< 時の流れに >

 

 

 

 

 

 

 

 難しい顔をして唸っている彼の前に、紅茶の入ったカップを置く。

 しかし、それに気付いた様子も無く、彼はひたすらに悩んでいた。

 どれ位悩んでいるかというと、時計の短い針が既に2つ進んでいるくらい。

 

 ・・・それを観察するのも飽きたので、私は一時間前から自分の仕事を再開している。

 

「やっぱり、この薬の複製は無理なんですかイネスさん?」

 

 自分の手のひらの上にある、白い錠剤を睨みつけながらナカザト君が私に話しかけてくる。

 私は没頭していた仕事を止め、先ほどと同じ答えを彼に返した。

 

「複製は出来るわよ。

 ただ、私が調べた限りその薬の効果持続時間は72時間。

 そんな強い薬を、毎日飲むのは危険だわ。

 ・・・つまり、3日のローテーションで他の薬も服用してると考えられる。

 それに複数の薬を使う事で、劇薬の効果を抑え込んでるかもしれない。

 まさに『毒をもって毒を制す』ね。

 多分、予想できる残りの二つの薬を手に入れて解析しないことには、彼女達の安全は保障できないわ。

 服用している本人がその事を話さなかったのは、きっと彼等も知らない事だからよ」

 

 ナカザト君が例の彼女・・・百瀬さんから受け取った薬

 彼女達を縛る鎖の正体を知るために、彼は私の研究室に現れた。

 しかし、その薬の検査結果はとても希望を見出せる内容ではなかった。

 

 ・・・ここまで執拗な楔に、私はある男の影を感じていた。

 

「百瀬君は・・・自分が自由になれない理由を、俺に話してくれました。

 所詮、自分達は逃げられない運命、だと」

 

 錠剤を転がしながら、ポリツポツリと、ホスセリであった事を話し出す。

 彼女の苦悩も知らず、ただ迎えにいけば全てが上手くいくと・・・信じていた。

 彼女の自由を縛るモノは、薬だけではなく、兄弟であり仲間でもあった。

 

 ・・・その生い立ちを聞けば聞くほどに、連れて逃げ出す事の困難さを知った。

 

 そして、別れ際、去っていく時の彼女の言葉が忘れられない、と。

 

「・・・何を言われたのかは聞かないけど。

 まだ何も終わってないのよ?

 まあ、無理だと自分で決めたのなら、早く他の女性でも探す事ね」

 

「・・・そんなに器用な事が出来るなら、腕一本無くしてまで彼女を追いかけませんよ」

 

 試しに突き放してみると、意外にもサバサバした表情でナカザト君は返事をしてきた。

 さすがに不意をつかれたのか、悔しい事に私の驚きが表情に出ていたみたい。

 

「ははは、イネスさんのそんな顔は初めて見ましたよ。

 別の方向から考えれば、残り2つの薬を見つければOKなんですよね?

 ―――なら、手に入れてみせますよ、どうあっても」

 

 錠剤を握り締めながら、ナカザト君は強い意志を籠めて独白していた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして私は、彼のその強い言葉と態度に・・・一抹の不安を感じていた。

 とても似ていたのだ、アキト君が我が身を省みず戦っていたあの頃と、今の彼の表情が。

 

 

 


 

 

 

「というわけで、娘さんとの結婚を承諾して下さい!!」

 

「・・・近所迷惑だ、帰りなさい」

 

 徹夜でナデシコCに関する資料をまとめ、疲れきった体で戻った部屋の前には、一人の男性が待っていた。

 その男性の事を、私は良く知っていた。

 あまり良い噂は聞かないが、凄腕のエステバリスライダーで、私の娘と交際をしている男だ。

 私にはこの男の良い所が理解できないが、娘とその友人は彼に惚れているらしい。

 

 ・・・考えてみたら、一対一で娘の彼氏と会うのは今日が初めてだ。

 

 二日間徹夜の後なので、呆けた頭にはイマイチ彼の言っている事が理解できない。

 唯一理解できたのが、先程の台詞である。

 彼は娘との結婚を承認してくれと言った。

 

 なら、答えは一つだ。

 

「もう一度言うぞ・・・帰りなさい」

 

 今の私は、睡眠をとることが一番大事なんだ・・・

 

 なにやら喚いている彼を玄関先に残し、私は自室のベッドに横たわった。

 ―――まどろむ暇も無く、そのまま意識は闇に閉ざされた。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・どうやって、この部屋に入った?」

 

「万葉から、合鍵を借りましたから」

 

 目を覚まし、多少はスッキリした頭で居間に行くと。

 そこには、正座をして私を待ち構えている、紺色のスーツ姿のヤマダ君が居た。

 一瞬、ネルガルのSSを呼び出して、強制連行をしてもらおうかと思ったが止めて置いた。

 いや、それ以前にこれは最早犯罪なんだから、警察を呼んでもおかしくない。

 だが・・・娘が合鍵まで渡した以上、話も聞かず追い出すことは出来ないだろう。

 ただでさえ、娘と私の間には深い溝が存在するのだ、これ以上の亀裂は御免だ。

 

 溜息を吐きつつ、正座をしている彼に視線を向けると、真剣な表情で私を凝視している。

 しかし、まさかこんな状況に自分が陥るとは―――3年前には予想もしてなかったな。

 

「珈琲でも飲むかね?」

 

「はい、頂きます!!」

 

 睡眠により疲れが少しは癒されたので、彼の話くらいは聞く余裕が、私には生まれていた。

 

 

 

 

 

 ―――その後、彼の話を聞いて、部屋から蹴り出したが。

 

 

 

 

『はい、御剣ですが』

 

「・・・久しぶりだね、万葉」

 

 玄関で騒いでいた男を、ネルガルのSSに連絡を取って連行させた後。

 私は娘とウィンドウ越しに会っていた。

 ウィンドウに映る娘は、何時ものように首の後ろで黒髪を括り、心なしか顔が赤い。

 

 ・・・これで、彼の話が本当だと分かった。

 

「彼から話は聞いたが、本気なのかね?

 大体、彼が優柔不断なせいで、君やアマノ君が傷つく事はないだろう?」

 

『それはちょっと違うな・・・ガイが選べなかった事だけが、問題じゃない。

 もちろん、自分を選んでくれれば、嬉しかったが。

 少なくとも私とヒカルは、この結果に満足してる』

 

 確かに、一人を選ぶ事により、残りの一人が傷つく事は無くなった。

 だが、本当にそれでいいのだろうか?

 何より、そんな決断も出来ない男に、娘を嫁がせていいのだろうか?

 確かに軍人としての実力は認めよう、だが、成人男性として考えると問題が多すぎるのではないか?

 

「・・・君達の意見は分かった。

 なら、私は私の方法で彼の本質を試させてもらうよ」

 

『何を考えているのかは知らんが、存分に試してくれ。

 まぁ、ちょっとやそっとの試練には、簡単に根を上げない男だ』

 

 そして、娘との通信は終わった。

 ありきたりな試練では、彼を止める事が出来ないと信じているのだろう。

 勿論、あらゆる意味で彼が規格外の男だと、私も知っている。

 ナデシコでの彼の戦闘記録にも、一通り目を通しているのだから。

 

 ―――だからこそ、彼の弱点も知っている。 

 

「さて、彼の好きな『熱血』と『根性』を、存分に見せてもらいましょうか」

 

 久々に寝室から持ち出してきた、愛用の将棋の駒と盤を持って、私は彼が捕まっている取調室に向かった。

 

 

 


 

 

 

「よっ、久しぶりだな、アリサ」

 

「ふぅ・・・全くですね、リョーコ」

 

 地球へと逃げ帰る戦艦の中でアリサと合流したのは、地球まで残り3日といった所だった。

 アリサはナデシコとは比べものにならない、狭いスペースのリラックスルームのベンチに座り珈琲を飲んでいた。

 

「お互い、無事でなによりです」

 

「・・・ま、戦う事無く撤退だからな」

 

 火星の後継者達の一斉蜂起に襲われ、俺達は一瞬にして守るべきターミナルコロニーを失った。

 アリサが守備についていたコロニーも、同じ経緯で落とされたらしい。

 慌てるだけの上官を問い詰めて聞き出した限りでは、他のターミナルコロニーも、既に占拠されたそうだ。

 

 ・・・これで、統合軍も連合軍も、ボソンジャンプを使った移動を制限されてしまったわけだな。

 

「くそったれが、ろくに反撃もしないうちに逃げ出しやがってよ!!」

 

  ―――ガン!!

 

「リョーコにも分かっているでしょう?

 あれだけ見事に占拠された以上、彼等の準備は万全です。

 ・・・バンザイアタックなんて、する必要は無いですよ」

 

 内心の苛立ちを壁にぶつけている俺に、アリサが疲れた声で止めてくる。

 アリサにしても、戦う事無くコロニーを占領された事にプライドを傷つけられているはずだ。

 自慢じゃないが、統合軍のエステバリスライダーの中で、俺とアリサは一、二を争う仲だ。

 それも、三位の奴とはかなりの実力差を持っている。

 ・・・連合軍のアイツ等を含めると、かなり良い勝負になるんだがな。

 勿論、最近のコロニー襲撃犯についてはかなり気がかりだった。

 不謹慎な考えだが、出来れば自分が防衛に着いているコロニーを襲って欲しいと思っていたくらいだ。

 一度戦えば、化けの皮を剥す自信が俺にもアリサにもあった。

 

 もっとも、そのコロニー襲撃犯の正体も、既にバレている状態だがな。

 

 壁に八つ当たりした事で、少しは怒りが収まった俺はアリサの隣に座り込む。

 そんな俺に、アリサが何時の間にか用意をしていた珈琲のカップを、俺に手渡す。

 

「しっかし、ナオのおっさんもつくづく難儀な星の元に生まれてやがるな」

 

 昨日、ルリから受け取ったプライベート通信には、今回の事件のあらましが書かれていた。

 俺やアリサが今回の襲撃犯の事を気にしているだろうと、気を使ってくれたのだ。

 

 ・・・もっとも、ルリやラピスじゃなければ、軍の監視システムを掻い潜って、俺のプライベートアドレスにメールは出せないだろう。

 

「全くですね・・・無事に帰ってこられて良かったですよ。

 もし、ナオさんの身に何かあれば、ミリアさんがどうなる事か」

 

「・・・だな」

 

 珈琲を一口飲み、最悪の事態を想像して気分が悪くなった。

 ナオさん自身が作られたA級ジャンパーだった事は、本人も知らない事だったらしい。

 どうやらクリムゾンの奴等は、火星の人間の特殊性に目を着けて、殆ど出鱈目に遺伝子操作をしていたのだろう。

 ・・・と、イネスさんの長々とした説明を要約したルリの説明が、メールには書かれていた。

 

「結局、アキトさんじゃなかったですね」

 

 ―――ポツリ、とアリサが言葉を溢した。

 

「当然だろ?

 今更テンカワの奴が、コロニーを襲う理由なんて無ぇじゃねぇか」

 

 半ば自分も期待をしていただけに、ついつい返事はキツイ口調になっちまった。

 火星の後継者の登場を予期していた俺達は、あらゆる手段を講じていたはずだった。

 しかし、それも予想外に早い蜂起と・・・北斗の奴すら凌駕する北辰の存在により、全てが覆った。

 

 俺達の、この3年間は何だったんだ?

 アキトの奴が、あれだけこの事態を回避しようと、血反吐を吐いて戦ったあの戦争の意味は?

 ・・・あれだけ苦しんだのに、全ては無駄だったって言うのかよ!!

 俺達にはアキトの留守を守る事すら出来ないのか!!

 

「リョーコ、不甲斐無さを感じているのは皆同じです。

 ですから、その怒りは次の戦いまで取っておきましょう」

 

 怒りに囚われそうな俺の肩を軽く叩き、アリサはそう忠告をしてきた。

 その一言を聞いて、俺は肩から力を抜く。

 

「ナデシコC、か。

 そうだな、今の連合軍・統合軍に戦艦をジャンプさせる事が出来るのは、あの二人しかいねぇもんな」

 

「遺跡の位置が分かり次第、打って出るでしょうね。

 その為にも、北斗さんの帰還を待つ間、私達も腕を磨かなければ」

 

「ヒカルと万葉の奴が梃子摺った、って話か?

 へへ、相手にとって不足は無ぇな!!」

 

 

 

 

 ―――俺とアリサの心は、次の雪辱戦に賭ける思いで一杯だった。

 

 

 


 

 

 

「しかし、ゴートが俺を送ってくれるとは意外だな〜」 

 

「仕方が無いだろう、他に手が空いている腕利きが居なかったのだ。

 オオサキ大佐ともなると、下手な護衛は付けられん」

 

「へんに有名になるのも考えモンだなぁ」

 

 

 

 

 

「・・・で、例のライザの息子。

 ハヤト君は、その後どうだ?」

 

「この前言葉を話したぞ」

 

「お、本当か!!」

 

「ちなみに、第一声は『かみ』だ」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・色々と突っ込みたい単語だな、おい」

 

 

 

 

 

「で、どうしてラブホテルの前で止まる?

 さらに聞くが、その差し出した制服はなんだ?」

 

「男女が長時間二人きりでいて、怪しまれない場所は限られているだろう。

 それとこの制服は、このラブホテルの従業員のものだ。

 これに着替えて裏口から入り、中でイズミと合流してくれ。

 制服は、身代わりにイズミ君とホテルに入ったSSと交換すればOKだ」

 

「・・・・じゃあ何か?

 俺がイズミ君と『そんな関係』だと、監視者一同には思われてるわけか?」

 

「うむ」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うむ、じゃねえぞ、こら」

 

 

 

 

 

「ああ、ちなみに何故かフィリアにこの事がバレたらしい。

 先程、ミスターからそんな連絡が入った。

 何でも自室に閉じ篭ってしまって、出てこないそうだ・・・説得をしてくれとの要請だが」

 

「お、俺が何をした〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

その6に続く

 

 

 

 

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