アマテラスという名に相応しい威容を誇るコロニーは、いま闘いの只中に巻き込まれている。
 外にはナデシコとアマテラス防衛隊との戦闘。
 内には火星独立を謳うネルガルと地球代表団の確執。
 単独ボソンジャンプによりアマテラスの近海に出現したナデシコは、単艦でアマテラス防衛隊を相手取りながら、互角以上の戦闘を繰り広げていた。
 相転移エンジンの出力が桁外れに高いのだろう、ナデシコは主砲グラビティ・ブラストを途切れることなく連射し、防衛隊の機動兵器部隊を自在に切り刻んでいた。
「――このようなことは、無意味です。それはアカツキ様にもおわかりのはず。なぜこんな無益な戦いを続けるのですか」
 大スクリーンでその戦闘を傍観しながら、アクア・クリムゾンはアカツキに言い寄っていた。
「なぜです。アカツキ様ほどのお方が、この行為の無意味さを理解できないはずがありません。仮にここで勝利を収めたとしても、それは地球の怒りをさらに高めるだけ。その報復は、容赦のないものとなるでしょう。いったい何を考えておいでなのですか」
 アクアは本心からアカツキの――そして火星の行く末を心配しているかのようだった。アカツキにとってはそれこそが疑問であったのだが。
 アカツキはその疑問を解消したいと思った。
「それでは、こちらからもお伺いしたい。アクア・クリムゾン嬢、あなたはいったい何が望みなんだ。先ほどからのあなたの言動は、まるでボクらのことを心配していてくれるかのように聞こえる。申し訳ないが、ボクにはそれが理解できない。あなたはそんな人ではないはずだ。すくなくともボクの知っているアクア・クリムゾンの人物像とは異なっているように思える」
 アクア・クリムゾンは、基本的に破滅思考の人間だった。
 十年前には重度の自殺願望を抱え、さまざまな問題行動でクリムゾン一族から追放された人物なのだ。
 それから十年、一族に復帰するまでの間にどのような経緯があったのかはわからないが、再会からこれまでの数時間、アカツキが何度か感じてきたアクアの精神のいびつさは、それらの病状が回復していないことをアカツキに確信させていた。
 おそらくそれは病気とすらいえないのかもしれない。それこそがアクア・クリムゾンの精神の骨格、アクア・クリムゾンそのものなのだろう。
 だからこそアカツキは、目の前で建設的な意見を口にするアクアに違和感を覚えずにはいられなかったのだ。
 アクアは酷薄な――だからこそアクアらしいといえる――笑みを浮かべ、アカツキを見上げた。
「わたくし不安ですの。なぜって、このままですと、また退屈な毎日に戻ってしまいそうなのですもの。今日だって本当は退屈で退屈でたまらなかった。それこそ死んでしまいたいぐらい。でもアカツキ様とお会いしてからはそれが嘘のようにワクワクした気分でしたのよ。そして、先ほどのアカツキ様のお言葉――わたくし、本当に心が震えました。退屈だった毎日をアカツキ様が打ち壊してくれる、そう思っただけで歌いだしてしまいたいぐらいうれしかった――」
 でも、と大げさな落胆の表情でアクアは続けた。
「でも、アカツキ様は夢半ばで敗れてしまいますのね。わたくしにはアカツキ様の勝利の姿が見えない。アカツキ様は負けます。火星の独立は絶対にありえない。本当はもっと、もっと、わたくしを楽しませていただきたかったのです。火星と地球を混乱の渦に巻き込んで、もっともっと……誰にも止められないぐらい激しく変化していく未来を見せていただきたかった。……それが……それだけがアクアの望みでしたのに」
「……なるほど。ようやく理解できた」
 アカツキは溜息のように言葉を吐き出した。
「つまりあなたは混沌を望み、平和を忌避する、そういうことですね。それなら理解できる。あなたらしいと思えるのです。……よろしい、あなたが望むものを差し上げましょう。あなたは特等席で見ているだけでいい。ボクが最高のショウを演じてみせます。きっとアクア・クリムゾンのお気に召すでしょう」
「本当に?」
 アクアは怯えているかのようにアカツキを見ている。
「お約束します。期待は裏切りません。あなたが想像もしていなかった未来を見せてご覧にいれます」
 その言葉を信じることにしたのだろうか、アクアは花のような微笑を浮かべた。
「そう……そうですか。それならば、アカツキ様を信じて、もう少しだけ観ていることにいたします。楽しいショウを期待して、胸をときめかせながら――」
 いきなりアクアは背後に向けて大きく腕を振った。
「おまえたち、もういいわ。お下がりなさい」
 その命令に応じて、会場の座席から数人の男たちが立ち上がった。ビジネススーツに身を包みながら、その手には精度の高そうな拳銃が握られている。銃口はぴたりとアカツキに据えられていた。
「よろしいのですか、お嬢さま」
 そのうちのひとり、きつい眼光の東洋系の男がアクアに問いかけた。
「いいのです。わたくしはもう少しだけ成り行きを見守ることに決めました」
「しかし、それでは――」
「いいのです。アカツキ様が敗れてしまえばそれまで。もしわたくしの期待通りに楽しませていただけるのならば、クリムゾングループとしては新たな成長のチャンスとなるでしょう。お爺さまに文句は言わせないわ」
「――承知いたしました」
 男たちはハンドガンを逆手に持ち替えると足元に投げ出した。アカツキの部下たちがそれを拾い上げる中、何事もなかったかのように座席へと戻っていく。
「あんな伏兵がいたのですか……」
 驚くアカツキに、アクアは涼しい顔で言ってのけた。
「アカツキ様がわたくしの期待を裏切るようでしたら、お命をいただくつもりでした。だって、美しい花は美しいままに散らせたほうがよいではありませんか。そうでしょう?」
 アカツキは苦笑するしかない。
「アカツキくん。ナデシコが防衛隊を制圧したわ。機動歩兵部隊を上陸させてアマテラス内部の居住ブロックに進行中。完全制圧までもう少しよ」
 エリナの声に、アカツキはアクアから視線を外す。
「よし。それじゃあ、そろそろ帰ろうか。やることはやったしね」
「待ちたまえ! アカツキ会長……いや、ネルガル代表」
 いままで黙り込んでいた議長が突然立ち上がった。
「きみは正気かね。こんなことをしでかして、いったいどう責任を取るつもりなのだ。戦争になるのだぞ、いったい何人の罪のない命を奪うつもりだ」
 議長の声に賛同するように、いままで怯えているだけだった代表団が次々とブーイングをはじめる。
 大儀そうに振り返るアカツキ。その眼はつまらないものを見下ろす眼だった。
「――責任を取るべきは地球だろうが。ボクの声は火星の声だと言ったはずだ。ネルガルの行動は、火星の総意の元に行われている」
「馬鹿な! 総意だと、わたしはそんなことに同意した覚えはない。これはネルガルの独断による暴走だ!」
 その声は、火星総督府の代表だった。地球から火星に派遣された、傀儡政権の先鋒ともいうべき男だ。
「ネルガル・コアネット――」
 エリナだった。
「いまさら遅いでしょうけど、よく調べてみることね。火星の主だった団体とはコアネットを通じてすでに話をつけてあるの。一般の市民もほとんどはわたしたちと同じ気持ちのはずよ。このアマテラスが、憎むべき象徴として存在しているかぎりはね」
「アマテラスが象徴だと。いったいなんの話だ」
 と議長が問う。
「そんなこともわからないの? まったく、どうしようもない愚図ね」
 ついにはアイが声をあげた。出来の悪い生徒に辟易したように首を振る。
「いいこと、あなたの子供が五歳になるまで宇宙の彼方に連れ去られたとしたらどうする。どう思うの? そんなこと許せるはずがないでしょう」
「しかし……それはA級ジャンパーを生み出さないためにという、人類にとって重要な――」
「そんなことは関係ないのよ。要は家族が引き裂かれるかどうか、それだけ。それにあなたは知らされていないでしょうけど、A級ジャンパーは生まれるべくして生まれてきた存在なの。地球は無差別なボソンジャンプなどではなく、もっと別の理由でA級ジャンパーを恐れているのよ」
 議長は突然の話の飛躍に表情を歪めた。
「……なんの話だ。A級ジャンパーがなんだと?」
「説明してあげたいけれど……。今はやめておきましょう。近いうちに、いやでも知ることになる。その時を楽しみにしていなさい。――行きましょう、アカツキくん」
 アカツキはうなずくと、周囲を武装した男たちに取り囲まれて歩みだす。取り残された地球代表団と火星総督府の人間が声も無くしている中で、アクアだけがひとり別れの言葉を告げた。
「アカツキ様。心躍る舞台をお待ちしています。でも、もしもそれが期待に添わないものであれば、そのときにはわたくしの手で幕を下ろして差し上げますわ。それまで、ごきげんよう」
 ドレスの裾を広げ、優雅に頭を垂らすアクアを背に、アカツキたち火星の面々は会場を後にした。
 
 
 アマテラスは混乱していた。
 その日までは地球への不満こそあれ、それなりに日々を暮らしてきたのだ。しかしそれはすでに過去の光景でしかなかった。
 ナデシコから上陸した歩兵部隊とアマテラス防衛隊との戦火は、ついには居住ブロックにまで及んでいた。悲鳴と怒号が響き渡る街並みを横切るように、アカツキたちを乗せたリムジンは宇宙港へと向かっている。
 戦闘はほぼネルガル陣営優勢のまま進行していた。この日のためにネルガルは長い雌伏の日々を過ごしてきたのだ。それは当然の結果だったかもしれない。
「アマテラス各ブロックの60%以上を制圧完了。居住ブロックはほぼ手中にしたわ。北ブロックの住民は、すでに第四歩兵部隊の先導でナデシコに向けて移動を開始したそうよ。予想以上に順調ね。問題ないわ」
 コミュニケを通じた報告に、エリナは満足の息を吐き出した。一番の懸念だった一般民の説得も、大きな混乱はなかったようだ。
 あらかじめ、アイのようなネルガルに通じた人間を何人も送り込んでいたこともあるが、それ以上にこのアマテラスというコロニーそのものが、地球への反感を高める温床であったことが大きい。
 火星産児育成法の名のもと、大義名分をふりかざして集められていた“人質”たちは、無事にナデシコへと乗艦を開始したのだった。
「思っていた以上に地球への反感は大きかったようね。それに火星に帰ることができるのだもの、不安以上に嬉しくもあるのよ」
 エリナはパニックらしいパニックも起こさず、文句のひとつもなくナデシコへと乗艦していく人々の心をそう分析した。
 それだけ地球の火星に対する政策は、歪みが大きかったということだろう。自分たちは正道を歩んでいる、そんな自信をエリナははっきりと感じていた。
「会長も頑張ったじゃない。なかなかカッコよかったわよ」
 大任を果たしていくらか放心状態にあったアカツキは、エリナのその言葉に子供のように頬をほころばせた。
「そうかい。うれしいねぇ。これからが大変なわけだけど、やる気になったよ、うん」
「これから、ね。なるほど、今度はわたしの番だったんだっけ」
 ざわめく街並みを車窓から見上げていたアイが、ふいに口をついたかのように言葉を洩らした。
「だったらカナタを迎えに行かないといけないわね。――そしてすべて教えてあげなくちゃ。あの娘の両親のこと、あの娘がいったい何者なのか、なにもかも全部」
 独り言のように頼りなかった言葉が、強い決心に彩られていく。
「アカツキくん、エリナ。車をとめてちょうだい。わたしはここで降りるわ」
「降りるって……港はまだ遠いわよ、どこにいこうっていうの」
「学園。この時間なら、カナタはミナトのところにいるはずだから。あの娘とふたりだけで話す時間がほしいのよ」
 そして、この五年間の日々に終止符を打つ。どのような結果になったとしても、今までのふたりではいられないだろう。新たにどのような関係が築かれるのか、それはアイにもわからなかった。
「待ってよ、ミナトが傍にいるのなら、今ごろとっくにナデシコに乗艦しているかもしれないでしょう。確認してみるから――」
 エリナが言葉を終えるより早く、コミュニケが着信音を響かせた。自動着信モードに設定されていたコミュニケが三人の間に浮遊式ウィンドウを展開させる。そこに映っていた黒い影のような男は、テンカワ・アキトだった。
 アカツキがいくらか驚いた表情で口を開く。
「おや、アキトくんじゃない。ナデシコの臨時艦長ご苦労さん。どうしたの、なにかトラブルかい?」
『いや、トラブルというほどじゃない。ただラピスがすこし気になるものを見つけたというんでな。カナタとミライを見かけたそうだ』
 三人は顔を見合わせた。あまりにも見計らったかのようなタイミングだ。
 そのことに気を取られ、“ラピスが見つけた”という言葉が意味することに誰も思い当たらなかった。
「そりゃいい。ボクたちもカナタくんを探そうとしていたところでね。だったらボクたちが直接迎えに行くよ。どこで見かけたんだい」
『――ネルガル・コアネットだ』
「……なんだって?」
『コアネット内で、ハッキングを仕掛けているところを見つけたらしい。カウンター・プログラムに殺されかけていたそうだ』
 アイが身を乗り出した。アキトが映像でなく本人であったなら、その首を締め上げかねない勢いだ。
「なんで、どうしてカナタがそんなところにいるの! コアネットになんてどうやって……」
 アキトのウィンドウとは別に、ラピスのウィンドウが表示される。
『エウカリスの専用回線から侵入したみたい。発展途上だけれど、いいセンス』
「エウカリス……ボクの船かい? まいったな、とんでもないセキュリティホールだ。やっぱりクローンじゃ役不足だったか。やるもんだね、あのふたりも」
「そんな問題じゃないでしょう! なんであの娘がそんな場所に興味を示すのよ。誰か情報漏洩したんじゃないでしょうね」
 冷静なアイらしからぬ剣幕に、全員があきらかに怯んだ。
「ま、まあまあ、そんなに怒らないでよ。誰もあの子たちにちょっかい出したりしないってば。大方、自分たちでそこまで辿り着いちゃったんでしょ。それだけの能力をあのふたりは持ってるんだからさ」
 冷や汗ながらにアカツキはアイを静めようとする。アイはそんなアカツキを一睨みすると、ふうと息を吐き出した。
「わかったわ。だったら、早く車を向かわせなさい。今すぐ!」
 びりびりと強化ガラスが震えるほどの声だった。
「わかってますって。もともと宇宙港に向かっているんだから――」
「黙ってなさい!」
 思わず直立不動で「はいっ!」と返事をしてから、アカツキは情けのない表情で運転席との仕切り窓を叩いた。
「悪いけど、少し急いでくれないかな。どうやらボクの生命に関わりそうなんだ」
 承知しました、という微妙に笑いを含んだ声が返ると、三人を乗せたリムジンは加速を開始した。
 逃げるように通信を終了しようとしたアキトを、アイが呼び止める。それまでの怒りを含んだ声とは異なる、何かの感情に震える声だった。
「待って、アキトくん。あなたはあの娘に会いたくはないの。だってあなたはあの娘の本当の……」
 一瞬の空白の間。
 誰も次の言葉を継げないまま、重い時間が経過していった。
「……いまは……会わない。それよりも大事な、やらなければならないことがあるから、会うわけにはいかない」
 アイの表情が怒りに染まった。
「まだそんなことを! あなた、五年前と何も変わらない、ユリカさんの前から消えてしまったときと同じことを言っているじゃないの! いいかげんにしなさい!」
 アキトがどのような表情をしているのか、漆黒のバイザーは完璧に覆い隠している。そのまま数刻の間、ふたりは睨みあった。
「……そう、だったらいいわ。カナタはわたしがもらう。それでいいのね」
「好きにすればいい。俺には何の権利も無い」
「権利ですって。血のつながり以上の権利がどこにあるの。あなたは逃げているだけなのよ、いまも昔もずっと。そんなことだから手遅れになるまで、ユリカさんやルリちゃんを放っておくなんて真似が出来るんだわ。火星産児育成法なんてもので、永遠にユリカさんから引き離されてしまうまで、そのことに気づきもしない。なんだってルリちゃんは、こんな男に助けを求めるような真似を――」
 ぐっと唇をかみ締めると、アイはエリナを見た。何も言わなくてもその意思は通じたのだろう、エリナに手渡したディスクは再びアイの手に戻った。
「――これはルリちゃんからのメッセージよ。助けてくれって。あなたしか助けられないって。これを見てもう一度よく考えなさい。今度こそ手遅れになってしまう前に、自分が何をするべきなのか。やるべきことなんて、ひとつしかないってことに早く気づいてあげなさい。このままじゃ、あのふたりが可哀想すぎるわ――わたしの知っていた“お兄ちゃん”が死んでしまっただなんて、わたしは信じたくないのよ」
 しかし返ったのは沈黙だけ。
 吐き出した息と共に、アイの張りつめていた糸が、ふっと切れたようだった。
「……いいわ。カナタは本当にわたしがもらっていく。もう返せと言われても絶対に返さないわよ――」
 最後の言葉は驚くほどに静かなものだった。
「――じゃあね、お兄ちゃん」
 コミュニケの通信が切られ、アキトとラピスのウィンドウが消える。
 しばらくの沈黙のあと、最初に口を開いたのはエリナだった。
「……よかったの、あれで」
「いいのよ。もうわたしの言えることは言ってしまったもの。この先どうするかを決めることができるのはアキトくんだけ。このディスクは、あなたが渡してあげて」
 ディスクがアイの手からエリナに渡った。
「それはいいんだけど……。アイのこと、カナタのこと、アキトくんのこと、ユリカのこと。なんだかわたしだけ蚊帳の外みたいで、寂しいわ」
「――ボクほどじゃないと思うな」
 所在なげなアカツキだった。
「寂しいもの同士、慰めあうってのはどうかな、エリナくん」
「冗談は時と場合を選びなさい。車から蹴落とすわよ」
「だからボクの車なんだけどねぇ。もういいけどさ、いまさら」
 拗ねたような声で呟くアカツキを乗せ、リムジンは宇宙港へとひた走る。

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