アクアは拍手をしたまま立ち上がり、優雅にアカツキへと歩み寄っていく。
ライトの下に踏み出すと、長い髪が青白い炎を残した。
その妖艶さと流れ出るような言葉は、アカツキとアクアだけを主演とした舞台を観ているような錯覚さえ覚えさせる。
存在感が桁違いなのだ。
大きく――しかし短い時間だけ燃えることを許された焔が、周囲を圧倒して輝いている。
「死をも覚悟したその御姿、美しいですわ。さすが、わたくしが認めたお方です。その死に様、お近くで拝見させてくださいませ」
手を差し伸べなが歩み寄ってくるアクアから、アカツキは一歩後ろへと遠ざかった。
「悪いけどねえ……ボクは死ぬつもりなんか全然ないんだよ。ご期待に添えなくてすまないね」
「なぜですの?」
とアクアは小首をかしげた。
「だって、理想と現実は、えてして相容れないものではありませんか。いくら火星独立の理想を唱えようとも、現実は容赦ありませんわ。アカツキ様も仰っていられたように、地球連合は子供のようなもの。必ず武力で火星に対処しようとするはずです。そうなったとき、わたくしたちクリムゾンは、地球のために、全力で支援を行うことになる。アカツキ様はそれに対抗することができるのですか? ネルガル一社で、地球連合とクリムゾンを相手に、対等の勝負がおできになると? いいえ、無理です。アカツキ様は、美しく散る運命なのですわ」
恍惚としたアクアの顔は、その実体さえ知らなければ天使のような美しさだった。
その意外な論客に、アカツキは目を細めて応答する。
「確かにね。正面から争えば、火星にもネルガルにも勝利の目は無いよ。でもボクは、勝ち目の無い勝負はしない主義なんだよね」
「いいえ、無理です。火星に駐留している統合軍第三艦隊がまず大きな障害として立ちはだかります。それを退けたとしても、次には、地球の第一、第二艦隊と、月の第四艦隊が大挙して押し寄せるでしょう。いったいどうするおつもり? 何万という人々の血で、火星は本当に赤く染まりますわよ」
アカツキはアクアが秘めている知性に驚いていた。
このアクア・クリムゾンは確実に未来を予測している。アカツキが独立宣言を終えた直後に、その問題点を完璧に突いてきたのだ。奇行こそ目立つが、それを差し引いても手ごわい相手であると認めざるえなかった。
――面白い
アカツキはゆっくりと唇を湿らせた。
「――しかし、そうはならない。きみは悲劇を鑑賞しているつもりのようだが、残念ながらこの舞台は悲劇じゃない。大宇宙を舞台にしたスペースオペラなんだよ!」
アカツキが二度目の指を鳴らした。
中央の大スクリーンの映像が切り替わる。アマテラスの外縁部だろう、漆黒の宇宙を背景に白銀のコロニー外郭がわずかに映りこんで回転していた。
「みたまえ。これがボクのひとつめの騎士(ナイト)―――」
そこに、ボソンの光を放ち、一隻の戦艦が単独ボソンジャンプで姿を現した。
「ナデシコさ」
「ナデシコだと」
火星駐留軍第三艦隊提督、秋山源八郎(アキヤマ・ゲンパチロウ)は、ボソン通信によって全世界に向けて放映されている映像に驚愕した。
「この男、現実が見えていないのか。ナデシコ級戦艦一隻になにができる? 過去の名声にすがったところで、何も変わらん。これでは我ら木連や、火星の後継者の二の舞ではないか」
アキヤマにとって、ナデシコの名は特別な意味を持っていた。十五年におよぶ軍人生活のなかで、彼に唯一の黒星をつけた宿敵。それがナデシコだからだ。
アキヤマはもともと木連の軍人だった。エリート部隊である「優人部隊」に身を置き、友人であった白鳥九十九(シラトリ・ツクモ)や月臣元一朗(ツキオミ・ゲンイチロウ)らと共に地球やナデシコと戦っていたのだ。
しかしそんな彼も、いまでは統合軍に五つある艦隊のひとつ、第三艦隊の提督だった。その力を持ってすれば、ナデシコ一隻が敵にすらならないことは疑いようもない。
「アキヤマ提督。地球連合より緊急の指令です!」
アキヤマの個室に飛び込んできたのは、アキヤマ付きの下仕官だった。統合軍のマークが入った指令書を手にしている。その内容は、ほぼアキヤマの想像通りだった。
『第三艦隊は、火星圏治安維持のため、直ちに行動を開始せよ。その際、必要に応じて、武装の使用を許可する』
それに続いて、いくつもの制圧拠点の名が並んでいた。
「やはりこうなるか……。どうする気だ、ネルガル――アカツキ・ナガレ。いまの俺は統合軍の軍人だ。できることならば、おまえたちとは戦いたくはない、しかし手加減もできんのだぞ」
TVスクリーンの向こうで、アカツキとアクアの二人舞台が続いていた。
『美しい船ですわね。――でもそれだけ。ナデシコ一隻にはなんの力もありませんわ。いまこの瞬間、火星では第三艦隊が行動を開始しているでしょう。アカツキ様。あなたにそれが止められて? このナデシコに何ができるというの』
アクア・クリムゾンの言葉は的確に要点をついた。
通商会議の会場にカクテルドレス姿で出席するという奇行はあるものの、その美貌の下にクリムゾンの血を引く鋭利な知性を確かに隠し持っているようだ。
しかしアカツキもまた、大企業ネルガルを率いてきた男だった。その言葉は、完全にアキヤマの意表をついた。
『――いまこの瞬間、第三艦隊はパニック状態だろうね。なにしろ頼みの綱の戦艦が一隻も動かせないのだから』
「……なんだと」
アカツキが発した“第三艦隊”という言葉が、自分の率いる艦隊であるという事実に気づくまで、アキヤマはわずかな時間を要した。
『それともうひとつ紹介しておこうかな。ボクの二つ目の騎士(ナイト)――』
TVのなかで、大スクリーンの映像がもう一度切り替わる。
一瞬どこの映像かと思ったが、ばかばかしいことに、アキヤマのいる統合軍火星駐留艦隊司令部の空撮映像だった。
そこに次々とボソンアウトしてきたのは、シルバーメタリックの機動兵器。アルストロメリア二十機以上からなる大部隊だった。
『――アルストロメリアさ』
襲撃を告げるサイレンが鳴り響くのとほぼ同時に、アキヤマの執務机の上で、呼び出し音が鳴った。
混乱するアキヤマが応答のボタンを押すと、浮遊式ウィンドウが投影され、そこに見知った顔が映しだされる。
『いよう、アキヤマ。久しぶりだな』
パイロットスーツに身を包み、漆黒の長髪を揺らしながら手を振る男。
「ツキオミ……」
アキヤマの木連時代の戦友であり親友、月臣元一朗(ツキオミ・ゲンイチロウ)の姿がそこにあった。