「これで、よしっと」


 居間の卓袱(ちゃぶ)台には、朝食が並べられていた。

 あとは、味噌汁とお櫃に入ってるご飯を盛りつければ、準備完了である。



 手を打った彼女は、両膝を着いて寝間の襖を開けた。


「起きて。アキト君。
 朝よ」


「ん? あ……ああ。
 おはよう。玲華さん」



 膝を着いて、アキトの顔を覗き込んでる玲華が微笑んだ。

「ええ。おはよう。アキト君。
 朝ご飯できてるわ」

「わかった。すぐにいく」



*



 和服の上に白い割烹着を着込み、白い三角巾で茶髪を覆っている玲華が、左手首に輪ゴムを留めたまま、台所で味噌汁の味見をしていた。


「なんか、手伝うことあるか。玲華さん」


「いいえ。もう全部、終わってるから。
 アキト君は、卓袱台で待ってて」


「わかった」






「「いただきます」」


 二人は手を合わせた。


「はい。アキト君」

「ありがとう。玲華さん」



「どう?」

「うん。また、腕を上げたね。美味しいよ」


「本当?」

「ああ。ただ、難を言えば――」


「言えば?」


 小首を傾げる玲華に、アキトは小さく笑う。


「ちょっと、力が入りすぎだ。
 毎日、このレベルを保とうとしたら疲れる。
 手を抜ける所は、手を抜いた方が良い」


「う〜〜ん。それって、結構、難しいのよね」

「じゃあ、今度は適度に手を抜けて、美味しいレシピを教えるよ」



「ええ。お願いするわ。


 あら、おはよう。ユキナちゃん」





「………………………………………………………はよ





「どうしたんだ? ユキナちゃん」










 襖の影から、二人に半眼を向けてユキナは呻いた。





「部屋に…………………入りにくい」








*



 朝食の後片づけをしたアキトと玲華は、何をするでもなく縁側で緑茶を喫していた。


「美味しいお茶だな」


「わかるの? アキト君」

「これでも、コックだからな」


「東司令、お薦めの緑茶よ。
 彼、お茶と和菓子では専門家裸足の知識を持ってるから」


「あの人。本当に、優人部隊の総司令なのか?」


(あたし)も、疑問に思うことがあるわ」

 玲華は疲れた溜息を吐いた。



「ねぇ。アキト君」

「ん?」


「ナデシコ……って、どんな所なの?」


「毎日がお祭りだ」


「それって……うまく想像が出来ないんだけど……」

「そうだな……この前のお花見があったろう」

「ええ」

「毎日があんな感じだ」


「それで、戦争が出来るの?」

「優秀な人材が揃ってるからな」




 胡座(あぐら)をかいてるアキトの腿に手を着いた玲華は、間近で彼の顔を見上げた。


「ねぇ。アキト君。
 ここに居ちゃダメ? 木連に居ちゃダメ?

 地球と木連の和平なら、木連からでも出来ると思うわ」



 潤む玲華の眼から、アキトは視線を逸らす。


「………………すまない。
 俺にはやることがある」



「『ナデシコの仲間を護る』こと?」

「そうだ」


 少し哀しそうな顔をする玲華。

「大切な人が……いるのね」


「大切と言えば、ナデシコの200名全員がそうさ。
 特定の誰か。と、言うわけじゃない」




 血桜の所で聞いた『ユリカ』のことを訊きそうになった玲華だが、寸手で止めた。


 人は誰でも触れて欲しくない所を持っている。

 アキトだってそうだろう。

 そこに触れないのが、最低限の礼儀だ。


 だから、待っていよう。いつか、彼が自分から話してくれるまで。



「そのナデシコの人たちは、大切なのね」




「それが、俺の……人であったときの『テンカワ・アキト』の願い……いや、執念だからな」




「執念?」


「ああ。『昔』、俺は捕らわれのユリカを助け出した。

 だが、あの後、俺は自分の命を絶つことが出来なかった。
 怖かったからじゃない。惜しかったからじゃない。


 「簡単に楽になるな」と、親友(アカツキ)に冷たく言われたのさ。

 「それが、君を支援した見返りだ」…………ともな。


 その時、俺の身体はもうボロボロで、…………長くはないと思ってたから、承諾した。

 まさか、イネスの執念とも言える尽力で、あれから2年も保つとは予想もしてなかったからな。


 だが、目的を達した俺が存在し続けるには、理由が必要だった。
 自分が生きてることに理由が必要だった。


 そして、俺は存在し続ける理由を『殺戮』に見いだした。


 俺はそう決意した時、人であることを捨てた。
 殺すためだけに存在する俺は、ただ、人を殺すだけの『鬼』に成り下がった。


 『ナデシコの仲間を護る』

 これは、人であったテンカワ・アキトの願望であり遺言。


 それが人であった『テンカワ・アキト』に、鬼と化した俺にできる、たった一つの手向けだ」





 アキトの隣に擦り寄った玲華は、アキトの肩に頭を乗せた。


「玲華さん?」




「あなたは、人ではないのね。

 本当に……(あたし)と同じ『鬼』なのね」



 アキトは答えない。



 だが、玲華にとっては、アキトが手の触れられる所にいるだけで良かった。



「お願い。もう少し、このまま」



 アキトの肩に頭を乗せたまま、玲華は独り言のように、心の内を吐露する。



「海賊時代、妾は『同族()』を探し回ったわ。

 近い者はいた。逸脱した者もいた。でも、彼らは鬼に成りきれずに皆、死んでいった。


 そんな時だった。叶十(かのと)義兄さんに逢ったのは。


 嗅覚で、妾はこの人は『同じ』だと解ったわ。
 けど……その鬼は『人』のままだった。

 波月は『化け物』だけど、『鬼』じゃない。




 結局、(あたし)は独り。世界で、………たった独り。




 この世界に『同族』はいない。


 完全に諦めていた(あたし)の前に、アキト君が現れた。



 妾と同じ瞳を持つ、あなたが。

 『鬼』の眼を持つ、あなたが。



 どれだけ嬉しかったか。

 どんなに嬉しかったか。



 あの時、(あたし)は気づいたの。


 ああ、妾は寂しかったんだ…………って。



 世界で、たった独りでいることが、寂しかったんだって」





 アキトを見上げた玲華は、うっとりと恍惚に笑んだ。




「『仲間』がいる。

 『同族』がいる。

 妾と同じ『鬼』がいる。


 ああ。今の時間が……この時が夢のようだわ」






 アキトの静かな視線を見返したまま、玲華はアキトの唇に、そっと唇を重ね合わせた。






「ねぇ、お湯がわい――――…………ごめんなさい!!


 キスしている二人を目の当たりにし、ユキナが顔を真っ赤に染めて、慌てて引っ込んだ。





 眼で促すアキトに、玲華は渋々と身体を離した。


「ユキナちゃんが謝る必要はない。玲華さん」


「そうね。(あたし)からした、お願いだしね」





*




「少し固めで上げて、そう、そこで良く水を切って、手早くドンブリの中に入れる」


 玲華は真面目な顔つきで取っ手付きのザルで水を切って、ラーメン玉をドンブリの中に入れた。



「そこで、ラーメンスープを注ぎ足して、具を麺の上に飾りつける。


 はい。これで、一週間やってきたラーメン講座は、おしまい」



 焼き海苔をラーメンの上に置いた玲華が振り向く。


「アキト君。なんで、固めで上げるの?」

「スープの中に入れてからも、スープの熱でメンが茹でられるからだ。
 ラーメン屋台をやっていた時、食べるのが遅い人は、始めからメンを固めで頼むことも多かったな」



「え? ラーメン屋台って、チャルメラマンの?」


 眼を丸くするユキナに、アキトが片手で制した。

「それは、もういい。
 て云うか、そんなに有名なのか?」


「そっか〜。ラーメン屋台って本当にあったんだ。
 ま、それは兎も角――

 
試食〜〜♪♪


 ユキナはゲキ・ガンガーのケンがやっていたように箸を擦り鞣した。

「アキトさんの傍に居ると焼き肉食べられるし、ラーメン食べられるし、超幸運(ラッキー)!!」



頂きま〜〜す」と元気いっぱいのユキナに、アキトと玲華が苦笑した。


「それは、どうも」


「色気より食い気ね」








 美味しい美味しいとラーメンを食べきったユキナは「ふわぁぁぁぁ」っと、満足げな息を吐く。



美味しかった〜〜!!

 でも、もう、お腹一杯。
 アタシ、今日はお昼いらない」


 お腹をさすりながら、「ごろん」と呟いて、畳の上に寝ころぶユキナ。



 『前』の味見役のルリちゃんは、「少女は育ち盛りなんです」とか言って三杯ぐらい、ぺろっと食べて、さらに夕食も普通に食べてたけど…………やっぱり、あれは『特殊』だったんだな。


 横になってお腹を押さえているユキナを見、アキトは『前』から持ち越した疑問の一つを解消した。




「さて、(あたし)たちはどうする?」

「ここ、二・三日。昼は試作のラーメンばっかりだったからな。
 違う物にしようか」


「良いわね。
 でも、冷蔵庫の中。空っぽなのよ。何か買いに行かなきゃ。
 アキト君。付き合ってくれる?」


「俺が、外に出ても良いのか?」



 寝ていたユキナが跳び起きた。

「じゃあ、変装ね!!」


「変装?」



「うん。女装!!



「待て!! 何故そうなる?」



「変装といったら女装よ。
 常識じゃない


「絶対に、お断りだ」




「え〜〜。新しい自分に目覚めるかもしれないのに?」



「さらに、お断りだ」




「むぅ〜〜。あとは変装って言うと、髪を後ろに流(オールバックに)して」

「眼鏡をかけて――」

「優人部隊の軍服も!!」

「そうね。叶十義兄さんが着てた制服なら合いそうね」



「あの、白い学制服を着るのか?」



 眉を顰めるアキトに、ユキナが「ズズイッ」と擬音を発しながら、彼に迫る。


「アキトさん。女装と優人部隊の服。どっちが良い?」





 満面の笑みを浮かべたユキナの脅迫に、アキトは観念した。





*





「髪……ベタベタするんだが……」


 アキトは、髪をオールバックにし、細縁の伊達眼鏡をかけ、優人部隊の白い制服を着せられていた。




「そうねぇ。風格で云えば、副司令補佐ってとこかしら」

 玲華とユキナは、アキトの寸評で盛り上がっている。

「う〜〜ん。補佐見習いが良いとこだと思うよ」

「……かしら?」


「ねぇ。この際だから、偽名も付けようよ」

「何が良いかしら?」



「俺の意見は?」


 こう云うときの、男の愚痴など古今東西、現実でも架空でも無視されるのが、暗黙の了解である。



「そうねぇ。『天河明人』だから……読み方を変えて『アマガ・メイト』君……なんてどう?」



「あ、それいい!!
 宜しくね。メイトさん」



 ユキナの悪戯っぽい笑顔に、アキトは諦めの溜息を吐き出した。



*



 エウロパ商店街。



 その商店街は相変わらず、活気に満ちていた。


 ここで九十九たちと食事をしたことが、もう何年も前のように思える。



「よっ!! 玲華の姉御。
 カリストの良いブリが入ったんだ。
 さあ、買った買った!!」

「てやんでぇ!! こちとら、ほんまもんのエウロパ産の大根でい。
 この太さと言い、この白く光る艶と言い、買い得の一本だぜ。玲華お嬢」

「玲華嬢!!
 待ちに待ったガニメデの黒豚が手に入ったぜ。
 玲華嬢のために、隠し持っていた一品だ。
 さあさあ、玲華嬢!! 大幅に勉強するぜい」

「はいはい。オカズの一品としちゃ、このダイチ揚げ饅頭を忘れて貰っちゃ困るよ。
 今なら、二つオマケするさ。
 玲華嬢ちゃん。迷わず買っていきな」

「玲華おネェさま〜〜。
 玲華おネェさまが、食べるところを想像しながら作った、草団子ですぅ〜〜。
 買ってください〜〜。食べてください〜〜」



「アホ言ってんじゃねぇ。
 今夜のオカズはブリに決定よ」

「だらぁ。この大根に勝る一品無し!!」

「黒豚に勝る食材無し!!
 オイラの進めに間違いはねぇ」

「ふん。食べ慣れた物が一番。
 よって、この揚げ饅頭が一番さ」

「おネェさまが、あたしの草団子を食べて下さったら、あたし〜〜。あたし〜〜。
 はうあぁぁぁ〜〜」




 玲華がエウロパ商店街に姿を現した途端、両側の商店から、これでもかと云うほど、次々と自慢の一品が突き出される。


 アキトが納得したように頷いた。

「なるほど。玲華さんが買い物に行くと、いつも大量に買ってくるわけだ」


「なんか断りにくいのよねぇ。
 あって困るものじゃないし」


 この道、50年のダイチ揚げ饅頭売りのオバチャンがアキトの姿を見て、眼を瞬かせた。

「おや。叶十大先生かと思ったら、初めて見る顔だねぇ」



 八百屋の店主が大根片手に、玲華に訊ねる。

「玲華お嬢。
 その、トッぽい兄ちゃんは誰だい?」





 玲華は頬染め、両手を頬に添えて俯いた。


「…………そんな……恥ずかしい」




 もっとも、玲華の口許は、悪戯が成功した時のように、必死に笑いを噛み殺ろしていたが。


 それに気付き、アキトは呆れ混じりの半眼を玲華に向ける。




 その後ろで、重い沈黙に包まれるエウロパ商店街。



「は、恥ずかしいって……そんな……まさか――」


「そ……その男は、玲華嬢の何なんだ?」





 一縷の望みをかけて、恐る恐る訊ねる男たちに、アキトの腕を抱え込んだ玲華は溶ろけるような、幸せな笑みを浮かべた。



「婚約者よ」






 一瞬、商店街の全ての音が消えた。







 恐ろしいほどの沈黙の後――――








「我らの玲華嬢がぁぁぁぁ!!」

「そんな!! 商店街の希望があぁぁぁぁぁ!!
 今日は、仏滅だ〜〜。滅法だ〜〜。この世の終わりだ〜〜」

「嘘だ〜〜!!
 そうさ、夢さ。これは夢で、俺は暖かいお布団の中にいるのさ。

 だから、ゲキ・ガンガーよ!!
 我を悪夢の眠りから、覚ましたまえ〜〜!!」

「ほう。そいつは、お祝いだねぇ。
 今日の揚げ饅頭はタダにしとくよ」

「おネェさま〜〜!!
 男なんてダメです〜〜!! フケツです〜〜!!
 あたしの方が100万倍、良いですぅ〜〜。
 玲華おネェさまっ!! 眼を覚ましてくださ〜〜いっ!!」





 混乱なんて生温い。阿鼻叫喚の狂騒狂乱が繰り広げられていた。






 アキトは深々と溜息を吐く。

「玲華さん。これ、どうするつもりだ?」


 自分が引き起こした狂騒に眼を丸くしていた玲華は、頬に手を当てた。

「さぁ。どうしましょ?」





 その日の午後、男たち(一部、女を含む)は、魂が抜けたように覇気が無く、エウロパ商店街に来た客たちは、口を揃えて「まるで、街全体が通夜のようだった」と語っていた。






*





「あはははは。そんなことがあったんだぁ」


 昼の買い物から帰ってきて、いやに上機嫌の玲華と、ぐったりと疲れきっているアキトから商店街での出来事を聞き出したユキナは、笑い声を響かせた。



「玲華さん。どうなるか解っていながら、口走るんだから」


「でも、アキトさんよりマシじゃない?
 アキトさんなんか、木連国民全員に、自分は火星人だってぶちまけちゃったし」


「うっ」

 声を詰まらせるアキトに、ユキナは追い打ちをかける。




「本当はアキトさんて、考えているようで、実は何にも考えてない(タイプ)?」



「ううぅぅ」




「直感と感情で行動して、
後で直感に合うように理屈の辻褄を合わせる(タイプ)とか?」





「ううぅぅぅっ」

 呻くアキト。





「もしかして、アキトさん。

 
それで、自分は理性的だと思い込んでる?」





「………………」





 沈黙のアキトに、ユキナは恐る恐る訊く。


「え〜〜と、中心図星の度真ん中の大打撃?」



「うぅ…………心が痛い」







「的確に急所をついて、相手を追い詰めていく口撃。
 ぜひ、うちの隊に欲しいわね」


 アキトをイジメているユキナを見、昼ご飯を持ってきた玲華が真面目な顔で呟いた。




*




 昼食が終わった後の卓袱台に、ユキナは肘を着いた。

「でも、考えてみたら凄いよね」


「何が?」

「だって、アキトさん。
 あんな所で自分が『火星人』だってバラしちゃったじゃない。
 もしかすると、歴史に名が残るかもしれないよ」

「そうねぇ。
 もし、地球との和平が実現したら、社会科の教科書ぐらいには載るかもね」

「凄〜〜い。
 アタシ、今、歴史上の人物に会ってんだ!!」



「そうかな。
 俺から見ればユキナちゃんの方が、凄いと思うけど」


「え〜〜。なんで?
 アタシ、別に何にもやってないよ?」



「ユキナちゃんの周りにいる人を考えてごらん。
 玲華さんを始めとして、九十九に月臣。秋山さんや夕薙さん。焔さん、東さん、叶十さん。それに、波月ちゃん。

 ユキナちゃんの周りには、今を代表する中心人物が集まってきてる。
 俺は、そっちの方が凄いと思うけどな」



「う〜〜?」と唸りながら、腕を組んで首を傾げているユキナを見、アキトは小さく笑みを浮かべた。



 『前』も、そうだった。


 九十九の死。遺跡のジャンプ。火星の後継者鎮圧。

 歴史の転換期には、必ずその場にユキナちゃんがいた。


 たぶん、この時空でもユキナちゃんは、そういうことに巻き込まれ続けるだろう。

 幸運と思うか、不幸と思うかはユキナちゃん自身の問題だ。




「火星で思い出した。
 あれから、追っ手は来たのか?」


「波月の家に10人ほど、暗殺者やら刺客やら過激派やらが乗り来んできたらしいわ」



「それで?」


 眼光が鋭くなるアキトに、玲華が嘆息を洩らす。




「波月がよろこぶ、よろこぶ。

 狂喜乱舞しながら、問答無用でぶち殺したみたい」




 がっくりと肩を落としたアキトは、額を押さえた。


「……………………そういう()だった」






 ガラガラと玄関の戸の開く音が聞こえる。


「ただいまぁ」

「ただいま」



「あら、お帰りなさい。義兄さん。義姉さん。
 温泉はどうだった?」


「まあ、変わらず。
 ゆっくりと時間が流れているような気分になるよ。向こうは」


「旦那様は、相変わらず卓球、弱いですしねぇ」


「何連勝?」

「20連勝よ」

紗音里(さとり)、余計な事は言わんでよろしい」

「あらあら、報告は大事ですわ」



「ほう。木連に温泉なんてあるのか?」


「うん。エウロパの『信玄湯』。
 有名なんだから」


「シンゲン湯?」


「うん。タケダ・シンゲンて人が入ったから信玄湯なんだよ」


「ふ〜〜ん」



「ちなみに、『武田信玄』はニホンの戦国時代……今から700年前の人間です」


「ああ、そういや。『前』、ルリちゃんがやってたゲームに、そんな名前の人物が出てきたような、出てこなかったような……」



「えっ!? 700年前って…………。

  どう考えても木連に来るのって不可能よ!!
 って、云うか、木連できてないじゃん!!」



「ですから、あれは、ただの客寄せのための迷信(デマ)です」



「ええぇ〜〜!?」



「それに、温泉も純水を沸かしたものですし、温泉に含まれる鉱物質もプラントで合成されたものです。
 まあ、効能に違いはありませんが」


「ええぇっ!? エウロパ温泉て、地熱で温まったお湯じゃないの?」


「ユキナちゃん。地熱って何か知ってるの?」

「もちろん。理科で習ったよ。
 惑星の中心部は熱くて、それで、その温度が地面まで伝わってお湯が沸くんでしょ?」


「ええ。そうです。
 でも、エウロパの(コア)は水ですし、当然、水を沸かす地熱部(マントル部)も存在しません。
 だから、水を沸かす温度も存在しなくて、温泉も沸かないんです」



「そんなぁ!!
 夕薙さんと、お酒呑める歳になったら、温泉で木星見酒しようねって約束してたのにぃ!!」



 眉間を抑える玲華。

「夕薙……あいつはぁ、何を約束してるのよ」


「夕薙さん。酒と温泉と花と木星があれば、十分だって言ってたしな」


 アキトが呆れた笑いを浮かべ、叶十(かのと)が苦笑を浮かべる。

「ははは。夕薙君らしいですね」



「あらぁ。別に偽物の温泉でも、ちゃんとお湯に浸かって、木星を見ながら、お酒を呑めますわ」


 何かを思い出したように、叶十は半眼になった。

「沙音里……随分と長風呂で、ふらふらしてたと思ったら…………あれは、茹だってたからじゃなくて酔っていたからか」



「ええ。露天風呂で香雅美(かがみ)さんにお会いしまして」



「香雅美って……焔さんの奥さんの――」


「はい。『西鳳香雅美(せいほう・かがみ)』さんですわ」



「たしか、あの人。今、武者修行中じゃなかったかしら?」


 玲華の疑問に、紗音里が頷く。


「ええ。骨休めで温泉に来たそうです。
 本当は義従姉妹(いとこ)で、弟子の夕薙さんを誘おうとしたんですけど、忙しそうだから一人で来たと仰ってましたわ」


「さすがは、波月君の叔母に当たる人だね」




「そうそう、お土産だけど。
 ゲキガン温泉饅頭とエウロパ温泉卵よ。
 定番ですけどね」

 紙袋をガサガサと探る紗音里に、玲華が肩を竦める。

「良いんじゃない?
 奇をてらって食べられない物よりも」


「あと、夕食用に出来合いの水餃子を買ってきたから、お手軽にこれでいきましょう」



「アタシも手伝う!!」


「あらあら、悪いわよ。お客様なんだから」


「働かざる者、食うべからず!!
 それに、料理も上手くなって、波月さんを見返すの!!」


「「おおぉ〜〜」」

 拳を握り締めるユキナに、玲華と紗音里が拍手する。




「これで、波月さんに、『婦女子たる者、料理くらい出来なくてどうする』。
 
な〜んて、二度と言わせない!!


 縁側で叫ぶユキナの背景には、岩に高波が弾けるニホン海が映っていた。




「ユキナちゃんて、結構、負けず嫌いなんだな」


「ユキナちゃんと云うより、木連人の気質と言った方が適切ですね」


「…………納得」




*



 三人が夕食の仕度で炊事場(台所)へ行き、アキトと叶十が居間に残った。



「アキト君。一つ聞きたいことがあるんだけど、良いかい?」

 何かを考えていた叶十は、壁に背を預けているアキトに問いかける。


「なんだ?」

「ん。玲華とは何処まで進んだんです?」



 ゴンッ!!


 アキトは柱に頭をぶつけた。



「いや。帰りにエウロパ商店街によったら、君と玲華の事が噂になってましてね」


 渋面を作るアキト。

「あの婚約者騒動は、玲華さんの悪戯(いたずら)だ」



「婚約? …………私が聞いた噂では、君と玲華はすでに結婚してて、男の子と女の子の子供がいるって話でしたよ。
 紗音里(さとり)は真に受けて、祝いのご馳走買おうとするし…………。まあ、私が止めましたけど」




 ズリズリと壁を滑り崩れるアキト。


「…………もう、表を歩けない」




「はははは。それは、元からじゃないですか」




「………………そうだった」




「まあ、冗談は兎も角。
 兄の贔屓目を差し引いても、玲華は良い娘だと思いますよ」

 叶十は眼を細める。

「同じ『(同族)』としても」


「気づいてたか」

「ええ。玲華が言うことには、私も『鬼に成らない人(同族)』だそうで」


「確かに、俺は『復讐鬼』という名の鬼だ。
 人を殺すのに何の呵責も起きない、玲華さんの『同類』だ」



「鬼だとて、人を愛することは出来ますよ」



「自分自身を嫌悪している者は…………他人など愛せない」




「アキト君。
 それでも、君は人と共に居たいと思ってませんか?」



 アキトの顔が歪む。

「………………わかるか?」



「ええ。玲華やユキナちゃんと一緒にいる時、本当に楽しそうな笑みを浮かべてますから」



 手で顔を覆うアキト。

「背を向けたのに、捨て去ったのに、切り捨てたのに…………、それでも人に惹かれる」




 アキトは、自分に嫌気が差したように、心の底から嘆息した。



「……俺は………弱い……………」





 叶十は静かに笑みを浮かべた。


「いいえ。それは弱いというのではないと思いますよ」



 アキトの眼が、叶十へ向けられる。


「人の強さは、『孤高』や『武力』ではありません。
 もし武力や孤独が、強さを測る基準ならば、人はここまで文明を発達させていないでしょう。
 集団だからこそ、力の無い者が寄り集まったからこその、繁栄です」



 叶十は、一転、皮肉っぽく微笑む。


「まあ、そうは言っても、人間同士で争ってますけどね。
 この木連地球戦争とか」



「地球は、相手が人間だと知らないがな」


「そのようですね。
 昨今の戦争は、機構体系(システム)と化しています。
 科学や経済という名の体系(システム)に組み込まれた殺し合いの構造(システム)。――戦争。

 人は科学によって、その戦争から人間性を排除しようとしてきました。その醜さから眼を背けるように。
 人を殺すのは、残忍な人間ではなく、冷酷無比な機械だとでもいうように。


 でも、どんなに科学技術に依存しようとも、結局、戦争は『人』がするものです。

 欲も、嫉妬も、守りたいと思うのも……、誰かを殺したいと憎悪するのも…………哀しいまでに『人』なのです。

 戦争は、『人』の本能と密接に結び付いているもの。


 …………ですが、どんなに殺し合い、欲深く、愚かでも…………私は、その『人』を信じてやまないのです。

 裏切られるとしても。利用され捨てられるとしても。


 ………………それでも、私は、私を含めた『人間』を信じたい」




「…………『人』ね。

 あんたは、本当に和平が出来ると思うか?
 和平できたとしても、必ず遺恨が残り、それが新たな災いを招くと思わないか?」



 ――――そう。新たなる秩序を求めた火星の後継者のように。




「初めに言っておきます。
 私にはこの戦争に関して語る資格はありません。

 なぜなら、自ら軍から退役(ドロップアウト)してしまったのですから。
 当事者でない者が横からしゃしゃり出て、口を出すことは、どんな意見であれ、迷惑以外何者でもありません。

 もっとも、木連が負ければ、どうやっても私に係わってくるので、全く無関係とは言いませんが」



 叶十はそう、前置きしてから話し始める。


「戦争を起こさないようにするには、戦争を()ることです。

 たとえば、風邪が嫌だからといって、祈祷を行なっても意味はありません。
 人類は風邪を引かないようにする為に、風邪を徹底的に調べてきました。
 だからこそ、予防もできるのです。

 風邪と同じで、戦争も、『戦争反対』と云う言葉で満足して思考停止し、横断幕を持って練り歩いても祈祷と同じ事、
 期待できるのは偽薬(プラセボ)効果ぐらいです。

 戦争も学び、()って、予防するしかありません。

 けれど、戦争というのは洋々な事情と利権が絡み合った、伝染病よりも遙かに死亡率の高い、死に到らせる病。
 風邪のように、簡単に予防できない所が厄介ですが」



「抽象的でよくわからないが…………現実に、もう戦争は起こっている。
 予防よりも対策の方が必要なんじゃないのか?」


「ええ。その通りです。
 その対策は幾通りか考えているのですが、確実に戦争が終息できる方法となると…………さすがに。
 風邪は注射や薬で、確実に治るんですけどね」



「馬鹿につける薬が無いように、戦争につける薬もない。

 だからこそ、ユリカのような破天荒なやつが、誰にも思いつけないような荒治療を施す必要があると思ってる」



「信頼してるんですね。
 そのユリカさんという方を」


「ナデシコの艦長さ。
 一度、世界を和平に導くきっかけを作ったことがある。

 ………………『昔』だがな」



「それは、凄い。

 ただ、和平を目指すのなら、一つだけ、認識しておいてください」




 叶十は背筋を伸ばし、居住まいを正した。



「加害者側と被害者側の意見は、絶対に合いません。


 加害者側がどんなに切羽詰まった事態であろうと、どんなに正しい正義を振りかざそうと、
 殺される側の被害者からすれば、そんなことはどうでも良いことです。

 どれだけ、相手が窮地に落ちようが、自分たちが悪だろうが、殺されてしまえば全てが終わり(・・・・・・)なのですから。




 加害者側が花見をしてる時に、被害者側は地獄を見ているかもしれない。

 侵略する側がテレビを見て笑っている時に、侵略される側は血の涙を流し、泥の底を這い擦ってるかもしれない。




 そんな被害者に、加害者のお題目など通じないでしょう。

 自分たちに被害がでなければ、加害者にとっても被害者側は所詮、他人ごと。
 対岸の火事です。




 両者の間には、絶望的な断絶があります。


 加害者側と被害者側の主張は、永遠に交わらない。



 これが、戦争です。





 でも、そう言っていたら、戦争は永久に終わりません。

 終わらせるためには、両者が歩み寄るか、第三者が無理矢理ねじ曲げるか……。

 この交差しないはずの主張を、交わらせた先は『両者の和平』か、『片方を殲滅した平和』か、どちらかになると思います。


 正しい答えなど無いでしょう。

 自分で出した答えを信じるしかありません」



「…………答えか」





「文明ができてから4000年あまり。
 多くの賢者が考えてきた問いを、私が出せるとは到底思えません。



 でも、眼を逸らさずに、耳を塞がずに、考え続けることは、学び()り続けることはできると思うのです。



 アキト君の出した答えが『和平』ならば、私も嬉しい限りですね」





 叶十は、今まで心の中に溜め込んでいた言葉を全て吐き出したかのように、深く深く深呼吸した。









「戦うべきか戦わざるべきか、戦争か平和か、そして和平か。

 人が人である限り、永遠に人類についてまわる命題です」



 無言のアキトに、叶十はそう締めくくった。




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