……だが、もう軍は、引き上げちまっている。
 エステバリスなんか無いかもしれねぇ。
 おめぇたちの命をチップに勝負を賭けるには、ちっとばかりオッズが高すぎる」

「ですが、エステがあればバッタを駆逐できます」


「だけど、行っても、無駄、無意味かもしれねぇぞ」



「だから、何です?」


「だからって……」




「無駄、無意味かもしれない。
 そんなことは知っています。
 たかが(・・・)そんなことで、止めているならば、私は今、ここに『存在』していません」




「本当に行くつもりか?」

つもり(・・・)などではなく、行きます」


「死ぬかもしれねぇぞ」


「ここに留まっていても、状況は何も変わりません」



「本気かもしれねぇが、正気じゃねぇな」






「発煙筒は扱えますか?」

「馬鹿にすんじゃねぇ。二十歳の時、徴兵されて従軍したことがあらぁな。
 もっとも、もう十年以上も前のことだけどよ」


 別の民兵が肩を竦める。

「ここには、そんな奴らばかりさ」


「力を貸してください。
 発煙筒を投げるだけで良いんです。
 あなたたちに危険は及ばない。それだけは言えます」


「嘗めるな。嬢ちゃん。
 俺らは、ビビッてお前さんに反対してるわけゃじゃねぇ」

「では、何故ですか?」


 遠慮も躊躇いもない口調のルリに、男は顔を顰める。

「嬢ちゃん。口の利き方に気をつけろよ」

「どんな言い回しをしようとも、問いてる意味は同じです」



 睨み合う二人。



「発煙筒を投げるだけで良いんだな?」

「十分です」


 男は、奥の仲間の方へ視線を転じた。

「おめぇら、どう思う?」


「良いんじゃねぇ?
 失敗しても、失うのは発煙筒だけだ」

「いくら対人兵器を集めても、バッタは倒せない。
 エステがあるかもしれないなら、賭けてみる価値はあると思うぜ」

「人的被害は、その三人だけだしな」

「バッタがこちらに目標を定めた場合、すぐに撤退するぞ」


 男は顔を戻し、ルリを見下ろす。

「良いだろう。協力してやる」


「お願いします」

 頭を下げるルリの後ろで、ヴァンが部屋の奥を指さす。

 壁際に積んである保存食を。



「あれは?」


「ああ。武器を買うための代価だ」

「武器を買う?」

「あのバッタどもを突破するには、大量の武器が必要だからな。
 それを揃えるためにだ」


「避難民には分けないのか?」

「それで、皆で餓死するか?
 小の虫殺して大の虫を助けるなんてのは、最悪な思想だけどよ。
 実際問題、食料が尽きちまう。
 どうにかしてぇが、どうにもなんねぇのが現状だ。
 最低だと思うか?」


「理想は理想。現実は現実です。
 奇跡は、奇跡的な確率でしか起きないからこそ奇跡なんです。
 美談もそう。滅多にないからこそ美談になるんです。

 生きてこそ、罵倒を受けられる。
 生きてるからこそ、罪悪感を感じられる。
 それも、全て自分が生き残ってこそだと思います」



 ルリの冷言に、民間兵は自嘲を浮かべた。


「まさに、狂気と正気の境だな」


「いえ。正気に近い狂気だと思います」



「じゃあなんだ、俺たちは狂ってるってことか?」





「狂気の中で正気を保てるのなら、それは、もう正気(まとも)ではありません」





「違げぇねぇ」



*





 滑走路を見渡せるビルの陰から、ルリたちは距離を目測していた。


「確かに、ここからなら裏口まで一直線ですね」


 建物の陰から滑走路を見渡すルリに、アレクも賛同する。


「うん。裏口が、横のコンテナの陰にあるしな。
 …………なあ、途中のあれ、なんだ?」

「ん? ああ、座礁した飛行戦車だよ。
 ふン。主力戦車も、ああなっちまえばガラクタだ」


「だが、盾にはちょうど良いな。
 何かあったら、あの陰に隠れろ」


「わかりました」

「オッケィ」




「んじゃ、いっちょ、ぶちかましますか」

 その掛け声に答えるように、数人の民兵がセミオートグレネードを掲げた。


「軍が撤退しなきゃ、俺達がこんなに苦労することもなかったのによ」

「まったくだ。
 軍は仲間の死体すら見捨てねぇって、主張してるのにな」

「誰も見捨てないの誰もは、『軍の仲間の誰も』って意味さ。
 敵や、軍の所属範囲外の民間人は『誰も』に入ってねぇってよ」


「軍としては間違ってないと思います。
 殺らなければ、殺られるのが戦場。
 敵かもしれない人間に情けをかけた時点で、自分があの世逝きです」


「ま、バッタに情けをかけるやつはいねぇけどな」





「では、配置に着いて下さい」



「おっと、その前に一つあった。

 おい。兄ちゃん。
 兄ちゃんは、木星蜥蜴の正体は人間だって噂、聞いたことあるか?」


 民兵の問いに、ヴァンが頷く。

「噂だけならな。
 俺の大学の工学部で、バッタに使われている寸法や、ネジが地球の規格と同じって話を聞いた。
 なら、人間である可能性が高いって話もな。
 あくまで、噂だけど」

「…………やっぱりか」


「冗談じゃねぇよ!!
 そんな奴らが居たら、絶対に皆殺しにしてやる!!」


 アレクは奥歯を噛み締めた。



「ルリ。君は、どう思う?」


 ヴァンの問いに、ルリは素っ気なく返す。

「人間だろうが、そうでなかろうが同じことです。
 わたしは、この戦争を叩き潰します」


「…………潰すって?」




「人の思惑も、主義も、主張も、意図も、願いも、涙も、嫌悪も、策略も、憎悪も、祈りすらも関係ありません。

 『私の戦い(フェアリー・ダンス)』にとって、この戦争が邪魔だから、叩き潰す。

ただ、それだけのことです」




 少女の冗談と捉えた民兵は、呆れ混じりの苦笑を浮かべた。


「まあ、潰せるものなら、潰してくれや。嬢ちゃん」




*



 ルリはコミュニケで時間を確かめた。



 靴紐を結び直しながら、アレクは緊張した顔で、裏口までを見据える。

 煙幕で覆うとはいえ、滑走路はバッタから丸見えなのだ。

 緊張するなと言う方が無理だった。


 対照的に、いつもの無表情のルリ。


 そんな二人を、ヴァンが見詰める。

「死ぬなよ」


「勿論です」


「ヴァンこそな」



「時間です」

 ルリの声とともに、滑走路が白煙に包まれた。



「スタート!!」


 アレク、ルリ、ヴァンの順で白煙に突っ込んだ。


 全く見えない白煙の中を勘だけで、真っすぐに疾走する。



「チッ!!」

 走りながら、ヴァンが舌打ちをした。


 まだ、5秒も経ってないのに、風で白煙が薄れてきている。



 突然の突風。


 強風によって、一気に煙が押し流された。



「アレク!! 止まれっ!!」


 ヴァンの鋭い絶声に、アレクはたたらを踏む。


 直後、アレクの目の前を紅光が走り、アレクのすぐ脇で飛行戦車に当たったレーザー光が火花を散らせた。



 同時に、ヴァンはルリの背中を強く突き飛ばしていた。


 ルリがバランスを崩し、飛行戦車の陰に倒れ込む。



 機銃の銃撃音。


 振り返ったルリの眼に、身体から血を散らせたヴァンの姿が映った。


 ヴァンがスローモーションのように、ゆっくりと倒れる。

 ルリの眼には、そう映った。



 ヴァンの下のコンクリートに鮮血が広がっていく。


 地面に倒れたヴァンを、ルリは慌てて、座礁した戦車の陰に引き擦り込んだ。



 ルリのバイザーに、情報が表示される。


 腹部を1カ所。胸部を1カ所。右足を1ヶ所。左腕を1カ所、50口径弾が貫通。


 生存は…………絶望的。



 アレクとルリがヴァンを仰向けにし、顔を覗き込む。


「怪我は……ないか? ……ルリ」

 こんな時でも、ヴァンは年下の少女を気遣った。


「はい」


「……君は……生きろ……よ」


「私は、死にません。
 ここで死ぬわけにはいかないんです」



「ルリ。血が止まらない!!」


 傷口を手で押さえ、泣き喚くアレクに、ヴァンが重力子ライフルを渡す。


「アレク。……お前に……大切な人ができたら……それで……守ってやれ。
 俺が……あいつを……守れなかった……分まで……」


「約束する。守る。
 絶対に、守ってみせる。
 
だから、死ぬな!!」



 アレクの必死の呼び声にも、ヴァンは聞こえないのか、返事を返さない。


 ただ、浅い息を繰り返すばかりのヴァンが呟く。


「…………リ……ア……」


「ヴァン?」


「……リア……ど……こに……いる」



「ヴァン、何を言って――」



 ルリは手でアレクを遮る。


「……ルリ?」



 足を崩して座ったルリは自分の膝の上に、ヴァンの頭を乗せた。


「……リ……ア……」


 純白のバイザーを外したルリは、ヴァンの焦点の合わなくなっている瞳を、金の瞳で見つめる。



「…………リーリア。……どこだ?」



 静かに微笑したルリは、ヴァンの額を撫でた。


「ここにいるわ。
 あなたのリーリアは、ここにいます」



「……リーリア。……君が…………見えない」



「大丈夫よ。ずっと、一緒にいるから。
 あなたの傍に、ずっといるから」








 儚く微笑んだルリは銀髪を掻き上げ、血塗れたヴァンの唇に、そっと唇を重ねた。




 ジョロのビーム砲が飛行戦車に当たり、ルリの頭上で火花が弾け、飛び散り、鉄板の焼けた臭気が漂う。









 唇を離したルリは、優しく囁く。



「ヴァン」


「…………リ……ア……」



 血塗れのヴァンの右手を取り、ルリは自分の頬に当てた。



 ルリは唇を寄せて囁きかける。

「だから……ゆっくり休んで。ヴァン。
 リアは、ここに居ます…………私の愛しい人」




 ルリの『最後の嘘(the last lie)』に微笑むヴァン。




 ルリの頬に当てた右手から力が抜け、ルリの左頬にヴァンの血が塗られる。






 問うようなアレクの視線に、ルリは首を振った。



 素顔を見られるのを恐れるかのようにバイザーを被ったルリは、ヴァンの瞼を閉じる。







「う…………うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 ヴァンの死を否定するような絶叫を上げたアレクは、バッタの大群へ、重力子ライフルを我武者羅に連射した。










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