カナタがメッセージを受け取り、三日が過ぎていた。
 心の中に不安を抱え、アイに相談することもできずに過ごす、ギクシャクとした毎日。アイとの会話が途絶えたことなど、生まれてこのかた、初めての経験だ。
 それにアイの様子もどこかおかしいのだ。
 なにか悩み事を抱えているのだろうか、うわの空で考え事をしている姿を何度も見かけていた。
 ふたりしてそんな調子である。
 食卓を囲んだとしても、カナタが上目づかいでそっとアイを盗み見ると、アイは箸を口にくわえたままボーっとしている、そんなことの繰り返しだった。
「……疲れた」
 年寄りじみたことを呟やきながら、カナタはパジャマ姿のまま廊下をてくてくと歩いていた。
 休日だというのに、どうにも元気が出ない。気がつくと時間はすでに朝の九時過ぎ。早寝早起きの良い子の生活習慣を守りつづけてきたカナタにとっては、こんな時間まで目が覚めないのは初めてのことだ。
「ストレスかなぁ……」
 ますます子供らしくない言葉を吐き、クシャクシャの髪をさらに指で掻き混ぜる。
「そろそろ決着つけないとダメだよね。あたしらしくないや」
 パンパンと自分の頬を両手で打ちつける。
 今日はせっかくの休日なのだ。
 一日思い切り遊んで、鬱を吹き飛ばしてから、キッチリとアイさんに相談しよう――そう決心して、カナタは背伸びをした。
「よっし、やるかぁ!」
 元気を奮い起こしたカナタは、洗面所に向かった。
 そこでようやく、家の雰囲気がどこか微妙にいつもと違うことに気づいた。
「……お客さんかな?」
 ヒソヒソとした話し声が、リビングから聞こえる。なんとなく足音を立てないように、そおっとカナタはリビングを覗き込んだ。
「ミナト先生?」
 そこにはカナタの担任であるミナトと、アイが額を寄せ合って何事か話し合っている姿があった。
「あたし、なんかマズイことやったけ」
 学園ではここしばらくはおとなしくしていたはずだ。悩み事でそれどころではなかった。
 ミナトがなぜ家庭訪問に来ているのか、まったく見当がつかない。
「……カナタは何か気づいていた?」
 アイの声が聞こえてくる。自分のことを話しているのか。それにミナトが答えた。
「わからないな。少しいつもより元気がない感じだったかも」
「そう。まさかこんな形で、あの娘にばれるなんて……。ルリちゃんを恨んでしまいそうよ」
「まだ全部知られたわけじゃないって。気にしすぎよ、アイさん」
「カナタは普通の子供とは違う。おそらくかなりの部分まで推察しているはずよ。それだけの情報がこのメッセージには含まれてしまっている」
 アイの手に、三日前にミナトが持ち帰ったディスクが握られていた。
「あれだけでぇ? 偶然同じ名前だったと思うんじゃないかな。あたしだったらそう思うもの」
「あの娘は違うの。ものごとの必然に気づく能力があるわ。わたしがそう育てたのだから」
「ヘビィな親子ねぇ……」
「とにかく、このメッセージは彼に届けるわ。アカツキくんから連絡があったからね。ミナトも聞いているわよね」
「ああ、あれね。今日だったっけ」
「そう。遅れたらだめよ。学園の子供たちはあなたの担当なんだからね」
「了解、了解っと」
 カナタはできるだけ物音を立てないようにその場から立ち去った。
 部屋に戻り、コミュニケを手に取る。
 ミライへコール。すぐにミライは応答した。
 寝ぼけた顔が、浮遊式ウィンドウに表示される。
『うにゅ……。カナちゃん、髪の毛スゴイ……』
 眼をこするミライ。カナタは真剣な表情だった。
「ミライ。あんたこれからヒマある……?」
 
 
 宇宙港のロビーは人で溢れかえっていた。
 普通の旅行客だけではない。なかにはカメラやマイクを手にした記者が多く含まれている。
 肩に「報道」の文字が入った腕章をつけているのが、正規の手続きを踏んだジャーナリストだろう。しかし、実際には非正規のとおぼしき厚かましい顔つきの人間も多くいた。いつの時代であっても、変わらない光景というものもある。
「ほら、来たよ」
 カナタはその人ごみの中で、ミライの手を引いていた。手をつないでいなければ、そのまま離れ離れになって二度と出会えなくなりそうだ。
「うにゅ。すごいねぇ」
 カメラのフラッシュが次々と炊かれる。その場所だけが時期はずれの陽光に照らし出されたかのようだ。
 突き出されたたくさんのマイクとカメラが殺到していく中心に、ゲートをくぐって姿をあらわしたふたりの男女の姿があった。
「ふうん、あれがネルガル会長か。本当に若くみえるね」
 それは火星の経済を牛耳る巨大コンツェルン、ネルガル・グループの若き総帥だった。
 ネルガル会長は、まだ31歳の若さだ。
 肩まで届く長髪をトレードマークとした、キザな風貌の伊達男。なれた様子で周りを取り囲む野次馬に投げキッスを送ると、黄色い声援があがった。
 火星を支配する男というよりは、どこかの売れないアイドルといわれたほうが、よほど納得がいく。
 その会長の横に一歩下がった形で連れ添う女性は、会長秘書だろう。
 こちらはその肩書き通り……いや、それ以上の威厳と風格があった。近づくのが気後れするような鋭い風貌と、研ぎ澄まされた立ち振る舞いは、同じ女性であれば、溜息の一つも漏らしたくなる完璧ぶりだ。
「なんかヘラヘラしてて、やな感じ。田舎のアイドルここに推参! ってとこ?」
「お金持ちって感じしないね」
「それだけ品がないってことでしょ」
 散々なことを言われているとも知らず、ネルガル会長は黒服のガードマンにまわりを囲まれ、ロビーを横切っていった。
「でも、カナちゃん。何でこんなとこに来たの? 人が一杯で、目が回りそう」
「地球−火星間通商会議って知ってる?」
「うん。半年に一回開催されてるやつだよね。いつも、アマテラスが開催地になってるから、知ってるよ」
「それ。毎回、ネルガル会長も招待されていたんだけど、絶対に顔を出さないことで有名だったの。でも、今回に限って、急に出席することが決まったもんだから、この騒ぎってわけよ」
 くるっと、まわりの喧騒を指し示す。
 アマテラスは地球と火星の共同出資で再建されたという背景もあり、中立地帯としてよくそのような会議に利用される。政治界の大物が訪れることも多く、それなりに紙面を騒がせるのだが、ここまでの騒ぎになるのはまれなことだった。
 それだけ、ネルガルという企業の存在が巨大だということだ。
 火星の王――
 冗談ではなく、本気でそう呼び習わされることがあるのだ。
「でも、それがどうしたのかな。ボク、わかんないよ」
「あのね、ネルガル会長ともなると、自分専用の小型艦を持ってたりするのよ。で、当然アマテラスにもそれに乗ってきたの」
「へえ。いいな、ボクも欲しい」
「――でね、その艦にはネルガルの中枢ネットワークと直通の専用回線があったりするわけだ。いいわよねぇ、あたしも欲しい」
「……なんか、イヤな予感」
「さ、行こっか、ミライ!」
「うにゅっ! どこにっ!」
 カナタはミライの腕をぐいぐいと引っ張り、歩き始めた。
「マシンチャイルドのことが知りたければ、ネルガルに訊けってね。さー、レッツゴー!」
「いやだぁ! 帰るっ!」
 泣き叫ぶミライを引っ張り、人ごみを避けて壁際を移動していく。その先に職員用の通用扉があった。
「目をつけておいたんだ」
 IDチェックのセンサーに手を乗せる。
 すこしだけマシンチャイルドの能力を解放すると、その機械はカナタを正式な職員として簡単に認めてくれた。扉のロックが、カチリという音を立てて解除される。
「楽勝♪」
「うにゅっ!? カナちゃん、カナちゃんってば!」
「いいから、ついといで」
 子供一人分の隙間をするりと潜り抜けて、ふたりは扉の向こうに忍び込んだ。
 少し薄暗い通路がまっすぐに続いている。背後で扉を閉めると、ロビーの喧騒が嘘のように静まり返った。
「カナちゃん、カナちゃん。こんなことに能力を使っちゃいけないんじゃないかな。まずいんじゃないかな。バレたらきっと、すっごく怒られちゃうよ」
「バレなきゃいいんでしょ。言っとくけど、これでもあんたを信用して連れてきたんだからね。裏切ったら、泣くまでぶつよ」
 うにゅ! とミライが頭を抱える。
「ボク、そんなことしないもん! でもでも、やっぱりダメだと思うよ。いけないよ」
「いい、ミライ。あたしは本当のことが知りたいの。あのメッセージの女の人が言っていた、カナタという子供とあたしの関係。本当にただ偶然に同じ名前なだけだと思う? そのカナタという子の父親に反応するはずだったプログラムが、なぜあたしのDNAパターンに反応したの? 母親のユリカという人は、あたしのいったい何? 知りたいのよ。アイさんに訊けないなら、自分の力で調べなきゃ」
 ミライは時間をかけて言葉を選んでいるようだった。そしてやっとの思いで勇気を振り絞ったのだろう、これ以上ないほど真剣な表情で、カナタに問いかけた。
「……アイさんがママじゃ、ヤなの?」
「そんなわけない!」
 通路に反射しながら響き渡った語気の荒さに、カナタは自分で驚いていた。
「――そんなわけないよ。だってあたし、アイさんのこと大好きだもん。……でもね、髪の色が違うの。顔立ちだってぜんぜん違うし、アイさんはアイさんのことを“お母さん”って呼ばさせてくれない。ずっと前から、不思議に思ってたんだ。本当に、アイさんとあたしって血が繋がってるのかなって」
「でも、それは遺伝子調整の影響だって言ってたじゃない。そうに決まってるよ、カナちゃん」
「あたしが大人になったとして、アイさんみたいな美人になると思う?」
「カナちゃん、カワイイもん」
 ミライは、わずかに頬を染めていた。
「ありがと。でもやっぱり、アイさんみたいにはなれないよね、きっと。系統が違うっていうのかな、似ているって言われることは、一生無いと思う」
 知りたくない、考えたくないのに、遺伝子改良によって与えられた不相応な知性が、冷酷な結論を導き出す。普通の子供でいたかったとこれほど強く願ったのは、初めてのことではなかっただろうか。
「すっきりしたいの。なにもかも知ってしまわないと、いつまでもアイさんは“アイさん”のまま。いやだよ、そんなの」
 通路は終わり、そこをもう一枚の扉が塞いでいた。
「だから――自分の力で扉を開けて、前に進むんだよ」
 

 扉の先は、宙港ドックだった。
 権力の象徴として建造された個人所有の小型艦が全部で七隻。その中でもひときわ目立つ淡い薄桃色の艦が、ネルガル会長の専用艦だろう。花弁をあしらったパーソナルマークがネルガルの船であることを雄弁に語っている。
 そこに刻み込まれたアルファベットは<EUCHARIS(エウカリス)>。
 それがこの艦の名前だ。
 カナタはふわりと宙に浮かび上がると、<エウカリス>に向かって壁を蹴り出した。
「うにゅにゅにゅにゅっっ!!」
 その後に続いたミライは、壁の蹴り出しに失敗して、くるくると体を回転させてしまっている。0G活動の練習をもう少し積ませないと、そのうちに命を落とすのではないだろうか。
「なにやってんのよ」
 そのまま飛びすぎようとしていたミライの足をつかみ、エウカリスの影に引き寄せる。
 二十メートル級の艦だが、近寄ってみるとそれなりに巨大だった。
「気持ち悪くなっちゃた……」
 今にも吐きそうなミライを無視して、開いていたカーゴベイに体を滑り込ませる。
 内部は薄暗く、物資の補給はこれからなのか、がらんとして何も置かれていなかった。
「エアロックは、と」
 きょろきょろとまわりを探る。
「カナちゃぁん……」
 情けないミライの声を背後において、カナタは注意深く歩を進めた。
 エアロックはすぐに見つかった。
 脇に注意書きされている開放手順を順番に実行していく。真空でないためなのか、気合抜けするほど簡単に開いてしまう。
「こんな警備で、平気なのかな」
 余計なお世話というものだろう。
 通路の壁に矢印と共に色分けされた区画名が書かれていた。
「ブリッジ、ブリッジ……は、こっち」
 指差し確認して先に進む。
 その途中で、乗員の個室が並ぶ区画に突き当たった。
 そっと覗くと、人影がある。どうやら休息しているようだ。
 人差し指を唇の前に立てて、ミライに合図。ミライはこくこくとうなずいて、自分の口を両手で押さえた。
 音を立てないようにそこを通り過ぎると、ブリッジはすぐだった。
 人気はない。
 四、五人で一杯になってしまいそうな小さな空間。
 その壁面のメインスクリーンに、釣鐘型の奇妙なシンボルが表示されているのが目に入った。
「これってオモイカネよね」
 そのシンボルは、オモイカネの自我を抽象化したものといわれている。オモイカネの自我が複雑化するに応じて、このシンボルも複雑度を増していく。そういうシロモノだ。
「でもあんまり複雑なパターンじゃないな。オモイカネ・クローンよね、これ。それもあまり育ってないみたいな。すごくバカッぽ。――勝てそう?」
「やってみるけど……ダメだったら一緒に謝ってよ。逃げちゃヤだからね」
「逃げない逃げない。ピンポンダッシュじゃないんだからさ。頼んだよ」
 オペレーターシートにミライは小さな体を沈めた。NOSの標準的なウィンドウボールだ。浮遊するウィンドウが、ミライの体を完全に覆いつくして回転を始めた。
「――にゅっ!」
 それだけだった。
 時間にして五秒もかかっていない。
 壁面のスクリーンに表示されていたオモイカネのシンボルが、輝きを失い動きを止めていく。ミライがオモイカネを打ち負かしたのだ。
 そのままウィンドウボールの中から、ミライが言った。
「オモイカネの自我を封印したよ。しばらくは大丈夫だと思う」
「個室の扉をロックしちゃって。誰も外に出れないように。あたしもそっちに行く」
 ウィンドウボールの中に首を突っ込む。琥珀色の瞳にナノマシンの活動を示す光を走らせながら、ミライが座っていた。
 大人サイズのシートに、子供ふたりが並んで座る。十分なスペースだ。
「ミライ。手を出して」
 ふたりの手を重ねて、IFSコンソールの上に――
 カナタは電子の空間に没入した。

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