会議は滞りなく進行していた。
すり鉢型の広いホールに、関係者がグループごとに分けられ着席している。
中央には全面型の大スクリーンが設置され、議長に選任された地球連合の高官が議事を進行していた。
会議は前年度分の報告から始まり、関税率の見直し案が提出され、いまは輸出品目別の関税と限度数の調整が進められている。
アカツキはうんざりとした様子で、それらを聞き流していた。
「こんなもの、とっくの昔に談合で合意されているんだろ。形ばかりの会議じゃないか」
「それもほとんど地球連合側の意思で決定されているものね。火星が地球の属国扱いを受けているのを目のあたりにするのは、気分がわるいわ」
アカツキたちネルガルは、招待客としてこの場に参加していた。発言権はあるものの、その発言に実質的な効力はない。普段のアカツキであれば、こんな会議に足を運ぶはずもなかった。
「ほら、アクアちゃんが手を振ってるわよ」
アイの言葉に顔を上げると、すり鉢の逆側の斜面に陣取るクリムゾン陣営の中、ひときわ目立つカクテルドレス姿のアクアがいた。こちらに向かって手を振っている。
ビジネススーツと軍服が大勢を占めるこの場にあって、その姿はいっそ愉快ですらあった。
「気に入られたみたいじゃない。よかったわね、色男」
「あの娘に気に入られても、うれしくないなぁ。地雷原に足を踏み入れる勇気がないと、お近づきにもなれないしさ」
アカツキは手を振りかえしながら苦笑を浮かべていた。
会議はさらに進み、正面の大スクリーンに、さまざまな統計グラフが表示されていく。照明が暗く絞られたなか、アカツキの耳に、アイの囁きが届いた。
「……そろそろアキトくんが来るわよ。始めるには頃合だわ」
アカツキはうなずいた。
出番を前に、一度大きく深呼吸をして気合を込め――そして、あっさりと元のにやけた表情に戻った。この表情こそがアカツキの戦闘モードなのだ。
「失礼、ちょっと発言していいかな」
手を上げたまま立ち上がったアカツキに、会場の数百の視線が集中する。
「ああっと、ライトが欲しいなぁ。それと、そこのカメラ。ちゃんとしたグローバル放送なんだろうね。ローカルじゃ許さないよ」
「どうしたのかね、ネルガル代表。発言は、この報告の後にでも――」
アカツキは議長の言葉を無視して、中央の議長席に向かって歩き始めた。
「なんだかねぇ、こんな報告なんて、この際どうでもいいじゃないの。どうせこんなもの、みんなまじめに聞いちゃいないんだからさ。そうでしょう、皆さん?」
演技じみた仕草で、会場に向け手を広げる。
「それよりも今は、ボクの話を聞いて欲しいね。というより、聞いてもらわなきゃ困るんだ、これが」
ぱちんと指を鳴らすと、会場の入り口から黒服の男たちが雪崩れ込んできた。
それぞれの手に重火器が握られている。
なにか重大なトラブルに巻き込まれたことに気づいた人々が浮き足立った。
「なんだ……! なにをする、ネルガル!」
「おっと、議長。そんなことを訊くなんて、ヤボってもんだよ。なにをする? ボクのショウタイムに決まっているじゃないの」
銃声が響き渡った。
統合軍の軍服を着込んだ男がひとり、うめき声を上げ崩れ落ちる。その右腕から著しい量の赤い液体が零れ落ちていた。
「ああっと、いけないなぁ。ボクはいつだって本気なんですよ。妙な動きをしたら、容赦なく撃つ。それはわかってもらわないと」
ヒステリーに近い声が会場のあちこちから沸きあがった。
その渦の中、右腕を撃ち抜かれた軍人がネルガルの黒服に抱えられ、会場から連れ出されていく。
そしてそこに残ったのは赤い血だまりと、黒光りする拳銃。
その生々しさに、ヒステリーの熱が一気に引いていった。
アカツキはゆっくりとした足取りで議長席に辿り着くと、議長を押しのけマイクを手にした。
『はいはい、皆さん静粛に。おとなしくボクの話に付き合ってくれれば、皆さんの安全は保障しますよ。いいですかね』
会場をぐるりと見回す。そこにはしわぶきの音ひとつ存在していなかった。
アカツキは満足げに言葉を続けた。
『よろしい。さて、皆さん。ボクはいまこの場所に、ネルガルの代表であると同時に、火星の市民として立っています。ボクの声は火星の声だと思って欲しい。そしてその意味を、しっかりと考えてもらいたい』
会場は完全に静まり返っている。
どうしていいのかわからない戸惑った顔の中に、嬉々としたアクアの瞳だけが燃えるように浮かび上がっていた。
アカツキは普段の彼からは考えられないほど、重く威厳に満ちた声で演説を開始した。
『――ことの始まりは、百二十年前、月の開拓者たちが、地球から独立しようとしていた時代に遡る。彼らは勤勉だった。死を賭して働き、自分たちの住む世界を、より良きものにしようと努力していた。しかし、地球の圧制はひどく、自分たちの生活を支えるのが精一杯だった彼らは、地球から独立するための道を模索しはじめた』
『当然のことだよ。ボクにはその気持ちがはっきりとわかる。当時の彼らは、自給自足をしていくだけの技術も環境もすでに手にしていたのだからね。地球から搾取されるだけの生活は、我慢ならなかったはずだ』
会場に疑問の声が上がっていた。ネルガル会長はいったい何を語ろうとしているのか。
まだ、この時点でそれを察することのできた者はいなかった。
『そして当然のように高まっていく独立運動の機運は頂点に達し、地球はそれに武力で対抗した。一方的な弾圧だっただろうね。そして、独立運動で中心的な活動をしていた数百人の人々が、火星へと逃げ延びたんだ』
『テラフォーミングが進んでいた火星で、彼らは生き延びた。世代を重ね、発見した遺跡から異星の技術を手に入れた彼らは、もう一度だけ、地球に対して対等な立場の話し合いを持ちかけた。自分たちが手にした異星の技術があれば、それが可能だと考えたのだろう。しかし、地球の反応は、まったく想像もしないものだった』
『異星の技術を恐れた彼らは、火星に対して当時の最大の攻撃力“核”を使用したんだ。まったく、子供だよ。相手が怖いから、とりあえず殴りつける。相手が泣かなければ、泣くまで暴力を振るい続けるんだ』
『火星の人々は、異星の技術を用いて、かろうじて死地から脱出した。そして、木星まで落ち延び、そこでどうにか生を繋いだ。生き延びて世代を重ね、地球への敵意を純粋に研ぎ澄ましたんだ』
『そして百年後、蜥蜴戦争が開始された。木連と地球連合の戦い。それは月の独立派と地球の戦いの続きでもあった。結果は知っての通り、和平という名の、木連の合併吸収。百年前に生まれた月を発端とする恨みの連鎖は、地球へと戻って体内に毒として飲み込まれることになったんだ』
『――その毒は、火星の後継者を生み出すことになる。彼らによるクーデターは失敗に終わったが、その結果、人々の心に、ある恐怖心を植えつけるに至った』
アカツキは、そこで息を吐き出した。
『ここから先は、ボクたちの物語だ――』
『人々の心に植え付けられた恐怖心――それはA級ジャンパーへの恐れだった。A級ジャンパーは社会のあり方そのものを破壊する。その秘めた潜在力に気づいた人々は、A級ジャンパーを抹殺することを選択してしまった。それが火星産児育成法。この法はA級ジャンパーの制限であると同時に、子供たちを人質に取るという、火星に対する効果的な示威行為でもあった』
『つまり地球連合はそれだけ火星が怖いのさ。百年前、異星の技術を身につけた人々を抹殺しようとしたように、A級ジャンパーを生み出すことのできる火星を本当に恐れている。怖くて仕方がないから、百年前と同じように力で抑え込もうとしているんだ』
『このアマテラスを見たまえ。絆を捻じ曲げられた人々を見ても何も感じないのであれば、あなたたちこそが人間とはいえないだろう。存在を消されるべきは、そんなあなたたちだということを知るべきだ』
『地球はまったく成長していない。同じ事を何度も何度も、愚かに繰り返そうとしている。その行為の結果がどうなるのか、すでに経験しているというに、また同じことを繰り返そうとしているのだ』
『――だからボクは、火星の人間として、ネルガルの長として、ここに宣言する』
アカツキはマイクすら必要とせず、会場の隅々にまで響き渡る声で、凛と宣言した。
『火星は今日をもって、地球から独立する! この忌まわしいコロニーは、今日、この時を境に、永遠に閉鎖だ!』
すさまじい衝撃が会場全体に、そしてグローバルネットワークを通じて全世界へと広がった。
火星の独立宣言。
火星経済の代表ともいえるネルガルのトップが宣言したその内容は、疑いようもないものだった。
衝撃が冷め止まない会場に、ひとつの音が響き渡っていた。
拍手――
それは、ひとりの美しい女性が発している音だった。
「すばらしい! すばらしいですわ、アカツキ様! わたくし、感動に胸が張り裂けてしまいそうです」
アクア・クリムゾンは、ひとり、いつまでも拍手を続けていた。